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心理学ライフ

俳優,はじめました。

家島 明彦
大阪大学キャリアセンター 准教授

家島 明彦(いえしま あきひこ)

Profile─家島 明彦
専門は生涯発達心理学,キャリア教育学。修士(教育学)。2019年より現職。著書に『ビジュアル・ナラティヴとしてのマンガ』(編著,ratik)など。

「冷やし中華,はじめました。」的にサラッと書いたが,多くの人からすると文脈もわからず混乱することだろう。何を言っているのかわからないと思うが,私もなぜこうなったのかわからないので,ありのままコロナ禍に起こったことを話すことにする。

あれは2020年2月,飛行機の中で何気なくFacebookを見ていた時のことだった。東映俳優養成所がアクトコースという大人向け養成コースを新たに開始,1期生を募集中という広告記事が目に飛び込んできた。FD研修の講師をしているくせに自分自身は立ち方や発声法など今まできちんと習ったことがなかった負い目もあり,何かしら仕事に役立つかもしれない,くらいの軽い気持ちで簡単なプロフィール情報を入力してエントリーしてみたところ,なぜか書類審査を通過して面接審査に呼ばれた。ちょうどシンガポールでの国際学会がコロナで中止となり,面接審査の日が急に空いたので,冷やかし半分で顔を出してみたら,なぜか面接審査(入所オーディション)にも合格した。そこから俳優養成所に入所して2年間修行することになった。カリキュラム・マネジメントのFD研修も担当する者として,俳優の養成カリキュラムにも多少興味があったし,自己を研究する者として,芸名で活動する俳優のアイデンティティにも関心があったので,自身の立ち方や話し方のスキル向上に加えて,将来的に何かしら仕事や研究にもつながればいいなという下心もありつつ,参与観察のつもりで俳優養成所に飛び込んでみた,というわけである。

かくして,徐々に奇妙な冒険がはじまった。コロナ禍で出張がなくなった土日に,映画の撮影現場にエキストラとして参加することが増えてきたのである。木村拓哉さんや綾瀬はるかさんなどテレビで見ていただけの存在であった俳優の方々と実際にお会いしたり,過去に観たことがある映画の監督が手がける最新の映画作品にエキストラとして参加したり,挙げ句の果てには役作りのために2ミリ坊主頭になったり髭を生やしたり,1年の3分の1(122日)着物で生活したり,「お前は一体どこに向かっているのだ」状態が続いた。しかし,結果として,東映70周年記念作品である映画『レジェンド&バタフライ』のエンドロールに名前が掲載されたり,『近江商人,走る!』や『湯道』などの映画に顔がバッチリ映ったり,『幕末陰陽師・花』や『最下層市民2030』などの作品ではセリフももらったり,とても貴重な黄金体験(ゴールド・エクスペリエンス)を得ることができた。寅年の2022年には新年の抱負で「今はエキストラ(虎)だけど,いつか大河(タイガー)ドラマにも出てみたい」と発言してみたり,2023年にはM-1グランプリに出場してみたり,迷走は続いている。

心理学者は,目には見えない心の動きを観察可能な行動や理論に基づいて理解しようとする。一方で,俳優は観察可能な表情や台詞や行動で目には見えない心の動きを伝えようとする。両者がやっていることは,正反対のようでいて,実は共通していることも少なくないように思う。物語作品(さまざまな魅力的な登場人物を含む)がナラティヴ・アイデンティティに与える影響についてさまざまな角度から研究してきた者として,俳優に対する心理学的興味は尽きない。俳優を以下のように解釈することもできるのではないかと考えている。すなわち,俳優とは物語作品(テクスト,台本)が人に与える感動を増幅する装置である。別の言い方をすれば,独立変数を作品,従属変数を感動としたときの調整変数が俳優である。質的にアプローチするにせよ,量的にアプローチするにせよ,俳優への心理学的アプローチは多様であり奥深いものであると思う。まずは自身で俳優業を体験してみて,そこから得たことを少しずつ研究の形にしていければと考えている。試しに「俳優心理学」で検索してみたら,ヴィゴツキーの名前が出てきたので,また読まないといけない本が増えたと嘆息しつつ,内心ワクワクもしている今日このごろである。

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