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注意と認知の心理学
河原 純一郎(かわはら じゅんいちろう)
Profile─河原 純一郎
博士(心理学)。専門は認知心理学,産業応用。2020年より現職。著書に『注意:選択と統合』(共著,勁草書房),『美しさと魅力の心理』(共編著,ミネルヴァ書房)など。
心理学の一分野である認知心理学では,心に決めたものごとに集中し,無関係なものを無視する働きを注意とよび,そのしくみの探求や日常での問題解決に向けた試みを進めています。
注意はなぜ必要か
数学の問題を解きながら英単語を覚えられたら勉強時間が節約できてよいはずなのに,現実ではそうはいきません。わたしたちが同時に認識し,一時的であるにせよ記憶できることには限界があります。さらに,利き手は左右のどちらかひとつでしょうから,頭で考え,覚えた結果を同時に2か所以上に書き出すことも現実的ではありません。言い換えると,わたしたちは一度に分析し,判断し,行動できる対象には限界があります。たいていは一度に相手できるのはひとつです。情報を取り入れ,送り出すには,いま最も重要なことに限定して,それ以外のことは無視する必要があります。このために働くしくみが注意です。認知心理学のこれまでの知見によると,注意はモノの要因,意図の要因,過去の要因に基づいて向くとされています。
注意はどこに向くか
モノ 周囲とは大幅に異なる物理的特性をもつ物体や,その物体がある位置には自動的に注意が引きつけられることがあります。この現象を注意の捕捉といいます。平たく言うと,周囲とは物理的に大きく違う特性には意図せずとも勝手に注意が向いてしまうということです。この瞬間にも,静かな部屋であなたのスマートフォンが音を鳴らし,画面に赤字で着信と出て点滅し始めたら,あなたはこの記事を読むのを中断して対応するでしょう。
モノの要因は相対的に周囲との差分が大きいことが重要です。大勢の人で混雑する主要駅前の歩道にいたら,先ほどの着信音には気づかず,注意は正面のビルの巨大スクリーンに大音量の音声つきで映しだされるCMに捕捉されることでしょう。大きい音そのものもたしかに注意を捕捉しますが,静かな場面に大きい音が鳴る,という背景との変化が重要です。モノの要因に基づく注意捕捉とは,大きく,強く,激しい変化(出現でも,消失でも)が周囲との間に起きたときに起こります。一般に,世間の広告には文字が大きく,派手な色が含まれがちなのはこの特性を利用しているためです。
意図 注意が向く先は見る人の意図にも左右されます。ある研究[1]では,実験参加者はドライビングシミュレータで青(または黄)色の矢印標識に従って市街地を運転しました。このとき,オートバイや歩行者が飛び出すよう仕組まれていました。飛び出しに対してブレーキを踏むまでの時間や,衝突率を測定したところ,注意していた矢印の色に一致した車体や服の色(青)の飛び出しの方が,注意していない色(黄)の飛び出しよりも短時間でブレーキを踏むことができ,衝突を避けることができていました。黄色い矢印に従っていた参加者は逆に,黄色の飛び出しの方が青の飛び出しよりもすばやく正確に回避できていました。このことは,特定の色(青,黄)そのものに絶対的に注意が捕捉されやすいのではなく,いま注意している特徴にこそ注意が捕捉されることを示しています。
過去 モノ,意図のほかに,過去の経験から重要な情報,価値をもつものにも注意は捕捉されます。紙幣はどちらかというと地味な色使いの紙片ですが,一万円札が置いてあれば無視はできません。紙幣は重要であることをわたしたちは経験から学んだ結果です。人の顔も社会生活を営むうえでは貴重な情報源ですので,どうしても注意は向きがちです。視線が自分の方を向いている場合は特にです。広告では人物が登場する場合が多いのはこの特性が利用されているせいでしょう。笑顔はわたしたちにとってよいことの代表であり,価値をもつ報酬でもあります。よい気分と結びついた情報もあるので,広告表現では多用されます。
注意の個人差
注意がどこに向くかは自分の意図によって変えられるということは,個人差が入り込む余地があることを示しています。ここでいう意図とは,いま自分が心に留めている内容です。認知心理学では,現在の思考の内容や直近の行動計画は,作業記憶というシステムで扱われるとされています。たとえば暗算する際,小さい桁の数を先に処理し,隣の桁……といくつかの要素に分けて順に計算するでしょう。こうした作業内容を一時的に管理するのが作業記憶です。その内容は,特に意識的に維持しようとしなければ数十秒で消えてしまうでしょう。作業記憶は個人差があり,若者ではおよそ4~5個の内容を保持できるとされています。
次になにをするかを管理するのも作業記憶の役目のひとつなので,作業記憶の容量が大きい人は,いますべきことを管理でき,余計なことに注意を引きつけられにくい傾向にあります。特に,意図が関わる注意捕捉で,自分の意図を維持しやすいのです。平たく言えば集中力があることに相当します。作業記憶が十分に発達していない幼児や,逆に高齢の方は作業記憶の容量は小さくいため,意図に反して,関心がよそに移り,話がそれたり,関係がないものごとに注意が捕捉されやすくなります。同様に,対人不安がある場合は,脅威となる怒った顔やネガティブな表情に感度が高く,作業記憶にネガティブな事象が上りやすくなっています。そのため,そうした表情に注意が捕捉されやすいこともわかっています。
内なる注意,マインドワンダリング
注意は内側にも向きます。宿題や友人との会話など,いま行っている外的なものごとに向かず,自分自身で生み出した思考や記憶などの内的な側面に向いてしまうことがあります。これをマインドワンダリングといいます。これは先述した作業記憶が内発的な心の内容のために使われている状態です。そのため,マインドワンダリング中は複雑な課題には対処できず,よく訓練された自動的行動ならば実施できます。けんかした友人にどう謝ろうかと心がさまよっているときは,数学の宿題をする手は止まります。一方,帰宅途中は覚えていないが気がついたら自宅前に着いていた,ということが起こり得ます。
マインドワンダリングは誰にでも起こることで,授業中の40~54%の時間はこれに費やされているとも報告されています。当然ですが,マインドワンダリングをしているほど授業内容の理解は劣ります。ただし,マインドワンダリング中はあらゆることへの感度が下がるわけではありません。ある研究[2]では参加者は退屈な文章を読みました。その間,関係ない低い音が断続的に聞こえていましたが,これらは無視するように告げられていました。この中に,まれに逸脱した高い音が出るようになっていました。参加者の脳波を測定しつつ,ときどき,集中しているか,マインドワンダリング中かを尋ねました。その結果,マインドワンダリング中は低い音への注意を意味する脳波は弱まっていましたが,逸脱音への注意(すなわちモノ要因による注意捕捉)は損なわれていませんでした。したがって,心が自身の内側に向いているときでも,外界の異変は察知できる状態のままだったのです。これは自転車を運転中にマインドワンダリングをしていても,よほどの危険は察知でき,どうにか帰宅できることに一致します。
マインドワンダリングが起こりやすいのは,認知的負荷が低いとき,学習し自動化した課題遂行中,退屈なとき,疲労を感じているとき,抑制が外れているとき,片思い中に生じやすいとされています。若者も高齢者に比べて生じやすいようです。マインドワンダリング中はデフォルトモードネットワークとよばれるいくつかの脳領域からなる回路が活発に働きます。
マインドワンダリングの中身は自分や身近な人に関わることで,特に将来について考えることが多いようです。実はこれはマインドワンダリングの重要な点です。一見,マインドワンダリングは余計な現象のように思われますが,利点があります。マインドワンダリングはシミュレーション作業のようなもので,問題解決と将来の計画を準備するという点で日常生活に有利に働きます。また,斬新で創造的な思考を生み出す助けにもなります。さらに,自分の経験に意味を見いだし,幸福感,健康感を高め,精神的休憩の役割を果たすともいわれます。マインドワンダリングは過去の出来事,未来に起こりうることを解釈し,じっくり考えるための重要な機能なのでしょう。
文献
- 1.Most, S. B., & Astur, R. S. (2007) Vis Cogn, 15, 125–132.
- 2.Kam, J. W. et al. (2013) J Cogn Neurosci, 25, 952-960.
ブックガイド
- 『マジックにだまされるのはなぜか:「注意」の認知心理学』熊田孝恒著,化学同人,2012年
- 『マインドワンダリング:さまよう心が育む創造性』モシェ・バー著,横澤一彦訳,勁草書房,2023年
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