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【小特集】
考古学から心理学への転身
大崎 園生(おおさき そのお)
Profile─大崎 園生
2006年,名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程単位取得後満期退学。修士(教育学)。専門は臨床心理学。2018年より現職。著書に『“いのち”と向き合うこと・“こころ”を感じること』(分担執筆,ナカニシヤ出版)など。
考古学の現場
「彼は死んだ人相手の仕事から,生きた人相手の仕事に変わりました。」
これは私の結婚披露宴の際に,恩師から賜った挨拶のなかの一文である。「生きた人相手の仕事」というのは現在私が従事している心理臨床の仕事のことである。心理学のなかでも私は臨床心理学を専門にしており,いま生きて,悩んだり苦しんでいる人々を相手に仕事をしてきた。また大学では学生への教育に従事しているので,まさに「いま生きている人相手の仕事」ということになる。それに対し「死んだ人相手の仕事」というのは,心理学の世界に足を踏み入れる以前に従事していた,考古学の世界の仕事のことである。
考古学というと,あまりよく知らない人が真っ先に質問してくるのが「インディージョーンズみたいなのですか?」というものである。少しマニアックな人になると「MASTERキートン[1]ですね」と笑顔を見せたりもする。こうした,考古学に対する胸躍る冒険活劇,世紀の大発見,歴史ロマンといったイメージを聞くたびに,複雑な気持ちになり苦笑するしかないという経験をこれまで何度もしてきた。
たしかにエジプトのピラミッドの調査とか,青森の三内丸山遺跡の発掘など,NHKの番組や『ナショナル ジオグラフィック』誌で特集されるような遺跡の発掘にはそういった趣もある。しかし,日本で日々行われている考古学調査は非常に地味なものである。まず,日本における考古学調査はその法的基盤として「文化財保護法」に基づいて行われる。文化財のなかで土地に埋蔵されているもの(主に遺跡や遺物)を「埋蔵文化財」と呼び,周知の埋蔵文化財包蔵地(遺跡があると分かっている場所)において開発事業のための土木工事を行う場合には,都道府県・政令指定都市等の教育委員会に事前の届出を行うことが義務づけられている。教育委員会がやむをえず遺跡を現状のまま保存できないと判断した場合,工事に先立って発掘調査を行い遺跡の記録を残し(記録保存),その経費については開発事業者に協力を求めることになっている(事業者負担)。
たとえばマンションを建てるとか何かの開発工事を行う際にそこに遺跡があると分かっている(または分かった)場合,その遺跡の発掘調査を教育委員会が行うための費用を開発事業者が負担しなければならないことになっているのである。だから,工事関係者からすると遺跡の発掘は余計なコストを負担しなければならず,なおかつ工事の期間も延びるという大変厄介な代物なのである。
私は当時の考古学の大学院前期課程修了後,とある地方自治体でこうした遺跡発掘に責任者として従事していたが,発掘の費用および工期と学術的に必要な記録を残すこととのバランスのマネジメントが非常に大変であった。仕事の半分は土建業のようなものであった。
また,こうした遺跡発掘は地元の人々をアルバイトで雇って行うことがほとんどである。考古学を学ぶ学部生・大学院生は数少なく,図面や写真などの記録作業に従事するため,実際に地面を堀り建物の柱跡や土器などの遺物を掘り出すのはシルバー人材センターなどを通じて雇用した地元の人々なのである。そこには地元ならではの難しい集団力動が働いていることがあり,人間関係の調整にエネルギーを使わなければならないことも少なくない。
だから「考古学」について人から聞かれると,その人がイメージする考古学と自分が経験してきた考古学とのギャップに複雑な気持ちになってしまうのである。恩師は「死んだ人間を相手にする仕事から生きた人間を相手にする仕事に変わった」と心理学への転身を肯定的な言葉で語ってくださったが,考古学の仕事はかなりの部分,生きた人間を相手にする仕事だったと思うのである。
もともと人間関係が上手ではなく内向的だった私は,その考古学の現場でアイデンティティ拡散の状態になったと言ってもよいかもしれない。自分という人間がよく分からなくなり,考古学の世界で生きていく自信がなくなったのが,心理学に関心をもつきっかけになった。自分とはどういう人間なのか,自分が人間的に成長することが他の人の役にたつ仕事はないか,という発想から,当時誕生したばかりのスクールカウンセラーを目指して心理学が勉強できる学部に編入学したのである。いま改めて振り返ると,そうした発掘調査現場での経験は,地域で現実的に生きる人々との関わりの経験という意味で,地域支援という心理臨床の仕事につながっているようにも感じられる。いま自分が「心理」という内的なことにだけでなく,現実的な生活や問題への対処法,コミュニティといったことに関心が強い背景には,もしかしたら考古学の発掘経験があるのかもしれない。
モノからこころを知る
従事していた立場から強調したいのは,このような日々の地道な発掘調査は日本の考古学の学術的な基盤であり,文字記録のない時代の歴史を再構成するために欠かすことのできない生のデータを得る研究活動でもあるということだ。そのデータは住居その他の活動の痕跡(遺構)であったり,石器や土器などを代表とする道具類や金属器,骨などの物(遺物)であるが,考古学ではそういった物質的な「モノ」から,当時の人々の生活の様子を理論(と想像力)で推測することになる。私の当時の修士論文は鉄器時代の中央ヨーロッパ(紀元前500年頃)における,死者を埋葬した墓に一緒に供えられた装飾品の種類から,埋葬された人の社会階層を推定するという内容であった。それは,道具から社会階層という人々の外在化された認知のあり方を探るということであり,「モノ」から「こころ」を知るという営みだと言うことができるだろう。
精神分析学の祖フロイトは無類の考古学好きであった。彼の書斎には古代の遺物が所狭しと並べられていたことが知られている[2]。精神分析は,現在観察される現象(症状)からその人の過去(発達過程)を再構成するように理論的に体系化されているが,精神分析家でなくとも臨床現場で出会うクライエントが現在抱えている困難の背景に,その人の過去の出来事の影響を見ることは,心理臨床家であれば常に意識していることであろう。フロイトは精神分析を人の心の歴史を掘り進んでいく考古学になぞらえたが,直接知ることのできない歴史を今現在見ることのできる「モノ」から構成する考古学と,直接知ることのできない「こころ」を観察できる言動から構成する心理学は似ていると言えるかもしれない。
研究者と対象の関係
では,考古学における歴史構成の妥当性はどのようにして確認されるのであろうか。考古学における「モノ」の歴史の推測に関する妥当性を確認する基礎となる方法は層位論と呼ばれるもので,簡単に言えば下位の地層から出土したもののほうが上位の地層から出土したものより古いということである。
臨床心理学における個人の歴史の推測の妥当性を確かめる術は,学術的な方法論としてはないと言ってもよいであろう。その妥当性の確認は,相談している本人が語る自己の歴史と現在の問題との関係(因果,類似,反復など)についての,本人そして面接を担当している者にとっての納得感によるところが大きい。しかもカウンセリングが進んでいくと,その歴史構成も変化したりする。その人が自分自身をどのように認知するかによってその人自身の歴史(過去の語り方)が変わるということも起こるのである。臨床心理学においては,対象を観察する側の心も同時に観察しなければならない。
考古学であれば,研究者がどう思おうが遺跡や遺物といった「モノ」自体が変わるわけではないから,目の前の「モノ」を注意深く観察することで,自分の思い違いを修正することができる。しかし臨床心理学では研究者の存在は対象に影響を与え対象が変化することが起こりうる。その相互作用を学問的方法とするのが「臨床の知」[3]ということになるのだが,そこでは,研究者が対象そのものを(心理的に)構成することも起こっているのだと言ってよいであろう。ならば,その人を構成している自分の心はどうなっているのかと問われなければならない。いま私は,「生きた人」を相手にしながら,同時に「自分自身」も相手にして仕事をしているのである。
- 1.浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志脚本,浦沢直樹作画による元イギリス陸軍特殊部隊で考古学者かつ保険調査員を主人公にした漫画。
- 2.Storr, A. (1989) Freud. Oxford University Press. (ストー/鈴木晶訳 (1994) フロイト.講談社選書メチエ)
- 3.中村雄二郎 (1992) 臨床の知とは何か.岩波新書
- *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はない。
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