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あなたの周りの心理学

なぜ壁のシミが顔に見えるのですか?

高橋 康介
立命館大学総合心理学部 教授

高橋 康介(たかはし こうすけ)

Profile─高橋 康介
博士(情報学)。広い意味での研究テーマは「人間の認識の不思議と多様性」。暗い実験室の中で基礎研究に勤しむ一方で,フィールド認知心理学者として世界に飛び出しフィールドワークを行っている。

夜,布団に入って寝ようとすると,ふと目にした壁のシミが顔に見えてきて怖くて眠れない……。他にも,コンセントや郵便ポストなど,ひとたび顔に見えてしまうと,理屈では「顔ではない」とわかっていても,どうしても顔に見えてしまうことがあります。このような現象は「パレイドリア」と呼ばれ,心理学の研究の対象になっています。なぜパレイドリアが起こるのか,完全にわかっているわけではありません。私たちの知覚や認識のクセのようなものかもしれません。パレイドリアについて考える前に,まずはものを見ることの仕組みから紐解いてみましょう。


ものを見るとはどういうこと?

赤ちゃんが色を見たり音を聴いたりできるようになるのに,色の見方や音の聴き方を練習するわけではありません。特別な訓練なく見たり聞いたりすること,知覚や認識が可能です。私たちにとってあまりにも当たり前で自然なことなので,どうやってものを見て,音を聞いているのか,普段は意識することはありません。知覚心理学や認知心理学という分野ではこのような「ものを見る」「音を聞く」の仕組みが研究されています。ここでは不正確にならない程度に簡単に説明してみます。

カメラで写真を撮ると写真に像が記録されます。私たちの生きる世界は3次元の立体の空間ですが,写真の像は2次元の平面なので,カメラは3次元を2次元に変換する装置です[1]。カメラができるのはここまでで,写真に奥行きを記録するわけでも,カメラが3次元の空間を認識するわけでもありません。ところが私たちは簡単に3次元の世界を知覚します。外を眺めれば,あるいは写真に映った風景を見れば,奥行きを感じることができます。カメラで像を記録することと,私たちがものを見ることの違いは何でしょうか。

写真の像は私たちの眼球の奥にある「網膜」というスクリーンのような場所に映る像(網膜像)に対応します。網膜像も写真と同じように2次元の平面です[2]。ところが,カメラの目的が2次元の写真の記録なのに対して,私たちの「見ること」の目的は2次元の網膜像を作ることや,網膜像そのものを見ることではありません。網膜像を生み出した3次元の世界こそが,私たちの知覚や認識の対象です[3]

ここでひとつ問題があります。2次元の情報から3次元の情報を推定しようとすると,答えは一つに決まりません。それどころか答えは無数に存在します(図1)。この無数の答えの中から,私たちはもっともありそうな3次元の世界の状態を推定して知覚しています。知覚は受動的なものではなく,能動的なものなのです。普段は意識することはありませんが,特別な訓練することなくこういった複雑な「見る」「聞く」のやり方を身につけているのは驚くべきことと言えるでしょう。

図1 右の2次元の絵から3次元の状態は決めることができません。左の4種類の絵(右の絵を真ん中で割って横から眺めたものだと考えてください)のどれでも,真上から見れば右の像のように見えます。
図1 右の2次元の絵から3次元の状態は決めることができません。左の4種類の絵(右の絵を真ん中で割って横から眺めたものだと考えてください)のどれでも,真上から見れば右の像のように見えます。

パレイドリアの当たり前と不思議

図2 顔に見えるかもしれないし、見えないかもしれない。実は逆さまの顔が見える可能性が高い。
図2 顔に見えるかもしれないし、見えないかもしれない。実は逆さまの顔が見える可能性が高い。

実験をしてみましょう。図2の絵を眺めてみてください。いろいろなことを想像しながら,いろいろな場所から見てみましょう。何か意味のありそうなものは見えるでしょうか? 顔は見えるでしょうか? 最初は何も見えないかもしれません。画像を逆さまにするとどうでしょうか。黒っぽい目,鼻,口,そして顔の輪郭のような濃淡が見えるでしょうか。逆さまからまっすぐに戻すと,今度は逆さまの顔が見えるでしょうか。

この実験は「壁のシミが顔に見える」というパレイドリアが起こる状況を再現したものです。たったこれだけの実験から,私たちの知覚についていろいろなことがわかります。見ているもの(網膜像)が同じでも見え方(知覚)が同じとは限りません。顔が見える前と後では絵の見え方が大きく変わってしまいます。誰かと一緒にこの絵を見ていたら,隣の人同士,違うものが見えているかもしれません。でも私たちは網膜像からそれを生み出した世界の状態(無数の可能性がある)を能動的に推定して知覚しているわけですから,時と場合によって,人によって,知覚が変わるという実験の結果は当たり前のことです。この意味ではパレイドリアは通常の知覚と大きく変わりません。網膜像から何が見えるか? それは見る主体である私たちに委ねられています。

一方で,パレイドリア特有の不思議さもあります。例えば,ひとたび顔が見えてしまうと顔ではないとわかっても顔を見ることを止められません。顔ではないという思考と顔だという知覚が同時に起こっているような状況です。このような状況ではパレイドリアの視線につられてしまうなど,私たちの行動にも影響することがわかっています[4]。また,何かが顔に見えることはよくあっても,顔が別のものに見えるということは滅多に聞きません。コンセントは顔に見えますが,顔はコンセントには見えません。普通の見間違いならどちらがどちらに見間違えてもいいはずですが,顔に限らずパレイドリアには非対称性があります。パレイドリアで見えるものにも特徴があります。顔,人,動物など,生き物に関連するものが見えることが圧倒的に多いことがわかっています。そしてパレイドリアで顔が見えるときは,男性に見えることが多いようです[5]

図3 大学のキャンパスで見つけた顔の数々
図3 大学のキャンパスで見つけた顔の数々
顔を探しながらキャンパスを歩き回るという授業をやっています。たくさんの「顔」が見つかります。「いつも見ている風景がぜんぜん違うものに見えた」という声があがります。みなさんも,いつもの道,いつもの駅,いつもの風景のなかで,パレイドリアを探してみてください。きっと想像もしない風景が,そこに広がっていますよ。

このようにパレイドリアには少し不思議な知覚の特徴も含まれています。これには意味を見つけたがるという認識や知覚のクセが関係しているかもしれません。柳の葉が風に揺れれば,生き物のように見えてしまいます[6]。同じようなことは,見ることに限りません。ずっといっしょに過ごしたぬいぐるみには,心があるように感じてしまいます。天変地異の背後に神仏の意図を読み取ってしまいます。このような「深読み」する傾向が,知覚から思考まで,私たちの認知全般に見て取れます。より詳しい話は拙著『なぜ壁のシミが顔に見えるのか:パレイドリアとアニマシーの認知心理学』[7]をご覧ください。

  • 1.3次元世界の状態とカメラの視点(位置と向き)が決まれば,カメラが記録する2次元の像は一意に(ただ一つに)決まります。この流れを「順光学」といいます。
  • 2.これも順光学です。
  • 3.2次元の網膜像から3次元の情報を計算するこの流れは「逆光学」と呼ばれます。
  • 4.Takahashi, K., & Watanabe, K. (2013) i-Perception, 4, 490-492.
  • 5.Wardle, S. G. et al. (2022) Proc Natl Acad Sci, 119(5).
  • 6.このような現象を「アニマシー知覚」といいます。
  • 7.高橋康介(2023)なぜ壁のシミが顔に見えるのか:パレイドリアとアニマシーの認知心理学.共立出版

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