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この人をたずねて

下條信輔 氏 (カリフォルニア工科大学生物・生物工学部 教授)

下條 信輔 氏
カリフォルニア工科大学生物・生物工学部 教授

下條 信輔 氏(しもじょう しんすけ)

Profile─下條 信輔 氏
東京大学文学部心理学科卒業,マサチューセッツ工科大学大学院修了,Ph.D.。科学技術振興機構ERATO潜在脳機能プロジェクトリーダーなどを歴任。専門は知覚心理学,視覚科学,認知神経科学で,視知覚,感覚間統合,情動と意思決定などをテーマに,Nature,Scienceなどに180本超の論文を公刊。『サブリミナル・マインド』(中公新書)他,著書多数。

下條 信輔 氏へのインタビュー

聞き手:高野了太

─今回のインタビューは,下條先生からインタビュアーの高野への逆質問から始まりました。

高野さんは大自然の絶景や宇宙の神秘を感じたときに生じるawe(畏敬の念)の神経基盤の研究をされていますよね? 私も脳波を使った「フロー」の研究をしています。フローはもともとチクセントミハイという心理学者が注目した現象で,スポーツのゾーンのように「完全に熱中したときに経験される,ある統合的,全体的感覚」を指します[1]。私たちのラボでは,課題中に課題と関係のない音を鳴らし,その時の聴覚誘発電位を測ることで,フローを客観的に研究することを可能にしました。音が鳴っているにもかかわらず聴覚誘発電位が抑制されていれば,フロー状態であるといえるだろうと考えたのです。特殊な主観的感覚を客観的に捉えるという点で,私たちの研究は共通していますね。

そこで思うのですが,awe経験時の脳活動を測定して,その先に何があると思いますか? 得られた知見を発表しても,世間からは「それがどうした?」と思われるかもしれない。自分の研究をどう世間に伝えることができると思いますか?

─これまでaweは利他性やウェルビーイングを高めるなど,プラス面に関する知見が得られてきましたが,現実では,テロ等,特定の対象を崇める集団による惨劇が散見されます。こうした正・負に振れるプロセスを理解するために,aweが生じるそもそもの基礎メカニズムを明らかに必要があると考えています。

でも,その正・負に振れるプロセスを解明するために,脳を見て何が分かるのか。テロとかは脳内の生理メカニズムの「外」の部分で起こるわけで,社会制度とか価値観とかの視点を組み込む必要がありますよね。そう考えると,タイムスケールが問題になってくると思います。実験で得られたaweの作用が,1週間,1か月後にも持続しているのか。

私の専門である実験心理学・認知神経科学の研究にも同じことが言えて,本当は長い因果のチェーンがある中で,研究者は論文を書くために,一部の因果関係だけに焦点を当ててしまう。実験では一時的に状態が変わっても,時間が経つと元に戻る。まれに長期的効果が見られても,実験操作が原因かは分からない。

─機械学習やディープラーニングの内挿と外挿[2]の話を連想しました。実験という限定的な状況の現象を一般化する,外挿としての実験心理学に対し,大規模データから現実世界の現象(因果のチェーン)そのものを扱う内挿的なアプローチも心理学で取り入れられるようになってきています。こう考えると,心理学の基礎研究の役割って何だろうと考えさせられます。

実は,「心理学の基礎研究ってなんて役に立たないんだ」というのが私の研究者としての原点なのです。かといって応用科学は領域固有的で,その場で役に立ったとしても,他にもあてはまるかどうかは分からない。基礎科学の役割は,潰しが効く,どの応用場面でも共通する原理を明らかにすること。つまり基礎科学は原理的に役に立たないはずはない。だから,基礎にはこだわりたい。そこで着想を得たのが「逆応用科学」です[3]。そのときに考えたのが価値観の問題で,サイエンスは価値に中立でなければならない,だけど世の中の役に立たなければならない。

─価値中立的な基礎科学の例として,アインシュタインの相対性理論が挙げられると思います。現代の生活には欠かせないGPS(Global Positioning System)には相対性理論が応用されていますが,彼は最初からGPSを作ろうとしていたわけではないですね。

その通りで,科学そのものとしては,価値中立的でなければならないと思うわけです。でも,私はそれだけではいけないと思います。科学には入口と出口がある。入口というのは,なぜそのテーマをラボに持ってきて,なぜお金をとってそれを研究しているのか。出口というのは,その成果が外に出て,どう社会に応用されるのか。私は,入口と出口は価値中立的ではいけないと思うわけです。応用の視点がないと,象牙の塔にこもって,世の中から離れた「研究ゲーム」で競うだけになってしまうし,基礎の視点がないと,得られた知見はすぐに役に立つかもしれないけれど,それが領域固有を超えてどこまで有用か分からない。

─基礎・応用の話少し関連すると思いますが,今はビッグデータ研究が興隆している時代だと思います。そのなかで,実験心理学はどのようなことができるのでしょうか?

少なくとも実験心理学は基本的に,原理的に一本釣りの学問だと思います。私がやってきた運動知覚の研究だと,特定の課題のボタン押しというプロセスだけに限定している。一本釣りに一本釣りを重ねているようなものです。その意味では,実験心理学はビッグデータと相性が悪いですよね。だけど,実験心理学でもビックデータを扱うことがしばしばあると思います。私の研究室では,二者で行う課題で神経同期が高まる「チームフロー」の研究もしているのですが,そこでは,脳波をとって,同時に心拍と呼吸を測って,それをさらに個人内と個人間でやる。これも大量にデータがあるという意味ではビッグデータですよね。むしろ注意しなければならないのは,ビッグデータであればあるほど,前処理や解析に膨大な時間がかかり,その研究のメインメッセージを描く過程がどんどん後ろ倒しになってしまうということです。つまり,ポストディクション(後付け再構成)に陥る危険性がある[4]。だから私は自分の学生に,「パイロット(予備実験)に80%の時間を使え」と言っています。パイロットでシナリオ,上がり目を描いた時に勝負は決まっています。

一つの研究もそうですが,もう少し長い視点で,研究者人生として,高野さんは自分の上がり目をどのように考えていますか? 自分の示した知見が実践的な応用場面につながるとかですか?

─個人的に,ですか? うーん。

たいてい,それが漠然としすぎていると思います。「そんなこと言われたって,とりあえず目の前の博論をなんとかしなきゃ」というのは分かります。でも,特に若い人こそ,その上がり目を明確にするべきだと思います。一つの実験でも大きなプロジェクトでも,結果出てから考えますでは,ポストディクションに陥ってしまう。長期的な視点を持って,自分の研究がどの程度世の中的にインパクトがあるのかを事前に描いておくことが大事だと思います。これは今の若手研究者たちに特に伝えたいことですね。

─自分も含め多くの研究者の心に刺さると思います。貴重な機会をありがとうございました。

聞き手はこの人

インタビュアー:たかの りょうた

インタビューを終えて

「この人をたずねて」は,インタビュイーの先生の「現在の研究テーマや今後の研究の方向性,人物像を紹介する」コーナーです。これまでの例を参考に,経歴や研究歴に関する質問をいくつか用意していましたが,実際には本文にも紹介したように,下條先生からの逆質問で始まりました。

幸運にも,私が研究対象としてきたawe(畏敬の念)は,下條先生の近年の研究テーマである「フロー」や「チームフロー」と親和性が高く,二人の研究内容やアプローチを出発点に議論が深まっていきました。そこから実験のタイムスケール,研究の意義,逆応用科学と,科学のメタな議論へと展開していく過程は,実に心地よくかつ刺激的で,徐々に「下條先生らしさ」が垣間見えていくように感じました。当時のやり取りのエッセンスをできるだけリアルに描いたつもりです。二人の息遣いを感じ,ともにenjoyしてくれる読者がいればうれしい限りです。このような貴重な機会をいただき,本当にありがとうございました。

Profile─たかの りょうた
名古屋大学大学院情報学研究科 講師。2022年,京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。2024年より現職。専門は社会心理学,認知神経科学,実験社会科学。 共著論文にNeural representations of awe: Distinguishing common and distinct neural mechanisms. Emotion, 22, 669-677, 2022など。

たかの りょうた

  • 1.Csikszentmihalyi, M. (1975) Beyond boredom and anxiety. Jossey-Bass.
  • 2.一般的な心理学の実験研究は,実験という限られた状況で成立する現象をその他にも一般化するという意味では,外挿的アプローチであると考えられる。一方で,近年の生成AIに代表されるように,現実世界で生じる現象を大規模に拾い,扱うデータ空間のほとんどをカバーすることで,あらゆるパターンを内挿的に検討できる可能性が指摘されている。Hasson, U. et al. (2020) Neuron, 105, 416–434.
  • 3.逆応用科学とは,「基礎→応用」という通常の発想の流れを逆転して,現代社会の諸問題から問題意識を得て,それを研究テーマとしてもってくるというアプローチを指す。下條信輔(2019)潜在認知の次元:しなやかで頑健な社会をめざして(pp.3–6).有斐閣
  • 4.ポストディクションとは,知覚や記憶の内容を後の情報を取り入れて書き換える現象全体を指す造語(下條,2019,前掲注3, pp.73–74; Shimojo, S. (2014) F Psychol, 5, 196.)。

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