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DVを防ごうとする研究はありますか?
相馬 敏彦(そうま としひこ)
Profile─相馬 敏彦
博士(学術)。専門は社会心理学。広島大学で社会人大学院を担当,親密性やケアをめぐる対人関係・社会環境の機能や継続プロセスについて研究している。写真のうちわは,その一環で行った京都の祇園祭りで入手したもの。
はい,DV(恋愛や夫婦といった親密な関係で生じる暴力)を将来的に生じさせにくくするための一次予防研究があります。これは,これから親密な関係を築いていくであろう若者に対し,講義や演習を通じて,DVのない関係の重要性を理解してもらい,それを育む力を身につけてもらおうとするものです。
心理学とは,問題が起きた後に,それに関わる個人の行動を説明したり対策を提供したりして役立つもので,問題が「起きる前」に役立つという印象はあまりないかもしれません。しかし,問題を未然に防ぐ予防にも心理学の知見は活用されています。例えば,自殺予防においては心理学の視点を活かした取り組みが一定の成果をあげています[1,2]。
DVについても,対人関係の知見などを活かした一次予防プログラムが提案,実施されています。
DVのない安全な関係作りを支える
欧米ではすでに有力な予防プログラムがいくつかあります。米国司法省の司法研究所や英国のWhatWorks Centreのウェブサイトには,各プログラムの内容に加えて,その効果検証の結果や評価も掲載されています[3]。そこで紹介されている“safe dates”というプログラムは,中高生のデートDVの予防を目的に基本的に学校単位で実施されるものです[4]。受講者は,自分たちが将来,暴力のない親密な関係を形成するためのコミュニケーション・スキルや考え方(態度),また自分の友人が被加害の当事者になった場合の対処法を学びます。その効果検証の結果も示すように,DVは一次予防の効果が期待できるテーマの一つなのです[5]。
筆者らは,社会心理学や臨床心理学の視点から,日本においてDV一次予防プログラムを実施し,その効果を検証してきました。これまでの受講者総数は1400名を超えます。プログラムの目的は,受講者自身が将来,被加害の当事者にならないこと,ならびに周囲の友人や知人が当事者となった場合のよき第三者としての対処について考えてもらう点にありました。狙いはsafe datesプログラムと共通していますが,内容は日本の現状(法律や支援制度)を踏まえたもので,また大学生を対象とするものでした。結果としては,DVに関する正しい知識の増加や,周囲の誰かがDV当事者になった場合の第三者として働きかける自信(自己効力感)の向上といった効果が確認されています。その詳しい説明は別に譲るとして[6,7],以下では,このプログラムを構成,実施する中で直面した一次予防特有の課題と対応,そこで感じたやりがいについて述べます。
DVの一次予防にみる難しさとそれへの対応
実験室での実験とは違って,一次予防研究では参加者に,研究者の「想定外の反応」として副作用やバックラッシュ(反動)を生じさせることがあります。DVの一次プログラムを構成する中ではこの「想定外の反応」を想定し,その対応にも時間を割きました。その内の3つについて説明しましょう。
1つめが「不安の種まき」問題です。受講する大学生の中には,受講時点で交際経験がなく,これからそういった関係を形成していくであろう人も少なくありませんでした。そういった受講者に対して,DVの話しばかりすると,まるで親密な関係の全てが暴力的なようにみえ,今後そういった関係をもつこと自体に不安(交際不安)を覚えてしまうことが懸念されました。実は,既存の予防プログラムにはそういった親密な関係形成そのものを否定するようにみえるものがありました。しかし,筆者らは,親密な関係そのものには特有のポジティブな役割(例えば愛着)がありその価値を認める立場です。そこで,プログラムでは,関係のもつポジティブな役割を講義したり,すべての関係で暴力がエスカレートするわけではない理由を丁寧に解説したりするようにしました。また,プログラムを受講する前後で交際不安が高まらないかどうかも測定し,そのような傾向がみられないことも確認しました。
注意した問題の2つめが「万能感」問題です。プログラムでは,関係の中で,DVが生じたりエスカレートしたりしないようにするためのコミュニケーションのあり方について説明をしました。むろん,DV生起やエスカレートの要因は複合的で,コミュニケーションだけでDVを完全に防げるはずはありません。しかし,受講生の中には,自身のコミュニケーション「さえ」問題なければDVが生起したりエスカレートしたりすることは絶対にないと,DV予防の万能感を得てしまう可能性が懸念されました。そこで,親密な関係に強くコミットすると,客観的にみてひどい言動を相手から受けていても,受け手がその「被害」に気づきにくくなりがちで,DVリスクの判断が困難になるため[8],友人など第三者との関わりを保持して,自分の関係の状況をモニターしたり,必要な時にサポートしてもらいやすくしたりすることの意義を強調しました。並行して,受講生が,第三者としての万能感,すなわちDV当事者への支援についての万能感を身につけてしまい,問題を一人で抱え込んでしまって専門的・公的な支援の力をうまく利用できなかったり,危険な目にあったりすることも懸念されました。そこで,地域ごとに利用できる専門機関について説明し,その連絡先をまとめた資料を必ず配付するようにしました。
問題の3つめとして,受講することでかえってDVを容認するような態度が形成されてしまう可能性も懸念されました。例えば受講することで,逆に「自分たちの関係なのだからどう振る舞おうが(たとえ相手を傷つけても)自由ではないか」と考えてしまう心理的リアクタンスの心配がありました。そこで,プログラムでは,傷つけたくなる気持ち自体を否定するのではなく,むしろそれを前提とした上で暴力以外の行動レパートリーを考えてもらうようにしました。また,グループワークなどでの「(暴力をふるっても)これくらい仕方ないよね」といった発言が他の受講生の暴力容認的なリアリティを形成する問題(記述的規範といいます)も懸念されました。このため,そのような意見が表明された場合,ファシリテーターが「暴力は容認されるべきではない」というメッセージを発するようにしました。
このように,一次予防においては,研究者の望むのとは違った方向での変化が対象者に生じる可能性があります。それを事前に想定したり現場で対応したりするのは必ずしも容易ではありません。筆者の場合,多くの臨床実践を重ねてきた共同研究者と相談し協同しながら進めることができました。それぞれの知識や経験を総動員しながら,予防効果を突き詰めるプロセスは,通常の実験計画の立案にはない,創造的な作業です。何より,研究を活かしてDVのない安全な関係作りに貢献できていると感じる瞬間は,研究者としての達成感を与えてくれます(万能感に要注意ですが)。
文献
- 1.末木新(2019)自殺対策の新しい形:インターネット,ゲートキーパー,自殺予防への態度.ナカニシヤ出版
- 2.川野健治・勝又陽太郎編(2018)学校における自殺予防教育プログラムGRIP:5時間の授業で支えあえるクラスをめざす.新曜社
- 3.島田貴仁(2021)犯罪予防の社会心理学:被害リスクの分析とフィールド実験による介入.ナカニシヤ出版
- 4.Foshee,V.A.et al.(1998)Am J Public Health,88,45–50.
- 5.Banyard,V.,& Hamby,S.(2022)Strengths-based prevention:Reducing violence and other public health problems.American Psychological Association.
- 6.相馬敏彦他(2016)若者のDV被害を予防するプログラムの効果検証:DV被害の脆弱性モデルを基盤として.日工組社会安全研究財団2015年度研究助成実績報告書
- 7.相馬敏彦他(2019)DV一次予防プログラムの深化に向けて.日工組社会安全研究財団2018年度研究助成実績報告書
- 8.相馬敏彦(2019)被害者学研究,29,130–138.
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