【小特集】
無脊椎動物の心理学
現代心理学は,鳥類やヒト以外の哺乳類も高度な心的機能をもつことを明らかにしてきました。本小特集では,日ごろ「下等」と非科学的な侮蔑語で認識される無脊椎動物に光を当て,彼らの意外な心的機能の研究を紹介し,われわれとは異なる「こころ」の進化について考えます。(牛谷 智一)
“ムシ”の脳がもつ記憶能力─そのヒトとの共通性
寺尾 勘太(てらお かんた)
Profile─寺尾 勘太
北海道大学大学院生命科学院生命システム科学コース博士課程修了。博士(生命科学)。専門は神経行動学,比較認知脳科学。2024年より現職。共著論文に Spontaneous recovery from overexpectation in an insect. Scientific Reports, 12(1), 9827, 2022など。
脳・神経系の理解への無脊椎動物の貢献
「私は昆虫を対象に記憶・学習の仕組みを研究しています」。こんな話をすると,多くの人に驚かれます。ムシでも記憶をするのか,と。しかし,ムシどころかカタツムリやイソギンチャクにも記憶能力が報告されています[1,2]。昆虫や軟体動物のようにヒトとかけ離れた生き物にも記憶能力は存在していますし,その研究を通じて記憶の仕組みが明らかになってきました。
実は,昆虫や軟体動物のような無脊椎動物は,記憶・学習の研究に古くから貢献してきました。昆虫の記憶について,最初に注目を集めたのはミツバチです。ミツバチは野外で餌場を見つけると,巣に帰って8の字ダンスを踊ります。このダンスは言語のような役割を担い,その向きや尻振りの回数によって巣の仲間にその場所を伝えるのです[3]。ハエやゴキブリなどのさまざまな昆虫での研究も後に続き,場所の記憶だけでなく,においと報酬を結びつける学習(古典的条件づけ)をはじめとしたさまざまな報告がなされてきました[4]。
記憶の仕組みに脳・神経系が関わることは,皆様もご存知かもしれません。神経解剖学の先駆者であるラモニ・カハールはさまざまな動物の神経系を観察しました。晩年に昆虫の視覚系について調べた際には,その精巧な構造に驚嘆したと伝えられています[4]。神経系の情報伝達に関わる活動電位の仕組みは,ホジキンとハクスレーがイカの巨大軸索を用いた研究から明らかになりました[5]。記憶が作られる神経メカニズムを世界で初めて明らかにしたのは,アメフラシを動物モデルにした研究です[6]。これらの成果から得られた結果の多くは,後にヒトをはじめとする脊椎動物でも確認されてきました。つまり無脊椎動物の研究は脳・神経系の仕組みの理解には欠かせないのです。
コオロギが示す高度な学習能力
私はフタホシコオロギが記憶を制御する脳・神経系の仕組みを研究しています(図1)。フタホシコオロギは近年,学習研究が進みつつある新しい実験動物です[7-9]。コオロギでは匂いや模様と水報酬を結びつける学習(古典的条件づけ)が成立することが知られています。例えば,ミントの匂いをかがせた後に水を与える訓練を行えば,ミントにより接近する行動を示します(図2左)。これはコオロギがミントの匂いと水を結びつけて記憶したと解釈できます。中心が白く外側が黒い模様(以下,白中模様)を見せた後に水を与える訓練をすれば,その模様へより接近する行動を示すようになり,白中模様と水を結びつけて記憶した結果と解釈できます(図2中央)。この2つを組み合わせて,匂いと模様を組み合わせた刺激の後に水報酬を与える訓練では,匂いと模様のどちらにもより接近する行動を獲得します(図2右[10])。原則として,このような傾向は訓練の回数が増えるほど,強くなります。
さて最近,私たちは訓練の回数を増やしたにもかかわらず,学習の効果が逆に下がってしまう奇妙な現象を報告しました[11]。この実験では,まずはコオロギにミントの匂いと水1滴,白中模様と水1滴をそれぞれ結びつける訓練を行います。このような訓練を行ったコオロギは,ミントにより接近する傾向を示します。これらの訓練を済ませたコオロギへ,次はミントと白中模様を同時に提示した後に水1滴を与える訓練を行います(つまり図2に掲載した手順を左から右にすべて行う)。このような訓練を受けたコオロギは,不思議なことに,ミントの匂いへ接近する傾向が抑制されました。コントロール群,すなわち各々「ミント-水」と「白中模様-水」を結びつける訓練だけをした群よりも有意に反応が弱かったのです。
このような現象は過剰予期効果として知られます。今まではほ乳類や鳥類でしか報告がなかったこの現象の存在を,私たちは世界で初めて,無脊椎動物で示すことに成功しました。
昆虫の学習ルールはヒトを含むほ乳類と共通する
なぜ訓練が増えたにもかかわらず,反応が抑制されてしまったのでしょうか。この現象はコオロギが未来を予測して,その予測と現実の違いを検出しているとの仮説に基づけば説明することができます[10,12,13]。訓練前には,コオロギはミントの匂いや白中模様と水の関係性については何の予測もしないと考えられます。ところが,ミントの匂いと水1滴,白中模様と水1滴を結びつける訓練を繰り返すと,コオロギは,ミントの匂いや白中模様からそれぞれ水1滴を予測するようになるのだと考えられます。さて,ここでミントの匂いと白中模様を同時にコオロギに見せると,コオロギはミントと白中模様のそれぞれから水を予測すると考えられます。その予測は,例えば1+1で2滴のように,1滴より大きな値をとるでしょう。しかし,現実にもらえる水は1滴だけです。そこで,予測と現実の差に応じて,ミントの匂いへの接近が抑制されたのだと考えれば,理論的な仮説と実験結果が一致します。この予測誤差に基づく学習はほ乳類や鳥類で知られており,われわれはこの学習ルールが昆虫に適用できる証拠を初めて十分に示したものと理解しています。
たかがムシといえども,複雑な記憶・学習に基づく行動制御の仕組みをもっています。その仕組みは私たちが信じている以上に,ヒトやほ乳類とムシの間で似ているのではないでしょうか。
では,昆虫に“心”はあるのでしょうか?もちろん,答えはすぐにはわかりません。一寸の虫にも五分の魂と言うように,ムシに“心”のような働きがある可能性を,私はこれからも探っていきます。
文献
- 1.Botton-Amiot, G. et al. (2023) PNAS, 120(13), e2220685120.
- 2.Alvarez, B. et al. (2014) Anim Behav, 92, 75–83.
- 3.フォン・フリッシュ, K./伊藤智夫訳 (2005) ミツバチの不思議.法政大学出版局
- 4.日本語文献として次が詳しい。水波誠 (2006) 昆虫:驚異の微小脳.中央公論新社
- 5.Hodgkin, A. L., & Huxley, A. F. (1952) J Physiol, 117, 500–544.
- 6.Kandel, E. R. (2001) Science, 294(5544), 1030–1038.
- 7.Mizunami, M. et al. (2018) Front Psychol, 9, 1272.
- 8.Unoki, S. et al. (2006) Eur J Neurosci, 24, 2031–2038.
- 9.Matsumoto, Y., & Mizunami, M. (2002) J Exp Biol, 205, 1429–1437.
- 10.Terao, K. et al. (2015) Sci Rep, 5, 8929.
- 11.Terao, K. et al. (2022) Sci Rep, 12, 9827.
- 12.Rescorla, R. A., & Wagner, A. R. (1972) A theory of Pavlovian conditioning: Variations in the effectiveness of reinforcement and nonreinforcement. In A. Black & W. R. Prokasy (Eds.), Classical Conditioning II (pp.64–99). Academic Press.
- 13. Terao, K., & Mizunami, M. (2017) Sci Rep, 7, 14694.
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
PDFをダウンロード
1