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Psychology for U-18 高校生に伝えたい

高校『倫理』の心理学

堀江 竜也
大阪府立四條畷高等学校 首席(主幹教諭)

堀江 竜也(ほりえ たつや)

Profile─堀江 竜也
修士(人間科学)。公認心理師,学校心理士。専門は教育心理学,認知心理学。現在は「公民科における心理学教育の在り方・実践」「総合的な探究の時間における心理学研究の指導法」を研究。

2022年度より実施された新学習指導要領では『倫理』において,「青年期の課題を踏まえ,人格,感情,認知,発達についての心理学の考え方についても触れること」となりました。日本心理学会でも,「高校心理学教育連絡協議会」が立ち上がり,高校現場への心理学教育の普及活動を行っています。ところで,なぜ高校生が『倫理』の授業で心理学の考え方を学ぶ必要があるのでしょうか。「心理学の知識が増える」「心理学部への進学者が増える」といった表面的なものではなく,教科としての『倫理』の学びに心理学の考え方がどう寄与できるのでしょうか。高校現場で『倫理』の授業を担当している者として,この問いについて考えてみたいと思います。

『倫理』ってどんな科目?

私は「人間が好き」です。生徒にも「人間が好き」になってほしくて,『倫理』の授業をしています。私は昔から人間観察が好きで,「なんでこの人はこのような行動をとるのだろうか」といつも考えていました。行動の背景にはその人がもつ「考え」があり,表出される行動は当人の「考え」に基づいているのだと気づきました。なので,その「考え」についての学びを深めると,人間についてより深く理解できるのではないかと思うようになりました。例えば,ベンサムに代表される功利主義の「考え」を強く持っている人は,「功利の原理」という行動様式を有していますから(ただ,自分は功利主義者だと公言する人はあまりいないとは思いますが),快楽を求め,苦痛を最小限にしようと行動することになります。一方で,カントのような義務論に従う人は,自らが定めたルールを実行することに重きを置くので,「〜すべし」という価値観で行動することになります。

このように『倫理』を学ぶということは,人間の行動原理を深く考察することにつながります。『倫理』の授業を通して,先哲の考えを学ぶことで,生徒は自らの生き方について主体的に考えることができるようになっていくと私は信じています。

『倫理』での心理学の役割

それでは,生徒が自らの生き方について主体的に考えられるようになるために,『倫理』において,心理学がどのような役割を担うことができるのでしょうか。新学習指導要領には,「科学的に探究した各種の実験や観察,調査に基づく統計的な分析の結果を利用」「心理学の学説や各種の実験や観察の結果の紹介を知識として習得させる指導で終わることのないよう」と記述があります。心理学は「心」の理を探る学問[1]と言われます。つまり心理学を学ぶことで,客観的なデータを根拠として,人間の心を考察する「科学性」という視点を得ることができます。このような切り口はこれまでの『倫理』にはなかったものです。

『倫理』は一般的に「哲学」と呼ばれる内容を扱います。源流思想(ギリシャ哲学,宗教など)からはじまり,西洋思想,日本思想と続きます。「哲学」は思索によって,世界や人生の真理を探究するのであり,そこに客観的根拠が強く求められることはありません。心理学の知見が導入されることは,哲学とは異なり,「科学性」という新しい世界の捉え方を『倫理』に提示することになります。

このことは科目として非常に大きな転換点となります。例えば,ヘレニズム時代の思想として,ストア派を学びます。欲望や感情を抑制し理性に従って生きることを端的に表した「自然に従って生きる」や「アパテイア(不動心)」という言葉が有名です。教科書にはストア派の代表的な思想家として,セネカ,エピクテトス,マルクス・アウレリウスが出てくるのですが,従来の『倫理』ならば,彼らの思想を紹介して終わりとなります。しかし,生徒は学問としての心理学がもつ,「科学性」を学んでいますので,このストア派の考えが,科学的にも支持されているという授業展開につなげることができます。

ストア派の思想と認知行動療法には多くの類似性[2]があると言われています。認知行動療法は,科学的根拠によって支持された心理療法の一つです。認知行動療法では,困難に直面している人の考え方や価値観,イメージに働きかけて望ましい行動への変容を引き起こし,問題を解決しようとします。このうちの「考え方や価値観,イメージに働きかける」という側面はまさにストア派の単元で生徒が学ぶことです。具体的には,A社の教科書にはエピクテトスの言葉である「ものごとが君の欲するように求めてはならない。むしろ,ものごとが起こる通りに起こるように欲せよ。そうすれば,君は静かな流れの人生を送ることができる」が掲載されています。この言葉を紹介した後に,出来事(A:Activating events)は,信念(B:Belief)によって判断され,結果(C:Consequence)として感情や行動が喚起されるとする,論理療法のABCモデルを提示し,信念(B)に働きかけることの重要性を示すことで,ヘレニズム期の哲学と現代の心理学がつながり,多様な観点から人間を捉えることができるようになるでしょう。

近代西洋思想の分野ではベーコンを学ぶ際,「4つのイドラ」を学習します。イドラとは物事を正しく認識することを妨げる偏見や先入観のことです。イドラの学習後,認知バイアスの話をすることで人間の判断プロセスまで話を深めることができます。また,科学哲学の単元でポパーの「反証可能性」を学び,これまで科学として示されてきた心理学を批判的に捉えるまなざしを知ることで,世界がより多層的で曖昧なものであるという事実に生徒は気づくことになるでしょう。

これからの課題

このように心理学が導入されたことで,新しい授業展開ができるようになりました。しかしながら科目としての『倫理』は大きな課題を抱えています。

1つ目は,履修者の減少です。共通テストの科目が再編され,公民科は『公共,倫理』『公共,政治・経済』に整理されました。『公共』は『政治・経済』の内容と大部分が重複しています。受験へのコストパフォーマンスから,公民科の選択科目として『政治・経済』を選ぶ生徒が増えています。勤務校では,『政治・経済』と『倫理』の履修者の比率は3:1になっています。

私立大学で『倫理』を一般入試で課すところはほぼありません。大学で心理学を学びたい生徒が『倫理』を履修するには,受験の負担が増す覚悟が必要です。また,ほとんどの国公立大学では,個別学力試験の科目に『倫理』を設定していません。高校現場はどうしても大学入試の在り方に大きな影響を受けてしまいます。いくら学習内容が充実していても,高校生は受験のことを意識した選択をします。心理学を学ぶ学部だからこそ,一般入試や個別学力試験で『倫理』を出題する大学が出てくると状況は変わるのではと,現場の人間としては思う次第です。

2つ目は,指導方法についてです。今回の学習指導要領の改訂に伴い,「人格,感情,認知,発達についての心理学」の内容が教科書に記載されました。私が危惧しているのは,内容をただ教えて終わりという事態に陥らないかということです。

心理学の特徴である「科学性」を意識しなければ,内容を消化するだけになってしまいます。教員も単に教える内容が増えただけという認識にとどまり,心理学導入の意義が半減してしまいます。実証科学としての心理学方法論を示し,どのように根拠となるデータを収集・分析しているのかを,体験させる必要があるでしょう。しかしながら,ほとんどの教科書には研究法についての十分な記述はありません。したがって,『総合的な探究の時間』などを活用し,方法論を指導していくことになります。しかし,『倫理』の履修年次(主に3年次)と探究活動に注力できる年次(多くの高校は1,2年次)が異なっている場合は,期待されるような相補関係の効果は小さくなってしまいます。

おわりに

心理学の知見が科目としての『倫理』にどのような彩りを与えてくれるのか,これから多くの実践を通して明らかになっていくでしょう。個人的には,青年期を生きる高校生が少しでも生きやすくなるようなヒントや考えが,教科書や資料集に掲載されたら素敵だなと思います。また同時に,心理学がもつ「科学性」がこれまで『倫理』が大切にしてきた,自由な思索に制限をかけてしまうのではないかという危惧もあります。ともあれ,『倫理』と心理学が出会い,物語は始まったばかり。これからどうなっていくのかとても楽しみです。

ブックガイド

  • 『心理学入門一歩手前:「心の科学」のパラドックス』道又爾(著),勁草書房,2009年
  • 心理学を教えるならば「心理学って一体何だ?」という疑問は避けて通れません。この本は一般的な心理学入門とは異なり,「学問としての心理学」について論じています。

文献

  • 1.池田まさみ (2023) 第一学習社 公民最新資料, 13, 2–6. https://www.daiichi-g.co.jp/komin/info/siryo/33t13/tuipdf33t13.html
  • 2.Robertson, D. (2020) The Philosophy of Cognitive-Behavioural Therapy (CBT) (2nd ed.). Routledge. (ロバートソン/東畑開人・藤井翔太監訳 (2022) 認知行動療法の哲学:ストア派と哲学的治療の系譜. 金剛出版)

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