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【特集】

心と文化をひもとく─文化心理学のこれまでとこれから

私たちは,自分の心が文化によって形づくられていることを,ふだんあまり意識していません。考え方も感じ方も,「自分らしさ」さえも,生まれつき備わったもの,あるいは自分だけでつくりあげたものだと思いがちです。

けれども私たちの心は,生まれ落ちた文化環境の影響を強く受けています。

1991年,文化心理学者であるヘーゼル・マーカスと北山忍が,「文化と自己」についての論文を発表し,私たちの心が文化と深く関わりながら形づくられるものであることを示しました。文化は「自己」についての認識の枠組みに働きかけ,その「自己観」の違いが,ものの見方や感じ方,そして動機づけにまで及ぶことを明らかにしたのです。

本特集では,1991年を契機に発展してきた文化心理学の歩みと現在地をたどり,これからの挑戦についても展望します。

心と文化の切っても切れない関係をひもとけば,私たちの心が「世界中どこでも同じ」というわけではないことに気づきます。そうした気づきは,私たちの心の捉え方を大きく変えてくれるはずです。(橋本 博文)

文化という見えない網─意味の共有が生み出す心のダイナミクス

内田 由紀子
京都大学人と社会の未来研究院 院長・教授

内田 由紀子(うちだ ゆきこ)

Profile─内田 由紀子
京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。京都大学こころの未来研究センター教授,スタンフォード大学フェローなどを経て,2023年より現職。文化とウェルビーイングに関する文化心理学研究を行っており,国際誌での学術研究発表多数。著書に『これからの幸福について:文化的幸福観のすすめ』(単著,新曜社),『日本人の幸せ:ウェルビーイングの国際比較』(単著,中公新書)など。

文化心理学との出会い

文化心理学とは,人間の心的過程を,社会的・文化的文脈から切り離すことなく理解しようとする学問分野である。私たちが日常的に前提としている価値観,制度,習慣,そして思考様式は歴史を通じて選択されてきた「文化」の一部であり,それらは特定の集団内で共有されている。文化の中ではぐくまれる心のあり方について,個人内部の特性や機能としてのみ捉えるのではなく,人がどのような文化的意味体系の網の中で生き,行為し,感じ,判断しているのかを問う点に特徴がある[1, 2]

筆者が文化心理学に携わるようになった背景には,大学入学時に古典文学を志していたことが少なからず影響している。古典文学を読んでいると,時代を超えて共感できる場面もあれば,そうではない記述もある。それはなぜだろうかという素朴な疑問を持っていた。心と時代性,文化に関心を持って研究を行うことができるのは心理学であると気が付き,文学部から教育学部の心理学科に転学部をした。そして他学部である総合人間学部で開講されていた,後に恩師となる北山忍先生の授業「社会的コミュニケーション論」を受講した。この授業を通じて,心の今昔を実証的に研究することは難しいとしても,異なる文化を持つ国の比較から何かがつかめるのではないかと感じたのである。

しかし私がこの分野に足を踏み入れた2000年ごろ,文化心理学の研究者はまだ多くはなく,文化的な差異は心の普遍的メカニズムを覆い隠す「ノイズ」のように扱われるケースも少なくなかった。こうした状況の中でも,大学院時代には国際共同研究や海外での研究経験を通じて,異なる社会では,同一の尺度や理論が必ずしも同じ意味を持たないという事実に繰り返し直面したことが大きなモチベーションになっていた。たとえば,自己評価,感情表出,幸福感といった概念は,測定可能であるがゆえに普遍的であるかのように扱われがちである。しかし実際には,それらが何を意味し,どのような状態を指すのかは,文化的前提と密接に関わっている。このような問題意識から,心を文化の中に位置づけて理解する枠組みとして,文化心理学は不可欠な視点であると考えるようになった。

自己観の国際比較:独立した自己と協調する自己

文化心理学では,心と文化が互いに作り上げ,維持・再生し合う「相互構成的プロセス」を提唱している[2]。社会が持つ「何が良いか」という価値観は,教育システムや職場といった「制度・習慣」を通じて個人の「心理機能」に影響を与え,それがまた個人の「行為」となって文化を再生産する。この動的なプロセスを解明することこそが,この分野の核である。

文化心理学は,心理学,人類学,社会学などの知見を横断しながら発展してきた学際的分野であるが,その中核的手法の一つが国際比較研究である。異なる文化的文脈に生きる人々を比較して,これまで「人間一般の心」と見なされてきた現象が,特定の文化的条件のもとで成立していることを明らかにしてきた。

中でも最も影響力を持った研究成果の一つに,「自己観」の理論がある。1991年にヘーゼル・マーカスと北山忍が発表した論文は,西洋的な「相互独立的自己観」と東アジア的な「相互協調的自己観」という二つのモデルを提示した[2]。主に北米における「相互独立的自己観」は,個人を他者や社会から切り離された独立した存在と捉える。自己を定義するのは内面にある能力や特質,意志であり,自分の力で「選択」し,個性を表現することが幸福に直結する。たとえば,アメリカのサンドイッチ店では,パンの種類からトッピングに至るまで細かく「選択」が求められるが,これは,自分が自律的な主体だと確認する重要な行為であるともいえる。一方,日本を含む東アジアで見られる「相互協調的自己観」では,自己は他者との関係性の中に存在する。自分の行動は周囲の状況や期待,役割によって「調整」され,関係の調和が重視される。自分の意志を突き通すよりも,状況に合わせて行動し,場の空気を読むことが,社会的な適応として評価される。また,そもそも自分の意志が明確に意識されないことすら多い。

この違いは,単なる価値観の差異にとどまらず,感情経験,動機づけ,思考のスタイル,対人行動,幸福感など,心の多様な側面に影響を及ぼしている。文化心理学は,これらの違いを文化的優劣の問題としてではなく,「どのような文化的意味体系の中で,その心的過程が合理的に機能しているのか」という問いとして捉える点に理論的特徴があり,またそれを一定の枠組みでの方法論を持って実証する研究分野でもある。

共有された意味と幸福:プロセスを理解する視点

文化心理学は単に「違い」を記述する学問ではなく,集団が共有する意味や規範などの信念体系をひもとく「意味の学問」である[3]。文化における意味生成とは,人々が共有する規範,価値が,日常的な相互作用を通じて再生産され,ある一定の概念あるいは信念として理解されていく過程そのものである。必然的に文化は固定的な属性ではなく,動的なプロセスとして捉えられる。そしていったん出来上がった意味を,私たちは「この状況ではこうふるまうのが自然である」「この感情は適切である」といったように学習し,再生産し,共有する。これらの前提は,個人が意識的に操作するものというよりは,おのおのの状況において適応的にふるまい応答しようとする中で,知らず知らずのうちに行動や感情,判断を方向づける。このようにして共有された意味がどのように形成され,個人の心的過程にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることが,重要な課題である。文化を理解するということは,集団の中で何が「価値あるもの」として共有され,その結果としてどのようなプロセスが駆動されるのかを示すことでもある。

近年,OECDなどの国際機関においても,主観的ウェルビーイングを含む指標が社会評価に取り入れられつつある。しかし,主観的な評価は文化的意味体系と切り離して解釈することはできない。何が「良い状態」として感じられるのか,その基準自体が文化によって形成されている以上,主観指標を社会指標として用いるためには,文化心理学的視点が不可欠である。「意味の共有」が最も顕著に現れるのが,幸福あるいはウェルビーイングではないかと考えて,筆者は研究を進めてきた[4]。幸福は誰もが追い求める一見普遍的な概念であるかのように見えるが,実際に研究を行ってみると,何をもって幸福と感じるかは文化を超えた共通性だけではなく,一定以上の差異も明らかになってきた。西洋的な文脈では,幸福とは「ポジティブな感情の最大化」であり,高揚感や達成感が重視される。しかし,日本における幸福は,他者とのバランスや穏やかさ,安心感,役割の遂行,相互の調整の中に存在する。これを筆者は,個人の獲得に注目する「獲得的幸福」に対し,関係性の調和に注目する「協調的幸福」と呼んでいる[5, 6]

ここで重要なのは,「私たちのあたりまえは,必ずしも誰かのあたりまえではない」という事実である。そしてその逆も成り立つ。これまでの研究から,日本人は幸福を感じた際,単に喜ぶだけでなく「この幸せは長くは続かないのではないか」「周囲から嫉妬されるのではないか」といった,ネガティブな側面(陰の部分)を同時に想起する傾向が強いことが繰り返し確認されている[6]。これは,万物は常に変化し,良いことと悪いことが表裏一体であるという,包括的世界観(陰陽思考)という抽象的な概念・信念にも根ざしているし,幸福すぎることへの畏怖や謙虚さなどは,日本社会において他者との和を乱さないという近接的な目標とも関連している。

地域・組織というメゾレベルの文化

文化心理学の多くの研究は,国を単位とした比較に依拠してきた。その背景には,文化的要素が大きく異なる場所を比較することで,文化の影響がより明確に浮かび上がるという点がある。さらに,心理学のエビデンスの多くが北米やヨーロッパといった限られた地域(WEIRDと呼ばれる[7])から発信されてきたため,それ以外の地域との比較を通じて,文化を無視するのは難しいという説得材料を提示する必要があったという事情も大きい。

一方で文化は国家という枠組みだけで捉えられるものではないという認識も広がっている。同一国家内においても,地域,組織,職場,学校といったメゾレベルの集団が,それぞれ固有の意味体系を形成しているからであり,むしろそうした近接的な文化は私たちの心の働きに直結している可能性がある。文化を創り出す要因として,規範の厳しさなどの「制度」や,近年注目がますます高まっている関係流動性などの「社会生態学的環境」の役割も無視できない[8]。文化は具体的な制度や集合的な活動を通じて絶えず創り出され,再生産されるプロセスだと考えるならば,メゾレベルの解析へのシフトは必然的といえるかもしれない。筆者自身も,地域社会や企業組織を対象とした研究を通じて,文化がどのように生成されるのかという問いに取り組んできた。そこでは,制度設計,評価基準,集合的活動のあり方が,人々の心的過程や幸福感に深く関与している証拠が示されてきた[4]

具体例をいくつか挙げておく。たとえば地域レベルの研究では,地理的・歴史的な要因が心に与える影響が検討されてきた。中でもトマス・タルヘルムらのグループが提唱した「水田稲作文化」の仮説は興味深い[9]。大規模な灌漑設備を共有し,多人数での緊密な協力を必要とする稲作地域では,他者との協調が生存の条件であった。これが,数世代を経て,その地域特有の「お互いさま」の精神や,強い規範意識を形成したと考えられる。また,筆者らの研究で実施した西日本の集落調査では,農業地域では,非農業者も含めてお祭りや自治会活動,地域防災といった集合的な活動への参加率が高く,日常的な共同活動を通じて,住民の協調性が高まっていることが示されている[10]。これは,共同作業という具体的な「プロセス」が,地域に共有される意味や規範を強固にし,地域コミュニティ全体に安心感をもたらしていることを示している。また,企業組織においても「文化」は強力に機能する。伝統的な日本型組織は,長期的な信頼関係と家族的な絆を基盤とする「クラン(親族)・カルチャー」として定義できる。ここでは,短期的な個人の成果よりも,集団全体の調和や,組織に長くいて愛着を持つことが重視される[11]

社会変容と心のメカニズム:社会課題への射程

こうした展開を通じて,文化心理学は国際比較という一定の方法論に依拠した分野を超え,社会科学が本来問い続けてきた「社会現象と心の関係」に迫ることが可能となり,研究上のつながりも格段に増えてきたと感じている。たとえば現在,経営学・経済学・社会学・法学といった分野の研究者との共同研究を通じて,文化心理学の視点が新たな可能性を切り開いている。

実際,文化心理学の視点は,現代社会がもたらしてきた構造的あるいは制度的なマクロな変容と,それによって生じる個々人の心の変化をつなぐ視点を提供しうるだろう。特に,グローバル化に伴う成果主義や競争原理の導入と,伝統的な日本人の心の働きとのミスマッチは,現代の多くの社会問題の根源にあると考えられる。成果主義は個人の自律性や達成動機を高める一方で,関係性の質や安心感を損なう可能性がある。日本社会が直面している課題も,こうした変化を文化的・歴史的文脈の中で相対化することで,より精緻な理解が可能となる。筆者はこれを「自己の二階建てモデル」として整理してきた(図1)[4]。一階部分には,幼少期からの家庭や地域での生活を通じてはぐくまれた,伝統的な「相互協調性」が土台として存在する。その上に,現代の教育システムやグローバル経済が求める「独立性・自律性・個人主義」が二階部分として後付けで増築されている状態である。この二つの階層がうまく統合されないとき,人々は深刻な自己矛盾に直面する。

図1 自己の二階建てモデル(文献4より)
図1 自己の二階建てモデル(文献[4]より)

日本的な「協調性」についても再考が必要である。それは単に「仲良くすること」を意味するのではなく,時に「場のルールを遵守し,自らの意志を抑制して周囲に合わせる」という規範意識を伴う。しかし,場の正義が強まりすぎると,誰もが本心を言えず,空気を読み合いすぎて非効率な意思決定がなされる「多元的無知」という極めて社会心理学的な現象も引き起こされる。

日本的な協調性は,他者からの評価を極度に気にする評価懸念や,周囲と同じである状態を求める同調圧力と表裏一体である。成果主義という「個人の責任」を厳格に問うシステムが,こうした「失敗すれば居場所を失う」という恐怖感が強い文化に導入されたとき,失敗のリスクを回避するために,社会という「場」からの退却(ひきこもり)を選択してしまうのかもしれない。

こうした問題の相対化は,単に「日本人は協調的だ」というステレオタイプに浸ることではない。むしろ,自分たちの心の仕組みや行動の背後に,どのような意味構造あるいは社会構造があるのかを客観的に理解し,協調性の多面的理解をもたらす一助になりうる。そうした知見により,より生きやすい「場」を設計するための出発点となるのである。

結び:文化心理学という視点から何を学ぶか

文化心理学が示してきた最も重要な知見は,心は社会や文化から独立して存在するものではないという点である。同時に,文化は固定された枠組みではなく,人々の実践によって変容しうる動的な存在でもある。文化心理学というレンズを通して社会を見渡すとき,私たちは多くを学ぶことができるのではないか。

第一に,「あたりまえを疑う力」である。この学問分野は,文化差を強調するためのものではなく,差異がどのような条件のもとで生じ,どのような意味を持つのかを理解するための理論的枠組みを提供する。そこから得られる視点は,他者理解にとどまらず,私たち自身の前提を相対化し,現代社会の課題を捉え直すための重要な手がかりとなる。自分が正しいと信じている価値観や社会にある制度が,決して唯一絶対の正解ではなく,特定の文化的な歴史プロセスの帰結であると知ることは,現代社会を賢明に生き抜くための智慧となる。他者,特に自分とは異なる文化から来た人の行動に対して,その背景にある「文脈」を想像する寛容さを,この学問は教えてくれる。

第二に,「場」について理解する視点である。個人の心や意識を変化させるのは簡単ではないが,私たちが共有する規範,評価の仕組み,活動のあり方といった「場」の設計を整えた結果として,個人の心の働きやウェルビーイングを支えることは可能である。特に,現在の日本に求められているのは,閉じた協調性ではなく,異なる価値観を持つ他者とも柔軟につながり,互いの主体性を認め合う「開かれた協調性」へのアップデートであり,それがなぜ生じているのかを理解することで,新しい処方も検討できるだろう。

文化心理学は,私たちがどのように世界に意味を与え,他者と共に生きていくのかという,人間としての根源的な営みを探求する学問である。心と文化をひもとくことは,私たちが生きる社会をより深く理解するための不可欠な営みである。文化という「見えない網」を自覚的に問い直し,次の世代へとつながる新たな幸福の形を模索できるのではないか。

文献

  • 1.Shweder, R. A. (1991) Thinking through cultures. Harvard University Press.
  • 2.Markus, H. R., & Kitayama, S. (1991) Psychol Rev, 98(2), 224–253.
  • 3.Bruner, J. (1990) Acts of meaning. Harvard University Press.
  • 4.内田由紀子 (2025) 日本人の幸せ:ウェルビーイングの国際比較. 中公新書
  • 5.Hitokoto, H., & Uchida, Y. (2015) J of Happiness Stud, 16, 211–239.
  • 6.Uchida, Y., & Kitayama, S. (2009) Emotion, 9, 441–456.
  • 7.Henrich, J. et al. (2010) BBS, 33, 61–83.
  • 8.Oishi, S. (2010) Perspect Psychol Sci, 5, 5–21.
  • 9.Talhelm, T. et al. (2014) Science, 344, 603–608.
  • 10.Uchida, Y., et al (2019) JPSP, 116, 1–14.
  • 11.Watanabe, Y. et al. (2024) Current Psychol, 43, 15445–15458.
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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