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Over Seas

母子で挑んだ海外サバティカル

尾形 明子
広島大学大学院人間社会科学研究科 教授

尾形 明子(おがた あきこ)

Profile─尾形 明子
2007年,広島大学大学院教育学研究科教育人間科学専攻博士課程後期修了。博士(心理学)。公認心理師・臨床心理士。2024年より現職。専門は臨床心理学,小児医療心理学,認知行動療法。著書に『学校でできる認知行動療法:子どもの抑うつ予防プログラム[小学校編]』(共著・日本評論社)など。

「小児がんの研究がしたい」。その思いは,出産後に研究を中断してから,ずっと心の中にありました。けれど現実は日常業務と育児に追われる毎日。会社員の夫は帰宅が遅く,ほぼワンオペ育児……。器用にやりくりできない私がやりたい研究をするためには,研究に集中できる時間と場所が必要だと考え,シドニーにあるニューサウスウェールズ大学での1年間のサバティカルを決めました。娘7歳,息子4歳。連れて行けば楽しいだろうという楽観的な気持ちは,徐々に子どもに負担をかけるのではないかという心配に変わり,渡航直前は母子で路頭に迷う夢を見るほど不安になりました。渡航後1か月は,家探しや子どもの学校の手続き,生活準備に追われる中,24時間子どもと一緒。研究は手につかず,必要以上に子どもにイライラしては自己嫌悪に陥る日々でした。さらに,円安がどんどんと進み,経済的な不安が頭をよぎりました。

そんな怒涛の日々を救ったのは,研修先で得た刺激でした。研究チームは9割が女性,毎年のようにベビーが生まれるとのこと。世界を牽引する研究者たちが,母でありながら,楽しく,そして確固たる使命感を持って研究に取り組む姿に感動しました。また,渡航前は「最先端のチームなら答えをもっている」と思っていましたが,実際には彼女たちも私と同じ臨床や研究の課題に悩み,試行錯誤していることを知りました。「同じ壁に向き合っている」。その事実は,国を越えて同志を得たような心強さを与えてくれました。

わが子の適応過程も私の学びになりました。現地の幼稚園に通った息子は最初,名前の呼び捨てや「Hey」という声かけに,「自分は嫌われている」と誤解して登園渋り。しかし,大好きなウルトラマンベルトをつけて登園することを歓迎してくれる温かい環境に助けられ,やがてスパイダーマンの衣装でキックボードに乗って登園し,どこでも裸足で歩く自由な日々を楽しむようになりました。一方で,いちばんの笑顔をみせるのは,日本で夢中だったおもちゃで遊ぶ時や日本語の通じる友達と走り回る時。環境が変わっても変わらず在る好きなものや思いっきり自分を表現できる場の大切さを実感しました。

現地の小学校に通った娘は,「英語で頭がおかしくなる!」と泣いたこともありましたが,さすが多文化国家。英語の話せない子への支援が充実しており,友達もたくさんできました。学校文化の違いも新鮮でした。教科書や宿題はなく,筆記用具はシェア。毎日あるおやつ休憩に誕生日の人が同級生に配るアイス。適切な行動(帽子をかぶって登校,列に静かに並ぶ,発表するなど)にはポイントが与えられ,ポイントを多く集めるとごほうびに私服登校ができるなどのポジティブな関わりの多さ。その居心地の良さからシドニーを離れる日も娘は登校しました。そして,学校でもお店でも,親ではなく,子ども本人に直接尋ねるという子どもを尊重する姿勢に,子どもの支援を専門とする一人として,ハッとさせられました。

このサバティカルは日本に残った夫にとっても転機となりました。一人になり自分を見つめる時間ができた夫は転職を決意。退職後3か月間シドニーに合流し,家族で濃い時間を共にしました。その時間は父子関係を大きく変え(夫婦関係も),帰国後の今,家族の会話や食卓の風景までも以前とは違うものになりました。

帰国してまだ1年も経っていないのに,シドニーでの日々は遠い昔のことのように感じるのは,日本の時間の流れがあまりに速いからでしょうか。母であることと,研究者であること。その両立に葛藤する方は多いと思います。私もその一人です。正直に言えば,サバティカル中,研究は計画通りに進まず,焦りやもどかしさもありました。それでも,子どもがいたからこそ見えた景色がありました。そして,子どもは研究の制約になるというより,何度も私を支えてくれる存在でした。このつたない体験記が,同じように悩みながら歩む皆さんへの小さなエールになれば幸いです(いつでも話,聴きます!)。

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