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こころの測り方
企業の現場で扱うこころのデータ

正木 郁太郎(まさき いくたろう)
Profile─正木 郁太郎
2017年,東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会心理学)。2024年より現職。著書に『感謝と称賛:人と組織をつなぐ関係性の科学』『職場における性別ダイバーシティの心理的影響』(ともに単著,東京大学出版会)など。
組織における人の心理・行動や集団現象に関する研究では,その研究主体や取り組み方が多様化しています。成果を学術的に論文誌や学会で発表することを目的とする「研究者」(多くは大学や公的研究機関に所属)以外に,企業が異なる目的で参入することも増えたように思います。例えば,企業人事が自社の人材採用・育成を目的にデータ分析を行うケースや,人事関連サービス(例: アセスメント,AIによる面接支援)の事業者が効果検証に取り組むケースも増えています。その結果がビジネスレポートなどで公表される広義の「研究」のほか,それを学術的意義も含めて発展させた内容が論文誌や学会で発表され,伝統的な学術研究の形に至ることもあります。
では,こうしたさまざまな研究では「こころ」のどのような側面を,どのようなデータを使って可視化・分析することを目指しているのでしょうか。本稿では特に人事・組織関連のテーマを中心に,企業現場で扱うさまざまなデータの特徴や課題,工夫を紹介します。加えて,筆者が考える「現場と深く関わる研究をすることの魅力」もお伝えしたいと思います。
誰が,どのようなデータを扱うか?
企業主体の研究や大学との共同研究では,多様なデータが「こころ」と集団のメカニズムを明らかにする目的で使われます。具体的にどのようなデータが,何を捉えるために使われるのでしょうか。
まず,伝統的な質問紙調査は今でも頻用されます。仮説検証のために研究者が独自に設計,実施することもあれば,既存の性格検査やモチベーションなどに関する年次調査(例: エンゲージメントサーベイ)を二次利用することもあります。後者の場合は経年で蓄積されたパネルデータとなることも多々あり,因果関係や時系列変化を捉えるための学術研究上も貴重なデータの一つです。質問紙はさまざまな内容を捉えるために使用でき,主に「従業員の主観」に関わる特徴,個人レベルではモチベーションや,集合的な特徴では組織風土などを測ることに向いています。
次に,人事データを用いることも多くあります。従業員の異動履歴や過去の人事評価,研修の受講履歴,営業成績などです。筆者の感覚ですが,2010年代後半頃からこうしたデータが紙媒体ではなく人材管理ツールによってデジタル化されることが一般的になりました。質問紙調査のような自己報告に頼らないデータとして,客観的な成果や行動,あるいは従業員が積んだ経験を定量化するために向いています。それもあり,「どのような人材が自社で定着,活躍しやすいか」といった採用・育成の研究領域でよく活用されています。
近年は従業員の活動データも使われます。例えば,社内の提案活動への参加履歴や,交流の履歴,オフィス内での従業員の位置情報などです。プライバシーへの配慮が必要ですが,自己報告に頼らず,かつ研究対象のフィールドでの実際の行動を測定できるため,自己報告では正確な回答が難しい細かな行動の違いや,従業員同士の関係性,オフィスなどの物理的空間との相互作用といったものを捉えるのに便利です。元々企業内で行われていた活動であれば,質問紙のように従業員に追加の回答負荷をかけないことも利点です。
最近は,こうした多様なデータを用いて企業人事や人材関連サービス事業者が課題解決を目的に行う研究活動のことを,「ピープルアナリティクス」と呼ぶこともあります。伝統的な学術研究との違いは何かといった境界に関する疑問は残ります。しかし研究の主体やデータが多様化していることは確かですし,保有する上記複数のデータを組み合わせて多面的に「こころ」や行動,集合現象を研究できる点は長所です。
また,近年は企業との共同研究で多様なデータを活用する例もあります。筆者が取り組む「組織における感謝」の研究でも,①従業員同士がアプリで感謝や称賛を交わしたログを使用した例[1],②従業員の360度評価の情報と感謝の履歴を組み合わせた例[2]があります。どちらも慎重な匿名化や企業との綿密な調整が必要ですが,質問紙では収集が難しいフィールドでの行動を捉え,企業にとって重要な成果指標となる「評価」とつなぐことで,研究の意義は増します。また,ネットワーク分析やマルチレベル分析,時系列を考慮した分析なども可能になるため,分析上も大きな可能性を秘めています。
3つの課題と工夫
ただしこうした多様なデータを活用した研究には,さまざまな課題や障壁もあります。ここでは主な課題と筆者なりの対処の工夫を紹介します。
1つめの課題が,こうしたデータに触れるために企業との綿密な調整や連携が必要なことです。学術目的の研究者と企業では,研究に対する価値観や文化が大きく異なります。概して企業側は課題解決が目的のため,論文や学会発表の重要性を伝えることも必要ですが,それよりも課題解決への貢献が優先になります。こうした細かな価値観や文化の調整が必要となり,研究のコストが増す(そしてコストが学術業績として実るとも限らない)ことも事実です。
2つめの課題が,特に人事データや活動データは「きれいではない」点です。例えば,2つの部署を兼務する人がいたら,分析の際には「所属部署」はどう定義・コーディングするのがよいのでしょうか。あるいは,縦断データの途中で人事異動や組織改編があったら「同じ組織のデータ」と扱ってよいのでしょうか。
質問紙調査でも,特に過去に実施されたデータを二次利用する際に類似の課題に直面します。企業が独自に実施した質問紙調査では,学術的な信頼性や妥当性が不明な質問も多くあります。こうした質問は往々にして実務的には分かりやすい,現場の実態に沿った表現が使われています。そのため,一概に妥当性が低いと切り捨てるべきでないものの,「聞いている内容はよく分かるが,『学術的に』どう扱うべきか」という悩みに直面します。こうした多様なデータならではの疑問は,どれも対処法の「正解」が定まっていません。そのため,結局は研究者が自分なりに説明責任を果たすしかない,と割り切ることも必要と考えます。
3つめの課題が「調査疲れ」です。前述のように豊富なデータを研究に使いやすくなった一方で,従業員からすれば,既に多くの社内調査やデータ収集が定期的に行われているため,「調査疲れ」が広がっています。新規の調査依頼が経営層や人事部門から敬遠されることも増えたと感じており,「ただでさえ忙しい現場の業務を止めないように」と要請されることも多いです。そのため既存データの組み合わせで代替する,独自調査を実施する実務的意義を十二分に伝える,超短縮版尺度を積極的に使用する,などの工夫が必要です。
苦労が多いが意義も大きい
このように,多様なデータを活用し,学術研究として成立させるには,生々しい現実を扱うが故の複雑さや苦労も多くあります。それでも,私はこうしたデータを研究に活かす魅力や意義は大きいと考えます。
一番の魅力は,研究対象にできる現象や測定可能な「こころ」の側面が増えることです。例えば私が取り組む感謝の研究であれば,アプリ上の感謝行動のログを使えば,①「誰に送ったか」による心理的効果の違いや,②質問紙では回答が難しい部署内の客観的なつながりの強さ・多様さを,ネットワーク分析やマルチレベル分析で定量的に分析可能になります。個人の主観に基づく質問紙や,疑似的な環境での行動を扱う実験室実験だけでは検討が難しい問いに挑めることは大きな魅力です。
他方で,背後には研究者としての危機感もあります。センシング技術やAI活用の進展などにより,企業を主体とする研究では多様なデータの活用と分析が日進月歩で進んでいます。中には,大学などに所属する研究者が単独では得難いデータも多々あり,企業による研究の方が多様な態度や行動,客観的成果などの複雑な関係を多面的に明らかにできているのではないかと感じることもあります。だからこそ,学術研究を主とする研究者としても,こうした多様なデータの活用に積極的になり,企業現場との関わり方も一層真剣に考える必要があると考えています。
このように企業現場で扱う多様なデータは,さまざまな態度や行動,グループ・ダイナミックスといった複雑な「こころ」の仕組みに挑む強い武器になりえます。私も未だ試行錯誤の繰り返しですが,その楽しさや知的刺激を共有し,共に挑む方が少しでも増えることを願っています。
文献
- 1.正木郁太郎 (2024) 感謝と称賛:人と組織をつなぐ関係性の科学.東京大学出版会.
- 2.正木郁太郎・久保健 (2024) 組織科学, 58(1), 88–100.
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