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【特集】

妬み屋の弁明─「持たざる者の悪意」 の正体

澤田 匡人
学習院大学国際文化交流学部 教授

澤田 匡人(さわだ まさと)

Profile─澤田 匡人
2002年,筑波大学大学院心理学研究科博士課程修了。博士(心理学)。専門は感情心理学,教育心理学。宇都宮大学講師,准教授などを経て,2026年より現職。著書に『子どもの妬み感情とその対処』(単著,新曜社),『Envy at Work and in Organizations』(分担執筆,Oxford University Press),訳書に『シャーデンフロイデ』(単訳,勁草書房)など。

そんなことは誰も言いはしまい!……

だが,いまは,わたし自身が言うのだ——

いまのわたしは妬み屋だと。

わたしは妬んでいる,

深く,耐えがたいほど妬んでいる[1]

プーシキンの小悲劇『モーツァルトとサリエーリ』は,ウィーンの宮廷楽長サリエーリの苦悩に満ちた独白から幕を開ける。自分が妬みとは無縁だったと嘯(うそぶ)きながらも感極まるのが,冒頭の一節である。労苦と勤勉を重ねて栄光を手にした男が,遊んでいるようにしか見えない若造─モーツァルト─の天与の才を前に,己を「妬み屋」と認めるほかなくなる。映画『アマデウス』の下敷きとしても知られるこの戯曲は,妬みという感情の急所を突いている。地位も名声も持っていたはずのサリエーリが,たった一人の作曲家の登場により,たちまち「持たざる者」と成り果て,悪意を纏(まと)う側へと転げ落ちてしまうのだ。

妬み(envy)とは,自分が持っていない優れたものを,他者が持っているときに生じる感情である。よく似た嫉妬(jealousy)が,寵愛(ちょうあい)や恋人など,すでに持っているものを奪われる場面で生じるのとは区別される。妬みの引き金はあくまで比較にあるから,何をどれほど持っていようと,上には上がいる限り,誰もがサリエーリになりうる。

それでいて,妬みの評判は芳しくない。七つの大罪に数えられ,古今東西,戒めの対象であり続けてきた。同じ「イヤ」な感情でも,何かが思い通りにいかずに「腹が立つ」と漏らすのはよくあることだが,「妬ましい」と認めるのは存外に難しいものだ。あの独白が胸に迫るのは,誰もが秘めておきたい悲痛な思いを語っているからである。しかし,どんな感情にも生まれる理由があり,固有の働きがある。本稿では,妬み屋の一人でもある筆者が,この分の悪い感情のために数々の研究知見をその証拠として提出する─いわば,妬み屋の弁明である。

妬みをめぐる混沌

長らく妬みは,劣等感や恨み,敵意がひとかたまりになった破壊的な感情とみなされてきた。ところが,オランダ語のように妬みを2つの語で言い分ける言語に着目した研究を機に[2],相手を引きずり下ろそうとする「悪性妬み(malicious envy)」だけでなく,自己向上を動機づける「良性妬み(benign envy)」を想定するアプローチに注目が集まった。さらに,妬みの中心に痛みを据え,破壊的な行動も建設的な行動も,その痛みから生じるとみなす理論も提唱され,これらの立場は微妙に噛み合わないまま研究されてきた。

こうした混沌とした状況に一定の決着をつけたのが,ドイツの心理学者ランゲらの痛み駆動双数妬み理論(Pain-driven Dual Envy: PaDE理論)である[3]。これまでの研究を網羅した膨大な妬み経験データの分析から,妬みは,劣等感に苛(さいな)まれ,相手の優位が頭から離れなくなる「痛み」を共通の核とし,そこから良性妬みと悪性妬みの2つへ枝分かれすることが見出された(図1)。妬みの正体は悪意だけではなかったのだ。この理論に先立つこと10年以上前にも,妬みが3つの側面(苦痛感情,欠乏感情,敵対感情)から成ることが日本の小中学生でも報告されており[4],PaDE理論に基づく妬みの構造は,日本人の大学生でも確認されている[5]。この理論によれば,優れた他者との比較(上方比較)の直後に鋭く走る痛みは,時間とともに薄れる一過性の反応であり,良性妬みと悪性妬みは,その後の行動を方向づける持続的な構えとして働く。図1を信号機に見立てるなら,黄はほどなく消え,あとは青か赤のどちらかが灯り続けることになる。

図1 痛み駆動双数妬み理論の概略(文献3および文献5に基づき作成)
図1 痛み駆動双数妬み理論の概略(文献3および文献5に基づき作成)
●は各概念を測定する項目例(PaDE理論に基づく妬み尺度の日本語版,文献5)で,「その人」とは妬ましい相手,「X」はその人が手にしている望ましい対象を指す。図の配色は原典で使われているものに合わせたが,痛みは黄,良性は青(緑),悪性は赤と,はからずも日本の信号機とも対応している。なお,妬みはしばしば色で語られる。ドイツ語には「妬みで黄色くなる(gelb vor Neid)」,英語には「妬みで緑色になる(green with envy)」という言い回しがあり,日本語では,他人のものがよく見えることを「隣の花は赤い」「隣の芝生は青い」と表す。

残る2色は,良性妬みと悪性妬みである。痛みがどちらの色を灯しやすいかには個人差があり,いわゆる「妬みやすさ」という性格としても測定できる[6, 7]。この尺度もランゲらの手によるもので,「他の人たちの優れた成果に,私も追いつこうと努力する」(良性妬み),「羨ましく思える人たちに対して,私は悪意を感じる」(悪性妬み)といった項目が並ぶ。はたして,あなたの中に住まうサリエーリは,どちらの文章に首肯するだろうか。

隣の花が赤いなら……

妬みの深刻な帰結の一つはいじめだと,かねてより論じられてきた[8]。疑われるのは,悪性妬みである。「いじめゼロ」のスローガンを尻目に,文部科学省の調査ではいじめの認知件数は,コロナ禍で一時減少したのち,右肩上がりで記録更新中である[9]。ただし,本稿では,いじめの多さを問題視したいわけではない(そもそも認知件数は,丁寧に調べるほど増える性質の数字でもある)。ここで考えてみたいのは,いじめの芽を育てる土壌についてである。私たちは,中学生1,099名(39学級)を分析対象として,悪性妬みといじめの関係を調べた[10]。測定したのは,殴る蹴るといったあからさまな暴力ではない。「誰かから嫌われているクラスメイトから距離を取る」といった,いじめを間接的に強化する行為や,「間違いや失敗をしたクラスメイトをからかう」「髪形や服装を変えたクラスメイトを大袈裟に褒める」といった,からかいに類する行為─教室の日常に紛れ込み,いじめの入り口となりうる潜在的ないじめ関与と呼ぶ行動であった。

この研究では,妬みやすさだけでなく,学級集団の特徴として,いわゆる「和を重んじる傾向」に近い相互協調性に着目した。生徒一人ひとりの傾向とは別に,学級ごとの回答から学級全体としての相互協調性を割り出し,個人と学級の2つのレベルから,いじめ関与に及ぼす影響を分析した。

その結果,個人レベルでは,悪性妬みを抱きやすい生徒ほど,いじめ関与が多かった。悪性妬みの本領発揮といえよう。注目すべきは学級レベルだ。相互協調性の高い学級ほど,悪性妬みが強く,それを通じていじめ関与も多かったのである。

意外に思われるだろうか。協調的な学級は,いじめとは無縁の「仲の良いクラス」に見える。しかし,足並みをそろえることが何より重んじられる集団では,そこからはみ出す者,つまり目立つ者や秀でた者の存在が許容されにくい。「普通」からわずかに突き出た杭は,打たれる対象となる。「仲良くする」という善意の土壌が悪性妬みを育て,いじめの芽を吹かせていたわけである。しかも,担任教師に「学級の荒れ」を評定してもらったところ,その評定は,学級の相互協調性とも悪性妬みとも関連していなかった。どうやら,まとまりのよい学級の水面下で,いじめの芽は教師の目に映らないまま,静かに根を張っていくものらしい。

もちろん,相互協調性を悪者扱いしたいわけではない。問題は,それが過度に強まった集団で,均質さを求める圧力に姿を変えかねないことである。特定の「悪い子」としての妬み屋を裁くだけでは,この問題の終わりは見えない。いじめは,学級という集団の構造のあり方に根差してもいるのだ。

隣の芝生が青いなら……

一方,良性妬みは,痛みを別の場所へ運ぶ。ここで見ていくのは,良性妬みの抱きやすさがもたらす帰結である。ランゲらは,マラソン大会の参加者への調査で,良性妬みを抱きやすい走者ほど完走目標を高く設定し,実際の成績も良いことを報告している[6]。日本の大学生を対象とした研究でも,良性妬みを抱きやすい人ほど目標得点を高く掲げ,試験得点も高いことが確認されている[7]。

なぜ良性妬みを抱きやすい人は,成果を上げられるのか。この問いに答えるため,私たちは達成目標理論の枠組みを借りて,女子大学生294名と女子高校生227名のデータを分析した[11]。この理論では,学業に関わる目標を,「以前の自分」と「他者」のどちらを基準にするか,成功への「接近」と失敗の「回避」のどちらを目指すかによって,4つに分ける。結果は図2の通り,大学生でも高校生でも,良性妬みを抱きやすい人ほど「他者よりも良い成績を収めることを目指す」遂行接近目標が高く,それが試験(大学生:特定の講義科目,高校生:学年末の主要5教科)の得点の高さに結びついていた。しかも,自分をよく見せようとする回答傾向(社会的望ましさ)を考慮した場合でも,こうした関連が認められたのである。悪性妬みについては,習得・遂行のいずれの回避目標を介しても,試験得点への影響は見られなかった。

図2 良性妬み・悪性妬みと達成目標,試験得点との関連(文献11より作成)
図2 良性妬み・悪性妬みと達成目標,試験得点との関連(文献11より作成)
●は各概念を測定する項目例(PaDE理論に基づく妬み尺度の日本語版,文献5)で,「その人」とは妬ましい相手,「X」はその人が手にしている望ましい対象を指す。図の配色は原典で使われているものに合わせたが,痛みは黄,良性は青(緑),悪性は赤と,はからずも日本の信号機とも対応している。なお,妬みはしばしば色で語られる。ドイツ語には「妬みで黄色くなる(gelb vor Neid)」,英語には「妬みで緑色になる(green with envy)」という言い回しがあり,日本語では,他人のものがよく見えることを「隣の花は赤い」「隣の芝生は青い」と表す。

「あの人に追いつきたい……あわよくば追い越したい」。良性妬みを抱きやすい人は,上方比較による痛みを,特定の相手を見据えた目標へと変換し,それを実現できるのかもしれない。一方,悪性妬みは学業と無縁というわけではなく,カンニングのような不正行為との関連も報告されている[12]。PaDE理論の見立てに従うなら,どちらの妬みを抱きやすいかにより,同じ痛みでも,机にかじり付く粘り強さや,抜け道を探る狡猾(こうかつ)さにつながるということになる。

メシウマとメシマズ

では,妬んだ相手がその後に転落したら,あるいは,自分と比べるのもおこがましいような高みに昇っていったなら,痛みはどうなるのだろうか。

インターネットには「メシウマ(他人の不幸で飯がうまい)」というスラングがある。これは,ドイツ語のシャーデンフロイデ(schadenfreude),すなわち他者の不幸を喜ぶ感情を意味する[13]。この感情の薪となるのが悪性妬みであることが確認されている[14]。妬ましい相手が勝手に転んでくれれば,わざわざ手を下すまでもなく,傷ついた自尊心は癒されるというわけだ[15]。人の不幸を喜ぶなど卑しい,と眉をひそめる向きもあろう。だが見方を変えれば,わざわざ相手を傷つけなくても,私たちは自分の妬みを宥(なだ)める術(すべ)を持ち合わせているということになる[13]。

メシウマには対になるスラングがある。それは「メシマズ(他人の幸せで飯がまずい)」である。英語圏では,この経験にグラックシュメルツ(gluckschmerz)というドイツ語風の呼び名があてがわれた[16]。シャーデンフロイデとは正反対に,他者の幸せに痛みを感じる経験を意味するものの,これは一般的なドイツ語にはない造語である。しかし,こうした経験に心当たりはないだろうか。例えば,妬ましい相手がさらなる成功を遂げたなら,その差を縮めようと考えることすら身の丈に合わないと,行き場のない苦痛を燻(くすぶ)らせるよりほかなくなりはしないか。まるで青にも赤にも変われないまま点滅し続ける黄色信号のように。これこそが,妬みから派生するグラックシュメルツかもしれない。

それが妬みと歩む道

こうして見ると,妬みの痛みには行き先がある。相手を引きずり下ろす道,相手を追いかける道,相手の転落に頬をゆるめる道,そして痛みが迷い込む袋小路。なるほど,妬み屋の運命は,妬みがどの道を照らすかにかかっているようだ。

だとすれば,「いかに妬まないか」というのは,「いじめゼロ」よろしく,実態との乖離が甚だしい絵空事だ。人と関わる中で自然と生まれる感情はそう簡単には消し去れるものではなく,そもそも妬みをことさらに目の敵にする発想に無理がある[17]。問われるべきは,妬みという名の痛みの行き先である。

その分かれ目の手がかりはある。妬みの最中に「自分がああしていれば」と自分の行動を思い浮かべる人は良性妬みに,「あの人さえいなければ」と相手に思いを向ける人は悪性妬みに傾きやすいという[18]。しかも,学級の研究が示したように,行き先は個人の性格だけでは決まらない。周囲との協調が是とされる風土では,痛みは良性ではなく悪性の出口へと向かいかねない。妬みがいかなる帰結をもたらすかは,妬み屋を取り巻く環境次第でもあるのだ。

サリエーリの話に戻そう。彼がモーツァルトを毒殺したという風聞はその晩年のウィーンに広まり,プーシキンの筆を経て伝説となった。しかし,史実では,モーツァルトの遺児だけでなく,ベートーヴェンやシューベルトまでが薫陶を受けたのは,まさにサリエーリその人であった。また,モーツァルトに招かれた桟敷(さじき)で『魔笛』を観劇し,序曲から最後の合唱まで絶賛し続けたことを,モーツァルト自身が嬉しそうに妻宛の手紙にしたためている[19]。誰よりも正確にあの音楽の凄みを聴き取っていたのは,ほかならぬこの「妬み屋」だったのではないか。音楽を深く愛し,価値を見抜いていたからこそなせる芸当だ。どうでもよい相手を,人は妬みはしない。

誰かの成功に胸の奥がちくりと痛んだら,あわてて蓋をする前に,ひとまず一呼吸おいてみてほしい。その痛みは,あなたが何を望み,何をまだ諦めずにいるかを告げてくれている。妬み屋に必要なのは懺悔(ざんげ)ではなく弁明─己の独白に耳を傾け,痛みの行き先をともに選ぶことなのである。

文献

  • 1.プーシキン,A. S./郡伸哉訳(2002)モーツァルトとサリエーリ.青銅の騎士(pp.7–26).群像社.
  • 2.van de Ven, N. et al. (2009) Emotion, 9, 419–429.
  • 3.Lange, J. et al. (2018) J Pers Soc Psychol, 114, 572–598.
  • 4.澤田匡人 (2005)教育心理学研究,53,185–195.
  • 5.澤田匡人他(2019)学習院女子大学紀要,21,31–48.
  • 6.Lange, J., & Crusius, J. (2015) Pers Soc Psychol Bull, 41, 284–294.
  • 7.澤田匡人・藤井勉(2016)心理学研究,87,198–204.
  • 8.土居健郎・渡部昇一(1995)いじめと妬み.PHP研究所.
  • 9.文部科学省(2025)令和6年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要.
  • 10.Hitokoto, H., & Sawada, M. (2021) Emot Stud, 7, 25–36.
  • 11.澤田匡人他(2026)心理学研究,97,180–187.
  • 12.Fam, J. Y. et al. (2020) Psychol Stud, 65, 420–428.
  • 13.スミス,R. H./澤田匡人訳(2018)シャーデンフロイデ.勁草書房.
  • 14.van de Ven, N. et al. (2015) Cogn Emot, 29, 1007–1025.
  • 15.van Dijk, W. W. et al. (2015) Eur Rev Soc Psychol, 26, 247–282.
  • 16.Smith, R. H., & van Dijk, W. W. (2018) Emot Rev, 10, 293–304.
  • 17.Leahy, R. L. (2021) Cogn Ther Res, 45, 418–427.
  • 18.Crusius, J., & Lange, J. (2021) Emotion, 21, 905–920.
  • 19.モーツァルト,W. A./吉田秀和編訳(1991)モーツァルトの手紙.講談社
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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