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【小特集】
世界を意味づける「プロジェクション」─推し活で考える心と現実

久保(川合)南海子(くぼ(かわい) なみこ)
Profile─久保(川合)南海子
博士(心理学)。専門は実験心理学,生涯発達心理学,認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス』(共編著,新曜社),『「推し」の科学』『イマジナリー・ネガティブ』(ともに単著,集英社)など。
自分が「何をするか」
いまや社会現象としても注目されている「推し」や「推し活」。耳慣れたけれど,いまいちわからないような気もする「推し」とは,いったい何なのだろうか。職場の同僚に,フィギュアスケーターの羽生結弦のファンがいる。ある日,ふだんからおしゃれな彼女のネイルがとてもすてきだったので褒めたら,実は羽生結弦の衣装をモチーフにしているという(図1)。その瞬間,私は,彼女にとって羽生結弦は「推し」なのだ,と気づいた。
ただのファンと「推し」では,好きの程度が異なるのはもちろんだ。けれど,それよりも大きなポイントは,ファンである自分が「何をするか」にある。「推し」をめぐってファンはいろいろなことをしている。その対象をただ受け身的に愛好するだけでは飽き足らず,能動的に何か行動してしまう対象が「推し」である,と私は考えている。
対象をただ受け身的に愛好するだけの段階から,好きという情熱に突き動かされ,何かしたい,という気持ちになったら何をするだろうか。応援する,他の人にすすめる,グッズを集めるなどは,「推し」を推す,はじめの一歩だ。ファンとして「何かをする」ことは,その人を受動的なファンから能動的なファンへと変化させる。
「応援」行動が心を変える
自分から対象に働きかける行動によって,心は変化するのだろうか。身体性認知(embodied cognition)という考えかたでは,人間の認知活動を心と身体と環境とのダイナミックなやりとりとしてとらえる。これは心から行動を考えるだけでなく,身体の行為から認知をとらえなおそうというアプローチでもある。
三浦慎司と川合伸幸[1]は,大学生を対象にアニメ『あしたのジョー』のキャラクターを応援してもらい,その対象への好みや魅力度,強さを評価させた。具体的な動作としては,大型モニターの映像に向かって大太鼓を叩くような動きでペンライトを振るように指示された。参加者には「映像に合わせてペンライトを一定間隔で振り,動きのずれが生じるか測定する」というニセの目的を告げていたから,実は「応援」しているという自覚はない。ところが,ライブのようにペンライトを振っていた条件のときに活躍していたキャラクターだけ,実験後の評価で魅力度が突出して高くなっていた。実験前にはほとんどフラットな状態だった参加者の心でさえこうなるのだから,そもそも自分が好きな対象を,意識的に能動的に応援するという行為によって,さらに対象を魅力的に感じるようになるのかはいうまでもない。
このような効果は,感想をSNSに書いたり,グッズを集めたりする行為でも同様だろう。自分が好きな対象に働きかけることは,自分の「推し」に対する想いが増幅されていく,底なしの循環システムのなかへ飛び込むことにほかならない。「推し」のいる人たちが,そのような自分と「推し」のありようを「沼」と表現しているのはたしかにそのとおり,ある意味とても写実的ともいえる。
対象に自分の認識を重ね合わせる
対象への働きかけは,対象ではなく働きかけた自分の心を変化させる。つまり「推し」を推すことは,自分の心や行動が変わることだといえる。よくある「推しに救われた」という経験は,「推し」が自分に直接何かしてくれたということではない。「推し」によって自分が何かに気づいたり,自分が何かできるようになったり,自分をとりまく世界のとらえかたが変わったということなのだろう。「推し」には,推す「自分」と推される「対象(世界)」が存在する。「推し」とは,自分だけでも対象だけでも成立しない,それらの「関係性」であるといえる。
たとえば心理学や認知科学は,人間はどのように外界の情報を処理して,世界をどのように認識しているのか,深く詳細に研究してきた。しかし,「推し」のように,自らの働きかけで自分の内部世界とモノや他者といった外部世界をつなぐような心の働きについてはあまり検討されていない。なぜなら,外部からの情報を処理して世界を認識できたなら,すなわちそれが世界なのだろう,と考えられてきたからだ。
対象(世界)と自分の関係性において,自分がどのように対象(世界)を認識するかだけでなく,認識を自分はどのように対象(世界)へ重ね合わせていくのか? 心と世界はどのようにつながっているのか? このおもしろそうな心の働きにアプローチする研究の概念が最近,認知科学から登場した。それが「プロジェクション」である。
私の心が現実世界を意味づける
プロジェクションとは,2015年に初めて提唱された概念である。鈴木宏昭[2]は,「プロジェクションとは,作り出した意味,表象を世界に投射し,物理世界と心理世界を重ね合わせる心の働きを指している」としている。人間は,自分をとりまく物理世界から入力された情報を受け取り,それを処理して,表象を作り出す。それは人間にとっての意味となる。しかし,このような情報の受容と表象の構成は,人間の心の働きの半分でしかない。もう半分では,作り出した表象を物理世界に重ね合わせ,自分で意味づけした世界のなかでさまざまな活動をしている。この一連の心の働きが,プロジェクションである。
「推し活」には,プロジェクションがよくみられる。同僚のネイルには彼女の想いが投射され,特別な意味のあるモノとして彼女の世界を豊かにしている。学生の文房具をふと見たら,ある色のものばかりだったので「これ,あなたの推しの〇〇のカラーだね!」といったら,「そんなつもりはないんですけど,なぜか持ち物が推しの色ばかりになっちゃうんです……」とのこと。その人にとってその色は,ほかの色よりも特別な意味を持つ色なのだ。「推し」のいる(ある)人にとって,こんなエピソードは枚挙にいとまがない。
「推し」のグッズは,そのものがついているものばかりでなく,イメージを彷彿とさせるようなものも多い。色やかたち,数字や香りなど,さまざまなモノに「推し」のイメージが投射される。熱心なファンが集めるのは公式に販売されているグッズばかりではない。「推し」のイメージに合うものを自分で見つけ出したり,作ったりすることも「推し活」の楽しみである。以前ある水筒メーカーが,ユーザーの「〇〇くんのメンバーカラーがあったらいいのに」という希望に応えて新色を発売したことで大きな話題となった。その色は,「〇〇くんファン」だけでなく,その色に関連するさまざまな他の推しのイメージをも投射できるモノとして幅広く歓迎されたのである。
プロジェクションで世界は深化する
プロジェクションでは,個人それぞれの表象が投射される。このように,同じモノを見ていても人によってその意味が違うことや,同じモノであるのにこの前といまでは自分のなかで意味が違う,などは日常でも本当によくあることだ。私たちの世界には,ただ物理的なモノが存在しているだけではない。プロジェクションによって,物理的なモノにひとりひとりが「意味」を与えているのである。そのような心の働きによって,世界はモノと意味とで彩られている。「推し」にかぎらず,そのように自分と世界をつなぐときに,私たちは世界を意味づけている。意味づけることで,その人の世界はその人らしく,他の人たちやモノが存在する世界とつながっている。
人間は,自らをとりかこむ物理的な世界をより深く豊かにするために,プロジェクションという心の働きを備えている。私たちは,モノの世界のなかでただ受け身的に生きているのではない。私たちは,プロジェクションによって,モノの世界を自分なりに意味づけて生きている。そして,それは個人で,ときには他者やコミュニティで共有されて,この世界を鮮やかに彩りながら深化させているのである[3]。
文献
- 1.三浦慎司・川合伸幸(2020)日本認知科学会第37回大会発表抄録集,pp.532–537.
- 2.鈴木宏昭(2020)プロジェクション・サイエンスへの誘い.プロジェクション・サイエンス:心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学(pp.Ⅲ-Ⅷ).近代科学社.
- 3.久保(川合)南海子(2022)「推し」の科学:プロジェクション・サイエンスとは何か.集英社.
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
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