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どうして心理学が「行動」の科学になったのだろう?

松井 大(まつい ひろし)
Profile─松井 大
博士(心理学)。専門は比較心理学。研究したことがある動物は,カラス,ハト,マウス,ラット,ヒト,イヌ,ナイカイムチョウウズムシ。
いきなりですが,心理学ってなんでしょう? 辞書を引いてみると,「心と行動の科学」という文言が現れがちです。しかし,よく考えてみると,この定義には判然としない部分がありますね。なぜ「行動」が心理学の定義に入るのでしょう? それは「心」と並置されるような概念なのでしょうか? 言語学者チョムスキー(Noam Chomsky)は悪口が上手な人で,「行動の研究なんて,物理学を計測器の読み取りの科学というようなものだ」などと罵った,なんて話もあります。
心理学が行動の科学だと明言されたのは,行動主義の勃興よりも少し前のことです。おそらく,初出はピルスベリー(Walter B. Pillsbury)の『心理学要点』(1911)ですが,中身は従来の心理学と変わらないものでした。直後に「行動主義宣言」(1913)を敢行するワトソン(John B. Watson)も,これにはガッカリです。実際,「行動主義宣言」にて,ピルスベリーを名指しで批判しています。
ただ,これより前にも,マクドゥーガル(William McDougall)という人が『生理学的心理学』(1905)にて,心理学を“conduct”の学と定義しました。1912年に出版した『心理学:行動の研究』では“behaviour”を使っているので,結局,この言葉に落ち着いたのでしょう。というわけで,マクドゥーガルが,いわば「行動の科学宣言」(not「行動主義」宣言)をしたというわけです。
重要なのは,マクドゥーガルがなぜ,心理学を行動の学だと考えたのかということです。米国ではすでに,ジェイムズ(William James)が『心理学原理』(1890)にて,心理学は精神生活(mental life)の学であると定義しています。あえてそこに手を加えるからには,相応の理由があるはずです。
本人の言葉を直接聞いてみましょう。マクドゥーガルにとって,行動とは次のようなものでした。
「生物が行動を示すというとき,それは生物が自らを自己決定する固有の力を持ち,自分自身の福利(welfare)と,目標(end)ないし目的(purpose)を,能動的に,あるいは努力して追求しているように見えるということを意味している」(McDougall, 1912, pp. 19–20)
ここで行動とは,単に身体が動く物的な事象ではなく,目的に向かっていく能動的なプロセスであることが強調されていることがわかりますね。
どうやらマクドゥーガルにとって,この意味での「行動」がもっとも中立的な題材に映ったようです。当時の心理学は,「自己観察」(あるいは「内観」)が主要な方法でしたが,それすらすでに,心理学の射程をすべて汲み尽くすには狭すぎるものでした。他方で,心的な活動にみられる合目的性や能動性を考慮せず,行動を生理学的・物理的過程だけで説明しようとすれば,心理現象を物質の運動へと還元する見方に傾きかねません。実際,19世紀後半には,生理学の発展に伴って,このような機械論的・唯物論的な見方が強まっていました。
この両極をうまい具合に避けられるのが,「行動」という概念だったわけです。意識を重視する立場であれ,生物学的な説明を重視する立場であれ,行動そのものは観察できる事実として心理学者の前に現れます。だからこそ「行動」は,どちらか一方に偏りすぎず,心理学の出発点として使いやすい概念だったのです。
こうやって見ると,行動に期待された役割は冒頭のチョムスキーの揶揄から受ける印象とは随分と異なるのがわかります。マクドゥーガルは,存命中,ワトソンと公開討論をするなど大立ち回りを見せましたが,その後の心理学の歴史ではあまり名前を聞くことがない人物です。しかし,「行動」を心理学の中心に据えた水源地として再訪してみると,なかなか示唆に富んでいることがわかります。
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