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Over Seas

家族で歩んだスイスでの研究生活

齊藤 俊樹
東洋大学社会学部 准教授

齊藤 俊樹(さいとう としき)

Profile─齊藤 俊樹
2020年,東北大学大学院医学系研究科博士後期課程修了。博士(医学)。日本学術振興会特別研究員,同海外特別研究員を経て,2026年より現職。専門は社会心理学,認知科学。筆頭論文にCultural differences in recognizing emotions of masked faces. Emotion, 2023, https://doi.org/10.1037/emo0001181など。

私が海外特別研究員の採択通知を受け取ったのは,妻が第一子の出産を3か月後に控えた9月でした。願ってもない知らせでしたが,これから始まる育児と在外研究を両立できるのか,不安を感じたことを覚えています。しかし振り返ると,家族と過ごしたスイスでの時間は,研究者としてだけでなく,私自身の生き方にも大きな影響を与えました。

スイスへの渡航にあたり,最初に直面した問題は住居探しでした。滞在先の大学から宿舎は提供されず,自分で探す必要がありました。そこで,日本から物件に申し込もうとしたところ,滞在許可証が必要であることが分かりましたが,その許可証は入国後でなければ取得できません。幸い,研究室の同僚が一人用の部屋を1か月間貸ししてくれたため,まず私だけが入国し,家を探すことにしました。しかし,入国後も家探しは難航しました。スイスでは住宅が不足しているうえ,家族向けの物件を借りるには,学振からの支給額だけでは収入基準を満たせなかったためです。住居が決まらなければ,妻と幼い子どもをスイスに呼ぶこともできません。家族を安心して迎えられる場所が見つからないことに,強い焦りと心細さを感じました。最終的には,日本からスイスの銀行に貯蓄を送金して預金残高を証明し,さらに受け入れ教員であるカルダーラ教授ご夫妻に保証人になっていただくことで,何とか住居を借りることができました。

生活が始まってからは,言葉の問題にも直面しました。当初は英語だけでも生活できると考えていましたが,子どものかかりつけ医を探したり,不動産会社と連絡を取ったりする際には,現地で使われているフランス語やスイスドイツ語が必要でした。そこで,私は大学の授業を履修し,妻は行政が運営する託児付きの教室でフランス語を学びました。渡航当初,妻も私もフランス語をまったく話せませんでした。しかし,妻はめきめきと上達し,いつしか私をはるかに追い越して,隣人とフランス語で談笑するまでになりました。さらに,妻は現地で友人をつくり,子育て支援や地域行事に関する情報を集めながら,家族の生活基盤を整えてくれました。

スイスでの生活は苦しいことばかりではありませんでした。大きな喜びの一つは,家族と過ごす時間を大切にできたことです。自宅は研究室から自転車で10分ほどの場所にあり,研究以外の時間は家族と過ごしました。休日には,同僚の家族とハイキングに出かけたり,同じアパートの住民が自宅で開くジャズコンサートに招かれたりしました。スイスで出会った人から,「人のためにお金を使うことは簡単だが,人のために時間を使うことは難しい。だからこそ,時間を使いたい」という言葉を聞きました。大切な人と過ごす時間を重んじる姿勢は私たちにも大きな影響を与え,帰国した今も家族の指針となっています。

もちろん,研究面でも大きな収穫がありました。私が滞在したフリブール大学のロベルト・カルダーラ教授の研究室では,眼球運動と脳波の同時計測など,顔や表情の認知に関する先進的な研究が行われていました。自身のプロジェクトを進めるだけでなく,研究室内外のプロジェクトに携わり,脳波計測などこれまで扱ったことのない手法を学びました。さらに,イタリアでの講演やスイスとドイツでの学会発表など,ヨーロッパに滞在したからこそ得られた機会にも恵まれました。また,カルダーラ教授とは公私にわたって家族ぐるみで交流し,研究者として,また親としての生き方を身近に学べたことも大きな収穫でした。

今回の滞在を通じて,家族を伴う在外研究は研究者本人だけでなく,家族全体にとっての大きな挑戦であると実感しました。採択通知を受け取ったあの日の不安は,ある意味では的中し,実際に多くの困難に直面しました。しかし,それらを家族と共に乗り越えた経験は,当時の想像をはるかに超える,かけがえのないものとなりました。

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