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Over Seas

ケンブリッジ回想

神前 裕
早稲田大学文学部 准教授

神前 裕(こうさき ゆたか)

Profile─神前 裕
2008年,ケンブリッジ大学大学院PhD課程修了(PhD, Psychology)。2017年より現職。専門は動物の学習理論と行動神経科学。JEP:ALC誌などに論文を発表。

ご依頼をいただきましたので,大学院博士課程での留学について書いてみようと思います。ずいぶん昔の話ですが。

2004年に慶應の修士を出た後,その年の9月に私は東京から飛行機と電車を乗り継いで英国ケンブリッジに向かいました。道中の期待と不安の入り混じった高揚感は今も鮮やかに思い出します。初日,学部の玄関で指導教授であるAnthony Dickinson教授(以下,敬愛の情を込めてトニーと書きます)にしっかりとした握手で出迎えられ,一緒に研究室のある2階に向かう途中,その階段の踊り場でNicholas Mackintosh教授(故人,ニック)に逢いました。すぐに気づいた私は「お会いできて光栄です,Mackintosh教授」のようなかしこまった挨拶をしたのを覚えています。トニーは「あれ?二人は以前会ったことがあったのだっけ?」と不思議そうにしました。もちろん初対面でしたが,教科書の写真で顔を知っていた私はそう伝えると,ニックは(照れながら)勝ち誇ったように「ガハハ,僕くらいになるとこんなもんだよ,トニー」と嬉しそうに笑いました。そのようにして英国的に表現された謙虚さで出迎えられた私は,その後3年半をそのケンブリッジ大学実験心理学部の建物で過ごすことになりました。

3年半の間,とにかく指導教授とよく話をしました。同じフロアの廊下の先にトニーの部屋はあり,いつもドアは開いていました。何か思いついたことを持って行くといつも丁寧に時間をとって,混乱した私のアイデアを一緒に解きほぐしてくれました。またトニーも突然私の部屋にやってきては「これ読んだ?」と最新論文から古典まで様々な文献をくれたりしました。そのほかの1日の大半は動物実験室で過ごしました。これは今も変わりません。実験設備には殊更特別なところはなく(動物飼育環境は格段に恵まれていましたが),結局そこへ持ち込むアイデアと理論が何より大事なのだという当たり前の事実を学びました。その中で理論的な背景を着実に身につけることができたことは,幸運であったと思います。

ケム川沿いのパブで同僚と議論したり,所属するカレッジのガウンを着て呪文のような宣誓をしてみたり,ニックの運転(速い)でウェールズの学会に出かけたり,その他様々な個人的なイベントがあり,そして予定より半年遅れで博士論文を提出した私は,最後の試練である口頭試問(viva)に臨みました。

英国では2名の審査官と学位請求者が密室で長時間議論をするのが伝統です。指導教授は参加できないため,学内からはMackintosh教授が,学外からはKillcross教授がオーストラリアからやってきて審査官を務めてくださいました。二人が手にした私の博論には,そのヴォリュームが倍になるくらいにびっしりと付箋が貼り付けてあり,それを見た瞬間「ダメだ」と思いましたが,何とか力を振り絞り数時間の議論を乗り切りました。しばらくして,審査報告が書かれるあいだ別の場所で待っていた私のもとに何やらシアトリカルに難しい顔をしながら現れたニックは,私の顔を見てニコっと笑い,そして「おめでとう,“Dr.” Kosaki」と審査結果を告げ,右手を差し出してくれました。

その後,私はダラム大学とカーディフ大学で研究員としてさらに5年半の英国生活を続けることになりましたが,それはまた別の話です。ケンブリッジの3年半では,周りのラボも含めて世界的に著名な研究者やその卵である同僚たちに刺激を受けながら,同時に,とにかくじっくりと自分の研究に向き合い成長することができたように思います。指導教授に深く感謝です。

また,Dickinson教授を慶應の集中講義に呼んでくださり,私に留学を勧めてくださった当時の指導教授である渡辺茂名誉教授には心より感謝しております。最後になりますが,もしこの文章を読んで「留学面白そうだな」と思った学生の方がおられましたら,そしてその機会があれば,ぜひ後先も損得も考えずに飛び立ってみることをお勧めします。きっと,とても面白いことが待っています。

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