この人をたずねて
葭田貴子 氏(よしだ たかこ)
Profile─葭田貴子 氏
京都大学文学研究科行動文化学類心理学専修 博士課程修了。京都大学博士(文学)。専門は応用脳科学。著書に『照明学会100年史:照明技術の発達とともに』(分担執筆,照明学会),『人を幸せにする目からウロコ!研究』(分担執筆,岩波書店),『新編 感覚・知覚心理学ハンドブック Part2』(分担執筆,誠信書房)など。
葭田先生へのインタビュー
─研究テーマについて教えてください。
大きな枠組みで言うと,基礎的な心理学研究とエンジニアリング的な応用研究を両立させることを研究テーマにしています。
具体的には,3つの柱があります。1つ目は,注意や不注意に関する基礎研究を,安全性や安心のために応用する研究です。2つ目は,触覚のデバイスの研究です。どうやってデバイスをデザインすれば人にリアルな触覚が伝わるか,心理学の方向から研究しています。3つ目は,例えばコンピュータのアバターやロボットの腕や足などの,人工的な身体の中にダイブすることを目指す研究です。どうしたらアバターやロボットの腕が自分の身体の一部と感じられるかなどを研究しています。
─研究テーマに興味を持ったきっかけはございますか?
注意・不注意に関しては,例えばJRの券売機とかおつり取り忘れる人いますよね?(笑)。せっかくおつりの出口をフラッシュさせているのに。心理学の知識があると,世の中使いやすくデザインできるものがいっぱいあるのに,案外活用されていないなというところから入りました。
触覚に関しては,エンジニアの人たちは触覚のデバイスを作れば情報が簡単に伝わると思ってしまっているところがあって,触っても何の形かわからない,装置は作れたんだけど人間側がうまく理解できないということがたくさんあるんです。このような心理学とエンジニアリングの隙間の問題を解決したいと思ったことがきっかけでした。
アバターの問題は,たまたま海外に出張していた時に,ラバーハンド錯覚の被験者をやって,これはバーチャルリアリティーや遠隔操作ロボットなどの値段が下がって世の中に出てきたら,コアになる心理学的概念になると思ったので,細々と実験をしていました。そうしたら,ようやく実験もやりやすくなりましたし,実験装置が簡単に安く手に入りやすくなったという形です。
─先生が研究されている「機械との一体感」というのは,近年のVRやメタバースなどへの注目も踏まえると非常に重要なテーマであるように思えます。
一方で,逆にシンクロさせずに本来の人間にはない動きができた方が,エンターテインメントとしては面白いところもあるとも思っています。例えば漫画の「ONE PIECE」みたいに腕が伸びるとか,千手観音のように腕が出るとか,本来の人間の機能にないものの方がエンターテインメントとしては楽しいかもしれません。主体感があった方がいいという価値観で研究する人も多いかもしれないですが,サイエンスとしてはそこにいいとか悪いとかの勝手を持ち込まない方が面白いことができそうだと思っています。
─主体感の研究をされている方が,主体感がない方がいい場合もあると考えるのは,非常にユニークな捉え方だと思いました。
本当に人間が主体で,機械やコンピュータに使われないというのが最適なのかというのは,まだ証拠がないんじゃないかなと思っています。また,機械とどこまでなじませて,どこからなじませない方がいいのかというスタンスで見ていたほうが,人間の安全のためにはよいかもしれません。
例えば,デバイスを用いて,二人以上の人間がマージ(融合)するとか,スポーツのインストラクションとかリハビリテーションを行うには,機械の方に乗っ取ってもらった方が役に立つかもしれません。また,あまりに機械とマージしすぎた場合,事件や事故が起きたら,責任の所在をどうするのかという問題も出てくると思います。人間が責任を取らない方がよいことってたくさんあるような気がしているので,私の研究室ではヒューマンセンタードって考え方は,あまり全面的に出さないようにしています。
─先生の研究テーマが今後どのように活用されていくか展望はございますか?
一番直近であり得そうなのは,リハビリテーションへの応用だと思っています。現場の人たちの同意を得ていくことが必要だと思っていますが,自分がいきいきと生きていくために新しい身体を手に入れるという意味でのリハビリテーションは,効果を見込めそうな感じがしています。
─VR体験会などアウトリーチにも力を入れてらっしゃいますが,どのようなきっかけがあったのでしょうか?
学内の同僚にそういうことに興味がある人がいて,年1回3日くらいあつまってディスカッションをするとああいうのが出てくるんです。年に一度の運動会みたいな感じです(笑)。もう一つの理由は,がちがちの機械系の中で研究してきたので,何とかして自分がこういう研究をしているんですよとアピールしないといけなかったんです。例えば,ヘッドマウントディスプレイをつけてVR体験をしてもらっているとヘッドマウントディスプレイの開発をしていると思われるんです(笑)。そうじゃなくて,それをかぶったらどういう体験ができるか研究しているんですよというのを知ってもらうためには,アウトリーチをしないといけなかったというのがあります。
─心理学とエンジニアリングを融合させて新しい領域を開拓されている先生から,何か若手研究者へのメッセージはございますでしょうか?
心理系ではまだめずらしいと思うのですが,工学系では自分の研究成果を持ち寄って,ベンチャービジネスを立ち上げるという人が増加中です。じきに心理系にもそういうムーブメントが来ると思うので,その時に何をしたらいいか考えておくと,いいことがあるかもしれません。
またビギナーのうちは海外で発表された研究やモデルに準じて研究するスタイルの方が多いかもしれないですが,工学系の視点から言うと,もっとのびのびと問題意識を持って,サイエンスとしての問題を解くために実験を組み立てるというスタンスでいると,どこの研究室にもない新しい研究ができるんじゃないかなと思います。もちろんそれには周りのサポートする人たちが膨大なエネルギーと知識を必要とすることなので,大人たちが頑張ってサポートしましょうという話でもあります(笑)。
もうひとつは,私もエンジニアリングの人からぐさっと指摘されたような体験があったのですが,横浜で国際心理学会があったときに,私の友人のエンジニアリングの人がお葬式に関するトークセッションを持って,そこでお葬式に関係するような心理や意識は,まだ誰も解けてないのではないかということを言っていました。このように,エンジニアリングの人の方が素朴に人間とか心理学を追究しているかもしれないと,時々思い知らされることがあります。私たちは心の問題を解いていると思っていても実は目先の問題しか考えていなくて,心って何だろう,意識って何だろうという問題からは足を踏み外しているかもしれない,そういうことを頭の片隅に置いておいてもいいかもしれません。
インタビュアーの自己紹介
インタビューを終えて
葭田先生には,インタビューだけではなく,実験装置のデモ体験までさせていただきました。リアルな触感が伝わってくるデバイス,人工筋肉,VR空間での綱渡り,中心視野を奪うデバイスなど,そのどれもが創造的で楽しく体験できるにもかかわらず,改めて人間の知覚についても考えさせられる,そんな不思議な経験をさせていただきました。また,この記事には書けなかったのですが,工学や海外という異分野で研究されてきたご経験も踏まえた,数々の貴重なお話もおうかがいすることができました。大変有意義な時間を過ごさせていただきましたことを,この場をお借りして,あらためて感謝申し上げます。
研究テーマ
うつ病をはじめとする精神疾患や,マインドフルネスをはじめとする臨床心理学的支援の効果のメカニズムについて研究しております。特に心身相関的なメカニズムに興味を持っており,最近では予測符号化や自由エネルギー原理といった数理モデルから検討を行っています。
Profile─おぎしま ひろよし
高知工科大学フューチャー・デザイン研究所助教。両国きたむら整形外科心理士。共著にEffects of depressive symptoms, feelings, and interoception on reward-based decision-making: Investigation using reinforcement learning model. Brain Science, 10, 508, 2020,「マインドフルネスのメカニズムの予測符号化モデルに基づく理解」『心理学評論』 64, 295–317, 2021など。
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