この人をたずねて
竹澤 正哲(たけざわ まさのり)
Profile─竹澤 正哲
2000年,北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(行動科学)。マックス・プランク人間発達研究所リサーチ・サイエンティスト,ティルブルク大学アシスタント・プロフェッサー,上智大学総合人間科学部准教授を経て2012年より現職。著訳書は『協力する種』(監訳,NTT出版)など。
竹澤先生へのインタビュー
─先生のこれまでの研究について教えてください。
人間は進化というプロセスを通して形作られ,社会や文化はそうした人間同士の相互作用を通して生まれてきました。進化という視点を通し,協力や規範がいかに発生しうるのか,社会はどのような心の仕組みによって支えられているのかを研究しています。最近では,文化進化と呼ばれるテーマでも研究を進めています。技術や知識が世代間で伝達されていく中で,一人の人間では生み出せないような高次なレベルへと変化を遂げていく累積的文化進化と呼ばれる現象を実験やシミュレーションを通して研究しています。
─進化,協力,規範を心理学的観点から研究する意義は何でしょうか?
進化とは生物学から生まれた視点で,数理モデルを構築し,実験でモデルを検証することによって発展を遂げてきました。しかし,精緻なモデルも実証的に検証されなければ机上の空論にすぎません。進化という目に見えない過去に消えてしまったプロセスが対象であるとしても,モデルを実験的に検証することが重要です。協力や規範の進化の研究では,人間を対象とした行動実験が重要な研究ツールになっています。理論やモデルから導かれた予測を実証するときに,心理学者が貢献できる部分があるのです。
─進化的視点に立つ研究の魅力的な点は何でしょうか?
進化の視点から人間や社会を理解しようとすることで,科学の大きな流れの中に自分が位置づけられることです。生物学,遺伝学,神経科学,人類学,考古学,歴史学,哲学といった分野で進化という視点に基づいた研究が行われています。進化という視点に立つと,そうした領域の研究が,自分自身の研究と密接につながってくる。自分の研究が科学という壮大な流れの中に連なっていることが実感でき,研究の視野が一気に広がる。それが最大の魅力です。
─現在取り組まれている研究とその経緯について教えてください。
最近は学習に注目しています。学習とは,自然環境に適応するために進化を通して生物に備わったメカニズムです。人間の場合,強化学習や社会的学習を通して,多くの表現型が獲得されています。ですから,進化という観点から人間の社会や文化を理解するうえで,学習は重要な役割を担っているのですが,その文脈では十分な議論がされていません。また学習は神経科学でもかなり研究が進んでいるので,学習に注目することで,文化や社会についての研究を,自然科学とより密接に関連づけながら発展させていくことができると考えています。
─研究におけるモデルの重要性について教えてください。
異なった分野の人と話をするとき,モデルが共通言語になります。最近知って面白かった例ですが,機械学習を理解するうえで一見関係ないような物理学の知識が重要になることがあります。物理学と機械学習が扱う研究対象は全く別物ですが,数学的に同一の現象として表現できるからです。そうすると統計学の問題を解くときに,熱力学などで昔から使われているモデルを利用できるようになります。進化においても,モデルというレベルで現象を扱うことで,異なる分野の方々とのコミュニケーションが一気に促進されることがあります。文化進化という研究分野も,知識や技術が社会の中に広まっていく様子を,集団遺伝学の数理モデルを使って表現することから生まれました。
─難しそうですね……。
難しそうだなと思うかもしれませんが,いつもモデルばかり作っているわけではありませんよ(笑)。それに数式もモデルもじっくり取り組めば誰でも理解できるものです。最近『協力する種』の書評を名古屋大学の大平英樹先生が執筆してくださいました。大平先生は本に出てくる主要な数式をすべてエクセルに打ち込み,値の変動に伴って結果がどのように変わるのかを実際に目で見てモデルを理解したと仰っていました。人生のどこかで,時間をかけてじっくりと,なにかひとつのモデルを深く理解する体験を持つと,別のモデルの理解が早まります。とにかく体験してみてください!
─最後に若手研究者へメッセージをお願いいたします。
今,心理学を取り囲む境界はかなり揺らいでいて,新たな研究や方法が登場するだけではなく他分野との交流が急激な速度で広がっています。自分が学んできたことだけに安住するのではなくて,新しいものに飛びついていくようなチャレンジが,これからこの世界で生きていくうえで重要であると思います。
インタビュアーの紹介
インタビューを終えて
竹澤先生と私は同じ北海道大学に所属していることもあり,インタビューをする前から直接交流する機会をいただきました。ただ,在籍している講座は異なり,研究テーマも別物で,近いようで遠い間柄に当初は緊張と不安を覚えていました。いざお会いしてみますと,分野の垣根を超えた理解を重要視されている先生のお言葉に感銘を受け,門外漢である私に対して分かりやすく丁寧に数多くの知見やその例をご説明くださり,不安は一気に消え去りました。最終的には,私個人の悩みまで真摯に聞いてくださり,貴重なご意見をいただくことができました。
また今回お話しいただいた中でも,とても印象的だったのは,竹澤先生が科学という広大な視野を持って研究していらっしゃることです。自身の専門分野に安住するのではなく,幅広い視野を持って研究に取り組むことの重要性について,実際にさまざまな分野の中でご活躍されている先生だからこそうかがえるその説得力に考えさせられるものがありました。実際,学会発表などで自身の専門分野ではない人たちの意見がその後の研究に役立つことがよくあります。私自身は認知心理学を中心に視覚的注意や認知制御,最近では顔の魅力やメタ認知など比較的幅広いテーマで研究を行っている(と思っている)のですが,今回のインタビューを通じて,より広い視野で研究に取り組む必要性を再確認できました。学生のうちにこのような貴重な機会をいただいたことに誠に感謝しております。
現在の研究テーマ
現在私は心的エフォートの制御に関心を持って研究に取り組んでいます。人は身体的行為におけるエフォートを正確に調整することができますが,認知的なエフォート(例えば,注意)も同様に制御が可能でしょうか? 従来の研究において,実験参加者は常に全力で課題を遂行していることを暗黙の前提としていましたが,実際には認知方略は多様で,課題に要するエフォートと課題成績はトレードオフの関係にあります。例えば,エフォート投資を惜しまずに成績を最大限に引き延ばそうとする実験参加者もいますし,エフォート投資を最小限に抑えて無難に課題をこなす実験参加者もいます。ただし,エフォートをたくさん投資すれば万々歳というわけではないことが分かってきました。すなわち,エフォートの過剰投資は却って非効率的行動を導き,むしろ適度な投資が効率的行動を導くということです。現在はfMRIを用いて,心的エフォートを調整する認知方略が注意機能に及ぼす影響に関して,注意の下位成分にまで限局して検証しています。
また最近はメタ認知に関心があり,「隠す」過程に着目しています。従来の視覚探索研究では文字通り,「探す」過程に着目してきました。しかし,隠すことも現実世界では重要で,隠す場所は探索のメタ認知に基づくと考えられています。例えば,金銭は泥棒を想定して人目につかない場所に保管することでしょう。これは見つけられたくないときの隠す例ですが,見つけて欲しいように隠すこともあります。例えば,子どもと隠れん坊をするとき,いい大人であればその子がきっと見つけてくれるだろう比較的目立つ場所に隠れるはずです。心の理論に代表されるように,相手の心情を我々がどのくらい正確に推し量れるのか,我々の意図が相手にどのように伝わっているのかについて,「探す・隠す」行為を対象にして明らかにしたいと考えています。
Profile─いとう もとひろ
北海道大学大学院文学研究科(人間システム科学専攻)博士後期課程。日本学術振興会特別研究員(DC1)。専門は認知行動科学(注意,潜在的態度,魅力,認知制御)。論文は「Effect of the presence of a mobile phone during a spatial visual search」(共著,Japanese Psychological Research)など。
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