【第7回】
サトウ タツヤ
立命館大学総合心理学部教授。デンマークの心理学と言ってもアメリカやドイツのようにキャラがたっている感じはしないのだが,たとえば図と地の反転で有名なルビンはデンマークの心理学者である。19世紀においても科学化とは別の心理学というものが存在した。それがよくわかるのが,デンマークの心理学であると言われている。
デンマーク
第7回目はデンマーク。北欧に位置する立憲君主制国家であり,バルト海と北海に挟まれたユトランド半島およびその周辺の多くの島々から成る国である(南はドイツに接している)。いわゆる高福祉高負担国家である。知育玩具のレゴや陶磁器のロイヤルコペンハーゲンは誰でも知っているデンマークの会社であろう。そして童話作家・アンデルセンの母国である。EU加盟国であるが,通貨は独自のクローネを使用している。
さて,心理学という学問は19世紀の末に哲学から独立して科学化した,というのは近代心理学史の常識になっている。デンマークにおいて,1918年までは哲学の中のプログラムであった。ではその時代までどのような哲学者たちが心理学を担っていたのだろうか。
デンマークでは19世紀の初頭には心理学への関心が高まっていた。その立役者はシバーン(Sibbern, F. C. 教授職1813-1870)である。彼は『人間精神論 心理学試論』の第1巻を1819年に,第2巻を1828年に出版した。『心理学』(1843年),『心理学』(1856年)と続く。彼は心理学者は詩人でなければならないと述べていた。その初期の学生が実存主義の祖と言われるキルケゴールである。キルケゴールについては既に本誌62号「心理学史の複線経路」で触れている。
そして,シバーンの後期の弟子にあたるのがヘフディング(Høffding, H.)であり,彼は師(シバーン)や兄弟子(キルケゴール)の影響を受けながらも,フランスの哲学者・コントの実証主義にふれ,デンマークにおける実証主義の先導者となり,近代心理学をデンマークに導入した。ここで近代心理学とは,ドイツのヴントが主導した「実験による感覚・知覚の理解」を中心とする心理学のことである。
ヘフディングと共に近代心理学を推進したのがレーマン(Lehman, A)である。彼は近代心理学の立役者ドイツのヴントの元に留学し(1985-86),帰国後はコペンハーゲン大学で実験室を整備した。
そしてコペンハーゲン大学でレーマンの後任になったのがルビン(Rubin, E.)である。彼は第10回の国際心理学会をデンマークで開催した。その時は,彼のまたいとこにあたり量子力学の確立者である物理学者ボーアが,ビールのカールスバーグ社において列席した心理学者たちをもてなしたという逸話が残っている。
デンマークの知識界を貫いているのは「相補性」という概念である。キルケゴール『あれか/これか』,ルビンの盃と横顔(図と地の反転)の図,ノーベル賞を受賞したボーアのコペンハーゲン解釈(量子力学)。これらはいずれも,「対立のように見えるもの」は「相補っている関係だ」ということを重視しているのである。
文献
- Rubin, E. (1915). Synsoplevede Figurer: Studier i psykologisk Analyse. Første Del [Visually experienced figures: Studies in psychological analysis. Part one]. Gyldendalske Boghandel, Nordisk Forlag.
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