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私のワークライフバランス

家族の理解と協力に支えられて

牛田好美
京都ノートルダム女子大学現代人間学部 教授

牛田好美(うしだ よしみ)

Profile─牛田好美
関西大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2013年より現職。専門は社会心理学,被服心理学,被服学。著書は『被服と化粧の社会心理学』(分担執筆,北大路書房)など。

本企画の第5弾は,非常に恵まれた親族ネットワークを最大限に活用し,教育と育児とキャリアアップを見事に成し遂げられた牛田好美先生です。これほどの良好な人間関係を維持する努力も並大抵ではなかったことでしょう。

現在,私は,同い年の夫,実母(85歳)と三人で住んでいます。また,歩いて1分とかからない所に,義母(91歳)が一人で暮らしています。

大学の教員として働いてきた期間は成安女子短期大学,成安造形大学,現在と合計30年以上となりますが,それぞれの勤務先によって,仕事内容や生活が大きく異なりました。短大では,学生数も多く,卒業研究は卒業制作発表会のファッションショーでしたので,実習授業がほとんどでした。芸術大学では,デザイナーやアーティストを目指す学生と共に,寝食を忘れ学内外を表現活動に走り回り,記憶が飛ぶほどでした。現在の女子大学では,時間的な余裕はありますが,年齢的にも役職に就くため,ストレスは一番多い状態です。

25歳で結婚,次の年に実父が亡くなり,29歳で第1子(長男),33歳で第2子(長女)を出産しました。いずれも産後8週間の休暇明けに職場に復帰しました。出産後数ヵ月は実家で実母と妹が,その後,義父母が幼子の面倒をみてくれました。この時期,どうしても母乳で育てたかった私は,勤務先で搾乳をして冷凍して持ち帰り,解凍して飲ませてもらい,仕事から帰ると授乳をして,二人ともほぼ2年後の断乳まで母乳を飲ませることができました。離れている時間は長かったけれど,母乳育児が続けられたことは,私にとって幸せでした。この頃は,定時制勤務の夫が仕事前に送りに行き,仕事帰りの私が迎えに行くという生活でした。夫の実家は,車で10分くらいのところでしたが,その後,歩ける距離のところに引っ越しました。

子どもが幼稚園に行くようになると,私が通勤時に子どもを送り,実父が迎えに行ってくれました。この頃,定時制高校の教員であった夫は家で夕食をとらず,私の帰宅も遅いことから,子どもは夫の実家で義父母と一緒に夕食をとり,その後,子どもが小学校に行くようになると,義母が,夕食のおかずを届けてくれました。野菜中心で品数も量も多く栄養たっぷりのものでした。週末や私が家にいる日以外は,義父が施設に入るまで毎日届けてくれました。そして,家では,実母が,毎日,子どもと一緒に食事をしてくれました。食事の準備や子どもだけでの食事になることを心配しなくてよかったことは,私が安心して仕事ができたとても大きな要因です。実母は,私が帰宅するまでに,洗濯などの家事もしてくれ,最も,研究に集中できた時期でした。

40歳になる頃,大学院に進学しました。最初は反対していた夫を説得し理解を得ました。学ぶことはとても楽しく,博士前期課程の頃は,週3日は午前3時に起きて,ゼミの準備や研究に取り組みました。朝早く短大に行き授業準備,その後大学院で授業を受け,また短大に戻り授業をするという日もありました。芸術大学に勤務していた頃は,帰宅はほぼ毎日午後11時を過ぎました。体力的には,限界に近かったと思います。大学院後期課程に在籍していた頃はゼミへの出席が精いっぱいでした。女子大学に移り,50歳を過ぎ,学位を取得することができました。

義父は2年前に他界し,一人になった義母は元気にしていますが,毎日夫が仕事帰りに様子を見に家を訪ねます。実母は,3年前に転倒して骨折,入院して二度の手術を受け介護が必要になり,退院後は一緒に住んでいます。今は,施設のデイサービスを利用しながら,リハビリに努めています。

ワークライフバランスとは,生活と仕事の相乗効果を指すようです。私の場合,子どもの健やかな成長が,なによりも,仕事の励みになっていたと思います。それを支えてくれたのは,義父母と実母の協力でした。それらの協力はこちらから助けを求めたり,依頼したからでなく,ごく自然に日々の生活の中で手を差し伸べてくれたものでした。振り返ってみると,感謝しかありません。

今後も,家族と共に過ごせる時間を楽しみながら,毎日を過ごしていきたいと思います。

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