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巻頭言
トーマス・ベイズ師の貢献
繁桝算男(しげます かずお)
トーマス・ベイズ師は,牧師として生涯を終えた人です。その没後に,プライスという名前の友人が親切にも残された原稿を推敲し,過去にさかのぼって原因を探るためにベイズの定理を初めて用いた論文が刊行されました。本人もこのように自分の名前が冠されたベイズ統計学がいたるところで使われるとは思ってもいなかったことでしょう。
『異端の統計学ベイズ』という,統計学に関心のある方にはお薦めの面白い本があります。この本によれば,ベイズ統計学が重宝されるようになったのは,第二次大戦時の暗号解読,沈没した潜水艦の探索,消費者行動の予測などの課題の解決にベイズ統計学が実際に役に立ったからであるとされています。役に立っていると言えば,スパムメールの処理,遠隔医療診断,自然言語処理などなど,AI(Artificial Intelligence)なしでは快適な現代生活は過ごせなくなっています。最近,不確定性を含む問題解決のためのAIの書の翻訳に関与しました(『不確定性下の意思決定』共立出版)。複雑な課題を処理する実行可能な解を得るために,さまざまな名称の難しそうな方法が開発されていますが,基本はベイズの定理であることを実感しました。
さて,ベイズ的アプローチの実用性は認めるにしても,心理学という学問のためには,主観的要素が大きいベイズ的アプローチは適切ではないという意見をお持ちの方も多いかと思います。しかし,ベイズ的な考え方は,日常的な思考方法を(特に因果関係について)少しだけ理想化して合理化したものです。念入りに計画して得たデータに基づく推論こそベイズ的に合理的になされるべきだと思います。一方で,客観性を重視した,伝統的な統計学の代表的手法である帰無仮説検定において,帰無仮説 vs 対立仮説,採択か保留かという決定の構図のほうが実は解釈が難しいのです。この種の議論は,ベイズ的な方法が実際に役に立つことが広く認識されるより前に,ベイズがほとんど注目されていないときにも(そういう時だからこそ)多くの白熱した議論があります。古典を読めば,自分自身で考えを深めることができます。研究仮説を,関連する現象の本質をくみ取る統計モデル上の統計仮説に変換することができれば,その仮説の真否の程度を確率的に示すのがベイズ流です。ベイズ流統計学は将来の心理学の主要な方法論になることを期待しています。
Profile─繁桝算男
1968年,東京大学教育学部卒業。1974年,Ph.D.(アイオワ大学)。東京工業大学工学部教授,東京大学大学院総合文化研究科教授,帝京大学文学部教授などを歴任。専門は心理統計学,ベイズ統計学。著訳書は『ベイズ統計入門』(東京大学出版会),『意思決定の認知統計学』(朝倉書店),『心理学統計法(公認心理師の基礎と実践 第5巻)』(編著,遠見書房),『後悔しない意思決定』(岩波書店),『ベイズ統計分析ハンドブック』(監訳,朝倉書店),『心理学の謎を解く』(編著,医学出版)など。
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