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心理学ってなんだろう
読唇術って本当に可能なのでしょうか?
映画でスパイが読唇術を使って,相手の声が聞こえなくても何を言っているのかを口の動きから読み取っている場面を見たことがあります。でも,こんなこと本当にできるのでしょうか? 試しに音を消してテレビのニュースを見て,アナウンサーの口元に注目してみたのですけど,私には何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
A.田中章浩
野球の試合でキャッチャーがピッチャーと話をするとき,グラブで口元を隠しているのを見たことはありませんか? また,高齢者と話をしていたら「今日はめがねを忘れちゃったから,なんだか聞き取りにくいよ」といわれたという話があります。これらのエピソードは,だれもが日常的に相手の声だけでなく,口の動きも利用して話し言葉を理解していることを表しています。そう,だれもが読唇術の使い手なのです。
読唇術とは,話し手の口の形を用いて言葉を理解することで,聾学校などで教育されています。読唇「術」というと特殊な能力を想像してしまいますが,研究・教育の世界では読話(読唇)と呼ばれ,上に例をあげたように,赤ちゃんから高齢者までだれもがもつ能力だと考えられています。また,口の動きのみから読み取ること以外にも,補聴器などと併用することや,正常な聴力の人が騒がしい場所で口の動きを利用することも含まれます。口の動きを読んでいるときに(これ自体は視覚的な処理です),音の処理を司る脳部位(聴覚野)が活動することからも示されるように,読唇術は複数の感覚が協調するマルチモーダルな活動だといえます。
もちろん,口の動きのみから読話することは困難です。たとえば「た」「だ」「な」は口の動きが同じです(自分でつぶやいてみればわかりますね)。ですから,一文字分だけ口の動きを見せられても,3つとも母音が「あ」だということはわかっても,子音を見極めるのはほぼ不可能です。「た」と「ま」のように口の動きが異なる子音もありますが,多くはありません。しかし幸いなことに,私たちは一文字だけの言葉を発する機会はあまりありません。普通は単語かそれより大きな単位の言葉を会話の文脈の中で発するわけです。単語になると,「煙草」「ナマコ」「卵」のように,まったく同じ口の動きをする単語(同口形異音語)は減ってきます。さらに,同口形異音語も話の文脈を踏まえれば正しく認識できる可能性はぐっと高まります。これは話し言葉に同音異義語が含まれる場合でも正しく認識できるのと同じです(たとえば,「子どもがコウエンに行った」といわれれば,普通は「講演」ではなく「公園」だと思いますよね)。
読唇術の訓練では,部分部分の口の形を意識化することと,前後の意味や話の流れをうまく利用することの2点を中心に鍛えます。声なしで口の動きだけで読話を行うことは,確かに最初は困難です。でも,実はだれもが読唇術のベテランなのですから,訓練によってある程度までは能力を向上させることができます。
たなか あきひろ
東京大学大学院人文社会系研究科心理学研究室助手。
専門は,認知心理学,認知神経科学。
主な著書は,『認知心理学ワークショップ』(分担執筆,早稲田大学出版会)など。
心理学ワールド第33号掲載
(2006年4月15日刊行)