【小特集】
ヒトvs.人工知能
発展著しい人工知能。一方で「人工知能に仕事が奪われる」と考える人もいます。ここでは気鋭の人工知能研究者と認知科学者に「結局ヒトと人工知能のどちらが優れているの?」という素朴で乱暴な問いを投げかけました。改めてヒトの「知性」を捉え直してみませんか。(小森政嗣)
プロジェクション科学から見るAIと人の知性
─AIと心理学「研究」に欠けているもの
鈴木 宏昭(すずき ひろあき)
Profile─鈴木 宏昭
東京大学大学院教育学研究科単位取得退学。博士(教育学)。1994年より現職。元日本認知科学会会長。専門は認知科学。著書は『教養としての認知科学』(東京大学出版会),『知性の創発と起源』(編著,オーム社)など。
はじめに
この小論で言いたいことを初めに述べておこうと思う。
①AIは人の知性を捉えてはいない。
②なぜなら,それらは知性の本質的な部分である,プロジェクションという心の働きを扱わないからである。
③なぜ扱わない(扱えない)かといえば,それはプロジェクションについて,心の科学が十分な蓄積を行っていないからである。
④よってプロジェクションの科学を作り出す必要がある。
唐突に「プロジェクション」という聞きなれない言葉が出てきて,読者は当惑されるだろう。よって,まずこのプロジェクションという概念が何を意味するかを論じることにする。
ポランニーに学ぶプロジェクション
哲学者が好んで出す,盲人の杖という例から始めてみたい。盲人は杖を使いながら,自分の歩く道の状況を把握する。この杖が障害物に当たったとする。するとそれは,手のひらに何らかの感覚を生じさせる。しかし杖を使い慣れた人は手のひらの感覚だけでなく,「杖の先に何かがある」と知覚する。
暗黙知という多くの人を魅了する概念を提唱したマイケル・ポランニーは,手のひらの感覚を近接項,世界の中の障害物を遠隔項と呼び,近接項を遠隔項と関連づける心の働きをプロジェクション=投射と名づけ,これがない限り理解(彼の言葉では包括的理解)はありえないと述べた(Polanyi, 1967)。そして,この理解の中では近接項は暗黙化され,遠隔項との関連で従属的に感知されると述べている。つまり,杖の使い手にとって,意識されるのは杖の先の,つまり世界の中にある障害物であり,手のひらの感覚はむろんあるのだが,意識に上ることはない。
近接項とは身体化された知と見なせる。自己の身体と結びついたレベルで受け取られる外界の情報である。これは身体化された認識と捉えられるだろう。一方,遠隔項とは近接項の指し示す意味と解釈することができる。そして重要なことは,私たちは受け取った情報を内部で豊かにした近接項を遠隔項に投射することで,物理世界を超えた,意味に彩られた世界を作り出し,そこで知覚,行動を行っているのである。こうした彼の考え方は,心の中の世界と世界との間の最も根源的な関係を指摘したものだと,私は捉えている。
AIに欠けているもの
こうした観点から現在のAIやロボットについて考えてみよう。これらがやっていることは基本的に,
①大量のデータを蓄積し,
②データ同士の共起関係,随伴関係を整理し,
③新しいデータが来た時に,
次に来る情報を確率的に推測し,出力する,ということだ。
つまり,近接項として与えられた情報と過去の経験から,次に最も起こりそうなことを推測して(つまりベイズ推論),課題の要請に応じてそれを並べ替えているにすぎない。
ここにプロジェクションが欠けていることは容易に見て取れる。遠隔項との結びつきがないまま,近接項の処理だけが行われ,システムの内部で知性が閉じている。一方,人の場合は,推測した事柄を世界にプロジェクションして,物理世界を意味によって彩り,その世界を見て,行動する。つまり人間にとっての世界は,物理的,客観的な現実と,推測の結果生み出された意味が混在した複合現実なのだ。先述した盲人の杖の例で言えば,うまく設計されたAIやロボットは自分の手のひらに感じる信号から,歩く方向を変えられる。しかし障害物が世界に存在するという「意味」は理解しない。
心理学「研究」に欠けているもの
プロジェクションが実現できないのは,その心理メカニズムがわからないからである。しかしプロジェクションという概念を導入しないとうまく説明できない心理現象はゴロゴロある。まず知覚があげられる。目の前にあるコップはどうして目の前にあると言えるのだろうか。私たちが外の世界から受け取るのは,網膜上の多数の視細胞の発火のパターンである。もう少し科学的に洗練された言い方をすれば,視覚野,側頭,頭頂,前頭葉の関連部位のネットワークが作り出す視覚表象である。これが近接項である。しかしながら,私たちは網膜上の視細胞の発火マトリックスはもちろん,脳内の各領野の働きを意識することはなく,遠隔項である,目の前のコップを知覚する。ここではプロジェクションが生じている可能性はきわめて高い。
上で述べた対象認識は近接項を生じさせた外界の事物に遠隔項が正しく対応する例だが,これがずれてしまうケースも多々報告されている。自分の手の感覚をゴムの手に投射してしまうラバーハンド錯覚(Botvinick & Cohen, 1998),顔でないものを顔と見てしまうパレイドリア(Liu et al., 2014),視覚によって運動感が誘発されてしまうベクション(妹尾, 2017),古くから知られている腹話術効果も,ソースとターゲットのズレを伴うプロジェクションと考えられよう。
さらに臨床領域での投影,あるいは幻聴,幻覚などは,ソースが存在しない,あるいは曖昧であるにもかかわらず,ターゲットと見なされたものに近接項が投射される例と言えるだろう。他にも,幼児期に見られる空想上の友達なども,同じ心の働きがあるように思われる(森口, 2014)。またVR/ARなどが作り出す世界に自分の身体をプロジェクションしてしまうのも,またフェティシズムなどもプロジェクションのズレが生み出す興味深い現象である。
このように心理現象と呼ばれるものには,プロジェクションがつきまとう。しかしこれまでの心の科学は,刺激の受容から,内部モデル(=表象)の構成までの研究がほとんどであり,プロジェクションのメカニズム,プロセスについての厳密な探究がなされているようには思われない。また臨床,社会関連領域の研究の多くは現象の記述レベルに留まっている。そうしたことで,プロジェクション研究の少なさが,AIが意味を理解できない理由の一つではないかと考える。
おわりに
この小論では,まずプロジェクションの考え方を述べ,AIと人の知性の大きな違いは,プロジェクションに関わることにあると論じた。現時点で,AIにプロジェクションが可能なのかはわからないが,仮に可能になるとすれば,これまでの設計方針とは随分と異なるものが必要になる気がする。
次に,数々の心理現象に現れるプロジェクションを紹介した。心の科学は,これまで刺激の受容から内部モデルの構築について素晴らしい知見を蓄積してきた。しかし,もし包括的な人間理解を目指すのなら,その内部モデルを世界に位置づける心の働きにも同じだけ注力しなければならないだろう。
こうしたことで,謝辞に挙げたメンバーとともに,プロジェクション科学という学問を作ろうとしている(鈴木, 2016)。この学問は,実験心理学,神経科学,臨床心理学,社会心理学,文化人類学,民俗学,情報科学など,きわめて多様な学問の蓄積を統合し,情報の受容から内部モデルの構築までに止まっていた心の科学を,新しいステージに導くことを企図している。そしてその成果を,教育,臨床, ブランド創出,VR/AR,物神化などの様々な社会現象に応用し,次世代の社会基盤の創出を目指している。今年も様々な企画を準備している。そしてこれを通じて,人間的なAIの開発にも進むのではないかと考えている。
文献
- Botvinick, M. & Cohen, J.(1998)Rubber hands feel touch that eyes see. Nature, 391 , 796.
- Liu,J.,et al.(2014)Seeing Jesus in toast:Neural and behavioral correlates of facepareidolia. Cortex, 53 , 60-77.
- 森口佑介(2014)『おさなごころを科学する:進化する乳幼児観』新曜社
- Polanyi,M.(1967)The tacit dimension . Routledge and KeganPaul.[M. ポランニー/高橋勇夫(訳)(2003)『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫]
- 妹尾武治(2017)『ベクションとは何だ!?』共立出版
- 鈴木宏昭(2016)プロジェクション科学の展望.『日本認知科学会第33回大会発表論文集』20-25.
謝辞
本稿で述べたことの多くは,小野哲雄(北大),川合伸幸(名大),嶋田総太郎(明大),岡田浩之(玉川大),横山拓(青学大)らとの議論の中で生まれたものである。
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