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心理学ライフ
認知心理学者のタンザニア滞在記
高橋 康介(たかはし こうすけ)
Profile─高橋 康介
京都大学大学院情報学研究科修了。博士(情報学)。JSPS特別研究員SPD,東京大学先端科学技術研究センター特任助教などを経て現職。専門は認知心理学。「意味を創る:生きものらしさの認知心理学」をちとせプレスに連載(計4回)。
2017年夏のある夜明け前,タンガニーカ湖畔を出発するボートに,2名のドライバーと,私を含めて3名の日本人研究者が乗り込みました。タンガニーカ湖は南北の全長約670㎞,東アフリカ・タンザニア内陸部にある世界一長い淡水湖です。これから6時間ほどかけてマハレ山塊国立公園周辺へと向かいます。タンザニアに到着してから1週間ほどの準備期間を経て,いよいよ旅の最終目的地へ出発です。波しぶきと船外機の音だけが 聞こえる暗闇の中,期待と興奮,多少の不安が入り混じった複雑な感情で星々を眺めていました。
ここに至るまで
私の専門は認知心理学,普段は薄暗い実験室がメインフィールドです。そんな私がなぜ暗闇のタンガニーカ湖の上にいるのか。少しだけこれまでの軌跡に触れておきたいと思います。今回の調査渡航は京大時代の先輩(あそび仲間)で霊長類学者の島田将喜さん(帝京科学大学)たちとの共同研究の一環です。島田さんは学生の頃から野生チンパンジー調査のためにマハレに出かけていました。数ヵ月以上姿を見かけないと思ってい たら,仙人のような姿でひょっこり現れる,なんていうことが何度かあったのを覚えています。お互いに京大を離れ,時を経て2010年,それなりに研究の経験を積み重ねてきた島田さんと私の間で,マハレ周辺で認知の研究ができないかという話が出たのが始まりでした。それから7年余り。試行錯誤を繰り返し,最近ようやく研究が形になり始めました。この間,西アフリカをメインフィールドとする人類学者の大石高典さん(東 京外大),知覚心理学者でフィールドワーカーの錢琨さん(九州大学)が仲間になり,とうとう自分自身でフィールドに出るチャンスが巡ってきたのです。
さて,本題に戻ります。今回の旅の目的はマハレ近くの村に滞在して,タブレットを使った実験や顔認知に関する予備調査を行うことでした。協力してくれた皆様のおかげで予想以上の成果が得られましたが,研究成果についてはひとまず置いておいて,この「心理学ライフ」では,ただの認知心理学者である私が今回の調査渡航を通して感じたことをとりとめなく綴ってみたいと思います。
暗所視に驚く
冒頭に紹介したタンガニーカ湖出発の夜明け前,星明りだけで周囲は何も見えません。ヘッドライトの光でボートに荷物とヒトを積み込み出発準備完了です。するとドライバーから「ライト消せー」の声が。ライトの光が邪魔で波の様子が見えないとのことです。『いやいや,消したら何も見えないでしょ……』という予想は見事に裏切られ,私には見えない水面の様子を認識して見事にボートを操っていきます。村での滞在中も似たようなことが何度もありました。日が落ちた後は暗闇です。誰かが近づいてくる気配だけは感じます。でも相手が誰なのかよくわかりません。ところが向こうからは,私の人相や表情までわかっているようなのです。暗所視の性能が明らかに違いすぎます。これには知覚研究者として何度も驚かされました。
ジェネラリスト
日本には「ほにゃらら屋さん」が無数にあります。日本で生活していれば,あらゆることが分業制です。しかし滞在した村の人たちは,基本的には必要なことはすべて自分たちでこなしているようでした。油絞り,船の運転,漁,料理,建築作業,さらにはソーラーパネルの設置や保守(!)まで,とにかく必要なことは何でも,それも極めて高いクオリティでこなしていきます。島田さんの言葉を借りれば,多くの人が「スーパージェネラリスト」なのです。子どものあそびにもこの一端が見てとれます。あそびの中でトンデモなくクオリティの高い「家」をあっという間につくってしまったのです。詳細は「マハレ珍聞」の島田さんの記事(「タンザニア de 遊び!(その3)」http://mahale.main.jp/chimpun/030/07.html)をご覧ください。そんなわけで,村に滞在している間,普段はシステムに守られている都市生活について再考させられ続けました。
村の暮らし
村の人口は4,000人ほどとのこと。車でアクセスできないので,物資輸送は主に船,隣の村まではバイクで30分ほどです。ガスや水道はありません。電気はソーラーパネルが少し普及しています。大きな電波塔が近くに建ったことで,携帯電話が急速に普及していて,庭の台所で携帯を片手に薪に火をつけて料理している,という風景をよく目にしました。水は湖で汲んで運びます。子どもたちが水いっぱいの大きな容器を頭にのせて運んでいる姿をたびたび見かけました。子どもたちは本当に人懐こく,道端に出るたびにたくさんの子どもたちに囲まれ,移動すればハーメルンの笛吹き男さながらに,ぞろぞろついてきます。
生活の中で,多くの人と顔を合わせ,話します。特に印象的なのが挨拶。道ですれ違えば挨拶。そして,非常に長い。ここでの挨拶は,二人の間のキャッチボールが何度も続きます。とは言っても立ち止まるわけではなく,すれ違って相手は遙か後ろ,声が聞こえなくなるまで掛け合いが続きます。推測するに,この挨拶を通してお互いの近況,村の様子などの情報交換が行われているのではないでしょうか。それと,特に若い男性 同士では握手をします。それも,西洋式の握手とはちょっと違う,「ポン・ポン・ポン」というリズミカルな握手です。相手と動作を同期させる必要があって最初は難しかったのですが,慣れてくると,上手くできたその瞬間に「圧倒的仲間感」が生まれます(相手がどう思っていたのかはわかりませんが)。この長い挨拶とリズミカルな握手が私は大好きでした。
フィールド実験
調査・実験の様子について。調査を手伝ってくれたアシスタントの案内で村の中を歩き回り,道や家の軒先にいる人たちと交渉して,参加者を募ります。タブレットを使った実験は参加者自身に操作してもらうのですが,これが結構上手くいきます。この点で「実験」そのものは日本で行う時と全く同じものになっていて,手続きの再現性は保たれているはずです。ですが,実験をやっていると,物珍しさからか人がどんどん集まってきます。結果的に,多くの人に囲まれた状態で,みんなに見られながら課題を行う,という状況になります。家の中の誰もいない部屋でやればよいと考えるかもしれませんが,異国からの訪問者に,誰もいない部屋に連れ込まれるという状況はやりすぎで,現実的に不可能です。この渡航の中で「実験」そのものの再現性と,実験環境の統一の難しさは別物であるということを実感しました。この事実をどう考えるべきか,今でも我々の研究チームの中で議論は続いています。
多様性の背後にある「普通さ」
このように紹介していると,どうしても普段生活している日本との違いばかりが強調されてしまいます。ですが,その背後には「日常」があります。最後に,私が感じたその日常の「普通さ」を強調しておきたいと思います。家族で夜遅くまで話し込んでいる,若者たちがサッカーをしている,子どもたちがおままごとをしている,酔っ払って踊っている,そんな風景がどこにでもあります。もちろん,話し込む場所が星明りの軒先だったり,サッカー場にヤギがいたり,そういった些細だけど目立ちやすい多様性は多々ありますし,村の様子を伝える際はそのような部分にフォーカスしがちです。ですが,実際に滞在して生活してみると,環境の違いは大きくても,滞在前に想像していたよりずっと「普通」だったという印象が残っています。おそらく,切り取られた多様性を通して想像する日常よりも,よほど「普通」です。これからの研究活動を通して,そのような多様性と普遍性についても正しく伝えていきたいと思います。
まだまだ書き足りませんが,誌面の都合で今回はここまでにしておきます。認知心理学者の目を通した現地の様子が少しでも伝われば幸いです。最後に,マハレ関係者の皆様,タンザニアで出会ったすべての皆様,サポートして頂いた新学術領域(質感,顔身体学)に深く感謝いたします。
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