岐路としての偶然
荒川 歩(あらかわ あゆむ)
Profile─荒川 歩
同志社大学大学院文学研究科博士課程後期課程単位修得退学。博士(心理学)。名古屋大学大学院法学研究科特任講師などを経て現職。専門は心理学史,法と心理学。著書は『心理学史』(共編,学文社),『「裁判員」の形成,その心理学的解明』(ratik)など。
2017年度にインタビューを行った先生方(氏名の五十音順に掲載)
(写真の撮影・インタビュー:高砂美樹・鈴木朋子・小泉晋一・荒川歩)
日本心理学会教育研究委員会の資料保存小委員会では,名誉会員と終身会員の先生方にご協力いただいて,オーラルヒストリーの記録を行っている(70,71,73, 76号参照)。2017年度は,髙木修先生,牧野順四郎先生,岡市廣成先生,長嶋紀一先生,荒井保男先生のインタビューを新たに行って活動を終えた。(インタビューした順番に氏名を掲載)
さて,私も研究者をしているといろいろな機会をいただくが,個人的には,せっかくいただいた機会を活かせずにいることが多いと感じる。心を開いて一声かけておけば……もっと誠意を尽くすことができていたら……もっとうまくがんばることができていたら……。でもまあ自分の力不足だから仕方ない。しかし,オーラルヒストリーを伺っていると,偶然のきっかけが転機となったと語られることがある。それは当然その先生がその機会に対応するお力をもち,誠意と努力を尽くされたからであるのだろう。前回私が執筆した号(76号)では,心理学界をリードした先生方の「意外な」挫折体験を紹介した。今回は,偶然から広がる人生の経路について書いてみたい。
まずは研究テーマである。研究テーマというと,個人の関心に照らして慎重に選ぶと思いきや,その出会いは,偶然としてよく語られるものの一つである。岡市先生は,脳内の条件づけを学ぼうと留学したところ,受け入れ先研究者に「これからは海馬だ」といわれて,それまで本格的に扱ったこともなかったラットの海馬の研究を始めることになった。山岡淳先生は,ちょうど学部三年生のとき,当時日本で数個しかなかった脳波計の一つ「木製号」が納品される予定で,渡辺徹先生にその納品の督促を命じられたことから,脳波研究を始められた。社会学を志望していた辻敬一郎先生が心理学を知ったのは,昼休み前の時間に教室で昼食を食べているときに,隣の部屋から心理学の授業が聞こえてきた時だった。「光のプレゼント」運動の新聞記事を偶然目にとめ連絡してTMさんを紹介されたところから,鳥居修晃先生の先天盲の開眼研究は始まった。
また,意外にも何人もの先生から出たお話は,卒業生の就職が,ある研究をするきっかけになったというものである。宮田洋先生は,卒業生がライトハウスに視覚障害者の生活訓練の指導員として就職したのをきっかけに,視覚障害者の睡眠特性についてのご研究をされた。鹿取廣人先生は,国立身体障害者リハビリテーションセンターに山田麗子さんが勤められたことをきっかけに,そこでの研究を始められた。
研究テーマ以外でも,偶然や意図せぬきっかけで,想定していたのとは違う未来が開けることがある。多くの名誉会員・終身会員の先生方を繋いだのは,1952年に1ヵ月ほど行われた京都実験心理学セミナー,通称グレアムセミナーである。東洋先生,浜治世先生,廣田君美先生,今田寛先生,印東太郎先生,柿崎祐一先生,松山義則先生,三隅二不二先生,小川隆先生,苧阪良二先生,大山正先生,田中良久先生,辻岡美延先生,梅本堯夫先生(ABC順)など関西を中心に参加され,岩脇三良先生がタイプライターで記録をされた。大山先生は,ここで生まれた人間関係がその後の仕事に繋がったと回想されている。また,研究ではなく学会の仕事も,新たな展開を生む。牧野先生は,学会理事という役職になって,研究テーマの違いを超えて大山正先生などそれまであまり接する機会のなかった先生と懇意になったことをとても良かったこととして話しておられた。岡市先生も,偶然,動物心理学会の編集担当理事になったときに特集号を発行することになり,大変だったけれども充実していたとお話しされていた。
歴史研究では,偶然が学問に与える影響をあまり重視しない。個人の業績は顕彰しつつも,それが他の人であったとしても,他の機会であったとしてもその考えは現れたと考える。偶然や奇縁を重視すると,どうしても偉人史的になってしまうからであろう。しかし,個人の歴史を見たとき,偶然のきっかけをどう活かすか,あるいはうまく巻き込まれるかというのは,とても大きい。
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