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【特集】

環境の複雑性仮説から考える高齢者の認知能力と生活環境

石岡 良子
慶應義塾大学大学院理工学研究科 特任講師

石岡 良子(いしおか よしこ)

Profile─石岡 良子
2013年,大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター研究所非常勤研究員等を経て,2017 年より慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程教育リーディングプログラム特任講師。専門は高齢者心理学。著書はEncyclopedia of geropsychology(分担執筆,Springer),『認知の個人差』(分担執筆,北大路書房)など。

写真1 SONIC 研究の会場調査の様子
写真1 SONIC 研究の会場調査の様子

成人期の生活スタイルに大きく影響するライフイベントは,就職や転職,結婚や離婚,出産や子育て,そして介護などがあげられる。このような仕事や家庭生活に関わる変化を,ライフコース上どのように組み立てるのか,ライフコースの違いがその後の心身にどのような影響をもたらすのか。ライフコースの形成やその影響は,寿命が延伸した社会の関心事となっている。

高齢者研究においても,心身の加齢変化には,高齢期に至るまでの生活環境やライフスタイルが関連することが報告されてきた。生活環境は,個人によってもライフステージによっても様々であるが,著者が参加する研究プロジェクト「ソニック研究(SONIC)」では,高齢者の認知能力の保護要因である「活動的な生活環境」に着目し,成人期における仕事や家事の複雑性や余暇活動の内容が高齢者の認知能力とどのように関連するか検討してきた。

本研究プロジェクトは,心理学以外に,生物学,医学,歯学,看護学,栄養学,社会学の研究者が参画する健康長寿研究である。加齢に伴う心身の変化や,健康に長生きする方の特徴を調べることを目的に,兵庫県と東京都を調査フィールドとして,2010年に調査を開始した。調査内容は,医学検査,歯学検査,運動機能検査,心理的適応に関する質問紙調査など多岐にわたり,心身の加齢変化を複数の学問領域から包括的に検討することができる(写真1)。

それらの調査項目の一つとして,調査参加者が最も長く就いた職業と家事の経験について,インタビューを行ってきた。過去の仕事や家事について回想的に回答していただくという,方法論的限界はあるものの,多種多様な職業や家事の内容を心理社会的に評価する指標の開発を試みてきた。

本稿では,環境の複雑性仮説に基づいて,高齢者の認知能力と生活環境の関連を紹介する。まず,認知能力の加齢変化を捉える枠組みと,認知能力の加齢変化に個人差を生み出す生活環境に関する仮説を紹介する。そして,仕事の複雑性という概念を扱った研究概要を述べ,環境の複雑性仮説以外の観点や生活環境を包括的に捉える必要性について考察する。

ソニックの名称は,「70歳代,80歳代,90歳代,100歳代の方の調査」を意味する英語表記Septuagenarian, Octogenarian, Nonagenarian Investigation with Centenarian の頭文字を取って並べたものである。
http://www.sonic-study.jp/index.html

認知能力の加齢変化を捉える枠組み

認知能力の加齢変化を捉える枠組みは,大きく分けて二つある。一つは,暦年齢(時間)に伴う平均的な認知能力の変化(加齢曲線)を記述し,標準的な加齢プロセスと非標準的(病的)な加齢プロセスを定める枠組みである。この枠組みから捉えた代表的な研究は,ホーンとキャッテルが提唱した流動性知能と結晶性知能の分類である。シャイエらのシアトル縦断研究では,流動性知能に関わる処理速度や計算能力は60歳までに低下しはじめ,推論,空間定位,記憶は60歳代から低下しはじめること,結晶性知能に関わる言語能力は75歳頃まで維持されると報告した。このように,認知能力のどの領域がいつ頃から変化するのかについては知見が蓄積されつつある。一方,なぜ領域により加齢変化が異なるのか,その機序は明らかではない。

もう一つの枠組みは,個人レベルで加齢変化を捉える枠組みである。認知能力の領域にもよるが,平均的には高齢になるほど認知能力は低下する。しかし,個人レベルで変化をみると,年々低下する一方ではない。先のシアトル縦断研究のデータを用いた結果では,7年間の変動幅が標準誤差の範囲内におさまるか否かを基準とした場合,低下した割合が最も大きい群でも74歳から81歳の3割から4割であり,知能は比較的安定した人と低下する人との差が大きいと指摘されている(鈴木, 2008)。

このような認知能力の個人差をもたらす要因は年齢だけでは説明できない。ソニック研究では,個人レベルで加齢変化を捉える枠組みの中で,高齢期の認知能力の個人差をもたらす生活環境について研究を進めてきた。着目する生活環境は,ライフステージに応じて,若年期の教育歴,成人期以降の職業・家事経験,余暇活動としている。以下では,これらの生活環境が高齢期の認知能力の個人差と関連することを説明する仮説を紹介する。

環境の複雑性仮説

心理学研究の中で,環境が認知能力に影響するメカニズムを考える際に拠り所となってきたのは「use it or lose it(使わなければ失ってしまう)」という考え方である。これは,認知プロセスやスキルを使わないようになると,それらの能力が衰えてしまうという考え方である。なぜ衰えてしまうのかは,認知モデルによって異なるが,この考えに基づけば,日常生活で認知能力を使うようにすれば,少なくとも能力は安定し,さらには向上すると考える。

この考えをスクーラーらは「環境の複雑性(environmental complexity)」仮説と呼んだ。本仮説では,刺激や負荷の特性によって個人の環境の複雑性が規定される。複雑な環境とは,多様な刺激があり,複雑な判断が必要であったり,曖昧なことや明らかに矛盾することなどへの対応が求められたりする状況である。このような認知的に負荷のかかる環境では,主体側も認知能力を高めようと動機づけされ,定着した認知プロセスを他の状況へ般化すると考える。したがって,認知的負荷のある活動や知的な活動に従事する人は,そうでない人よりも能力を維持向上すると考えられる。

なお,環境が高齢期の認知能力の個人差に影響するメカニズムは複数提案されている。Sternが提唱した「認知の予備力」仮説は,岩原・八田(2009)に詳しいので,そちらをご覧いただきたい。

仕事の複雑性と高齢期の認知能力との関連

図1 石岡・権藤・増井ら(2015)の概要図
図1 石岡・権藤・増井ら(2015)の概要図

職業は,一般的なライフコースにおいて多くの人が長期間従事し,生活スタイルに影響すると考えられることから,高齢期の認知能力を考える上で重要な生活環境の構成要素である。先に紹介した「環境の複雑性」仮説に基づけば,認知的負荷の高い仕事に従事していた人ほど,複雑な判断が必要であり,高齢期の認知能力が維持されると仮定される。

従来の研究では,職業的地位や職種により職業経験を評価する研究が多かった。これは,職業的地位によって認知的刺激の量が異なることを前提としたからである。しかし,同一の職種や職位であっても,仕事内容や取り組み方は大きく異なるため,職種だけでは仕事上の認知的活動を十分評価することはできない。

そこで,認知的負荷の高い職業経験を評価する有効な概念として「仕事の複雑性」が用いられてきた。この概念は,仕事において労働者がどれほど複雑な判断が必要とされるかを表す。この指標は,アメリカの労働省において,職業マッチングを目的として作成された。約1万2千種類の職業について複雑性得点が定義されている。その得点は,一つの職業につき,次の三つの領域ごとに得点化される。「文字や数字を扱う情報処理に関わる仕事」,「対人関係に関わる仕事」,「手や道具,機械などを操作する仕事」である。

ソニック研究では,地域に在住する69歳〜72歳の824名のデータに基づいて,仕事においてどれほど複雑な判断が必要とされるかを表す指標を作成した(石岡・権藤・増井ら,2015)。本指標は,日本版の職業に基づく仕事の複雑性指標に,実際の仕事内容に基づく複雑性と,主観に基づく複雑な判断の必要性を加味した。そうすることで,同じ職業であっても,個人の環境をより正確に反映することができると考えた。

分析の結果,職業に基づく仕事の複雑性得点だけでは認知能力との有意な関連は示されず,仕事内容と主観に基づく得点を加えた指標では「情報処理に関わる仕事」の複雑性が高い人ほど推論能力が高く,「対人関係に関わる仕事」の複雑性が高い人ほど記憶力が高いことが示された。つまり,職業に基づく認知的負荷の違いだけでなく,実際の仕事内容や取り組み具合により,認知能力の個人差が生起する可能性が考えられた。

職業性ストレスと高齢期の認知能力の関連

仕事の複雑性指標を用いた研究では,職務上の認知的刺激が高齢期の認知能力の個人差をもたらす要因と考えられる。しかし,仕事の複雑性は作業上の認知能力の必要性を重視した概念であり,労働環境におけるストレス(以下,職業性ストレスと呼ぶ)による認知能力への悪影響は考慮していない。

職業性ストレスに関する研究では,労働者に身体的・精神的な急性ストレス反応が生じ,循環器疾患や免疫機能の低下など健康に悪影響をもたらすと多く報告されている。また,ストレスによる脳内の反応が慢性化すると,神経変性が起こり,認知能力の加齢変化にも影響する可能性が示唆されている。これらを踏まえると,職業性ストレスは高齢期の健康面にネガティブな影響をもたらすと考えられる。しかし,職業性ストレスがライフステージを超えて長期的に影響するかについて検討した研究は少数である。

代表的なストレスモデル「仕事要求度-コントロールモデル」に基づいて,中年期の職業性ストレスを評価し30年後の認知能力との関連が検討されている(Andel et al., 2012)。このモデルは,職場での仕事量の要求度と仕事のコントロール度の二つの水準の組み合わせに基づいて,仕事の特徴を四つの群に分類する。その結果,仕事のコントロール度が低かったと回答した者は認知能力が低く,仕事の要求度とコントロール度の両水準が高い活性化群に該当した者は認知能力が高かったと報告した。理論的には,コントロール度が低い仕事はストレス関連のリスクが高く,活性化群はストレス関連のリスクが低いと考えられるため,この結果から職 業性ストレスが高齢期の認知能力を低下させる可能性が考えられる。

今後,高齢期の認知能力に対して,職業性ストレスによる否定的な影響と,環境の複雑性仮説に基づく仕事の複雑性の影響を同時に検証することで,職業経験の特性と高齢期の認知能力との関連をより正確に検討することが望まれる。

職業経験以外の生活環境と高齢期の認知能力の関連

仕事生活以外に,家事や余暇活動に多くの時間を割く人もいる。特に,これから高齢期を迎える世代の女性は,仕事と家事の両方を経験している人の割合が大きい。家事については,職業と同じ枠組みで捉え,家事の複雑性や家事のストレスを評価することができると考えられる。余暇活動については,知的,身体的,社会的な活動と認知能力との関連が報告されている。職業や家事,余暇活動の区分を超えて,生活環境の特性を包括的に評価する指標の開発が望まれる。

また,生理学的老化が進行する85歳以上の超高齢者では,活動の種類や活動頻度そのものが低下するため,仕事や余暇活動以外の観点から生活環境を検討する必要がある。参考となる研究として,住宅・近隣環境の客観・主観評価,ソーシャルサポート,高齢者の認知能力の関連を示した研究がある。Leeら(2017)は,住宅や近隣環境に対する客観的評価よりも主観的評価が,高齢者の認知能力と直接関連し,女性においてはソーシャルサポートによる緩衝効果が示されたと報告した。生活圏の中心が自宅や近所となる超高齢者においては,身近な人間関係や自宅や近隣環境の特性を評価する必要がある。

おわりに

ここまで,個人レベルで捉えた認知能力の加齢変化を説明する個人要因として,環境の複雑性仮説に沿って,生活環境と認知能力の関連を概観してきた。成人期の生活環境の特性は,認知能力に対して長期的に関連する可能性が考えられる。

一方,本研究領域の課題は多い。まず,どの生活環境がどの年齢区分の高齢期の認知能力へどの程度提供を及ぼすかはよくわかっていない。複雑な環境が加齢に伴う低下に影響しうるのか等を明らかにする必要がある。また,環境をコントロールする主体の心理学的要因を考慮する必要性もある。先に紹介した通り,同じ職業であっても仕事のやり方が個人で異なり,その違いが高齢期の認知能力の個人差と関連することを示唆していたことから,主体の行動に影響する動機づけや性格特性などの要因を考慮することが期待される。

一般に,老いに対する否定的な捉え方は根強く,認知能力の低下による生活への影響は大きいため,認知能力の加齢変化に対する不安は高い。しかし,一方的に認知能力は低下するだけではなく,働き方や家庭生活での行動が関連する可能性がある。自身をより客観的に捉え,各々の生活にあった年の取り方を考える手立てとなるような,包括的な知見を積み重ねる必要がある。

文献

  • Andel, R., Crowe, M., Hahn, E. A., Mortimer, J. A., Pedersen, N. L., Fratiglioni, L., Johansson, B., & Gatz, M.(2012)Work-related stress may increase the risk of vascular dementia. Journal of the American Geriatrics Society, 60 , 60-67.
  • Andel, R., Finkel, D., & Pedersen, N. L.(2016)Effects of preretirement work complexity and postretirement leisure activity on cognitive aging. The Journals of Gerontology Series B: Psychological Sciences and Social Sciences, 71 , 849-856.
  • Lee, H. & Waite, L. J.(2017)Cognition in context: The role of objective and subjective measures of neighborhood and household in cognitive functioning in later life. The Gerontologist, 58 , S93-S100.
  • 石岡良子・権藤恭之・増井幸恵・中川威・田渕恵・小川まどか・神出計・池邉一典・石崎達郎・髙橋龍太郎(2015)仕事の複雑性と高齢期の記憶および推論能力との関連.『心理学研究』 86 , 219-229.
  • 岩原昭彦・八田武志(2009)ライフスタイルと認知の予備力.『心理学評論』 52 , 416-429.
  • 鈴木忠(2008)『生涯発達のダイナミクス:知の多様性生きかたの可塑性』東京大学出版会

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