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裏から読んでも心理学

話の流れを追うのが苦手です。

慶應義塾大学文学部 准教授

平石 界

おそらくあの会議で使ったのが初めてだったと思います。事情を分かってなさそうな委員から,対応できなくはないけど特にメリットもなさそうな提案を賜った時のことでした。気づいたら口をついて出た「前向きに検討させて頂きます」。汚れつちまつた悲しみに。

でもね,前向きな姿勢が後ろ向きなのは,別に今に始まったことじゃない。古代中国から連綿と続く言葉の綾なのかもしれません。突然ですが質問です。「10年前を振り返って,当時,前途洋々たる新人だった彼女が,10年後の今,このように立派に成長した姿を眼の前にして,感慨もひとしおです」。さて,発言者は初めどっちを向いていて,最終的にはどこを向いているんでしょう。

中国語でも同じような問題があって,以前に「中国語の “以前” は過去を指し,“以後” は未来を指す。つまり中国人は過去を向いているんだ!」(かなり乱暴な意訳)と主張した人がいたらしいのですが,それじゃ「回顧」って言い方はどうするんだ,といった批判が当然のごとく出てきて,未来は前なのか後ろなのか,実にさまざまな議論が行われてきたようです。一説では,英語の未来は前だけれども,中国語ではそう限らない,とまとめられています(Yu, 2012)。道無き未来に向かっていると粋がっていたら,前を行く先人の存在に気づいたり。

それなら,と研究者は考えるわけです。中国語と英語のバイリンガルの人はどうなるんだろうね(Lai & Boroditsky, 2013)。「水曜日の会議だけど,来週は諸事情で二日前に変更します」(move two days forward)。さて,会議は何曜日に開かれるでしょう? 月曜日ですよね。中国語モノリンガルの人もそう思うそうです。一方,英語モノリンガルの人は金曜日と思う。ただそれってその言語の慣用表現なので,問題はバイリンガルの人が英語できかれたときで,そうすると意見が割れる。ならばバイリンガルの人に中国語でもきいてみよう。「時計を1時間前に合わせてくださいな」(請你把它往前調一個小时)。やっぱり12時と2時に意見が割れたそうで,回答者の混乱ぶりが伺えます。英語の否定疑問文への自分の慌て方と似ているのかもしれない。

ジェスチャーも違ってくるんじゃないか。パソコン画面の人物が(彼女にとっての)前を指差します。それから「古典」とか「予告」とか “ancient” とか “soon” とか,単語が読み上げられるから,聞いたらできるだけ早く,それが未来にかかわるものか,過去にかかわるものか,答えてくださいね(Ng et al., 2017)。英語話者だと,前方指差しの後に未来に関する単語が出てくると反応が早く,過去にかんする単語だと反応が遅れた。でも中国語話者ではそういうことが生じなかったという結果で,ふんふん予想通りだね。ひねりはないけど面白いよね。とか妙に上から目線で読み進めていた矢先に,ある一文でハタと固まってしまいました。

... the word “after” was responded to consistently faster by participants when paired with a forward point gesture ...

あれえafterって「〜の後」って意味だったよねぇ。え? afterって前にあったの? ちょっと話が違くない? あれあれ? 考え始めたら頭がこんがらがってきて,前から自分が右と左の区別が苦手な自覚はありましたが,よもや前後さえも不覚であったとは。そりゃあ,いくら前向きに頑張りたいと思っていても,原稿がなかなか先に進まないわけです。

Profile─ひらいし かい
慶應義塾大学文学部 准教授
東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。東京大学,京都大学,安田女子大学を経て,2015年4月より現職。博士(学術)。専門は進化心理学。

平石界

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