公益社団法人 日本心理学会

詳細検索

心理学ワールド 絞込み


号 ~

執筆・投稿の手びき 絞込み

MENU

刊行物

【小特集】

どこへ行く?PTA

近年,PTAとそれをめぐる諸問題がクローズアップされています。ここでは,保護者がPTAに抱く意識やPTA活動が保護者に与える影響,また,なぜPTAの改革が簡単には進まないのかを心理学的な視点も含めつつ議論し,PTAがこれから向かう方向性について考えます。(旦 直子)

PTA活動を通じて世の中を知る

尾見 康博
山梨大学大学院総合研究部 教授

尾見 康博(おみ やすひろ)

Profile─尾見 康博
東京都立大学人文学部助手等を経て現職。2002〜2003年にグリフィス大学,2009〜2011年にクラーク大学で客員研究員。専門は教育心理学,社会心理学。著書は『好意・善意のディスコミュニケーション』(アゴラブックス)など。

10年以上前のことですが,私は某小学校のPTA副会長をしていたことがあります。同じ地区の学童保育の運営に関してPTA会長と一緒に闘った(?)縁で誘われたのですが,そのときはよもや再び大騒動の渦中に入るとは思いもよりませんでした。以下は,心理学者としてPTA活動に何ができるかといった学術的な話ではなく,心理学者(そして大学教員)の衣を剥いで格闘したそのときの経験などをもとにした個人的な雑感です。

「Tが関知しないところでPTAとしての要望を出されては困る」

PTAはParent-Teacher Associationの略語ですし,通常,PTA役員の名簿には保護者だけでなく,校長や一般教員の中からも名前が挙げられています。だからPTAの活動を決めるのに保護者だけで決めずに教員の意見を聞くべしという主張は,形式的には至極まっとうです。

しかしです。

毎月行っている本部役員の定例会には,校長がたまに出席する程度。それに,行事のときには副校長が「PTAのご協力のおかげで滞りなく進行することができました」なんて言っちゃったりして,あたかもPTAは保護者組織であるかのように考えているんです,ふだんは。保護者側も同様であり,教員がいなくても定例会の議決は淡々となされています。

なので,近隣の七つの小学校のPTA本部が,市長に対する学校施設・設備改善に関する要望書を連名で郵送したことは,異例のこととはいえ,手続き的にも瑕疵がありませんし,校長や教員サイドが把握していなかったことをとやかく言われる筋合いはありません。

ところが,校長会にこの話が伝わると,連名となった各学校の校長から「回答期限を設けるなど政治的である」「性急すぎる」などとPTA会長たちが説教される始末。ある学校のPTA会長は,よもやこのような批判を浴びるとは思ってなかったらしく,校長とは仲良くやってきたしこれからも仲良くやっていきたいので,これ以上一緒に行動はできない,とのメールを連名となった仲間たちに送信。

とんだ騒動になりましたが,結果的にはこの要望書の効果は予想以上でした。雨漏り修繕については即時抜本対策とまではいきませんでしたが,市内の全公立小中学校で耐震化工事もエアコン設置も前倒しになり,集中暖房のダクトの定期的清掃も確約されました。

当該市の場合,小学校PTA連合による予算要望は年間2件と決められていました。しかし,PTA連合に加盟している小学校だけで50校近くあるので,各校からの要望を絞りに絞った二つだけが正式に市に提出されていました。最低限のインフラ整備の一部をPTAがわざわざ「要望」する仕組みにメスを入れたいという思いが要望書提出の背景にありました。

前例を切り捨てられるか?

図1 全国の公立小中学校で主に 老朽化が原因で発生した不具合 (文部科学省,2013;作図は筆者)
図1 全国の公立小中学校で主に老朽化が原因で発生した不具合(文部科学省,2013;作図は筆者)

近年,PTAだけでなく,町内会や子ども会など,形式的には任意加入であるにもかかわらず事実上義務化されていることの問題が顕在化し,社会問題化している組織があります。いずれの組織にも共通するのが,前例踏襲が常識化され「一度形骸化した事業で1年のカレンダーが埋まってしまうと,それをこなすのに精一杯になってしまい,事業の再検討をする余力などとうていなくなってしまう」(川端, 2008)ことでしょう。

でも,日本の公立小中学校における雨漏りや天井落下といった老朽化に伴う不具合の発生件数は尋常ではありません(文部科学省, 2013)。2009年度からの3年間,安全面(建築物の損傷によりその一部分が脱落するなど),機能面(劣化により雨漏りが生じたりして学校での活動に支障をきたすなど)ともに不具合件数が漸増しており(公立学校自体の数は微減傾向),安全面では2校に1件の割合,機能面では1校に1件の割合です(図1)。この数値は東日本大震災などの大規模災害によるものは除外されていますし,修繕がなされている学校もあるでしょうから,学校によっては年に何件も発生していると考えてよいでしょう。「安全安心」などといったかけ声やキャンペーンがいかに無力であるかを如実に表す数字であり,本当にむなしくなります。

そして,2018年は公立学校のインフラ未整備に密接に関連する痛ましい事件が続きました。6月の大阪府北部地震のときには,学校のブロック塀が倒壊して通学途中の小学生が犠牲になってしまいましたし,連日の猛暑が続いた7月には,熱中症が原因で小学生が犠牲になってしまいました。教育インフラの未整備によるしわ寄せが小さい子どもたちに向かってしまう悲しい事例です。

これほどまでに日本の公立学校がすさんでいるということはPTA活動に参画して初めて知りました。でも,参画してからは,学校で雨漏りがあったり,エアコンが設置されていなかったりすることに対して,政治家や役所が発する「自分が子ども時代にはエアコンなんて無かった」「耐えることも教育のうち」といったコメントには敏感になり,何とかしなければという思いが強くなったように思います。

楽しめる負担にできるか?

私の子どもが通っていた小学校のPTA会費は年間2400円でした。2007年当時,全校児童数は500名弱で,年間予算は約120万円。他方,2009〜11年の2年ほど家族で滞在したアメリカでは,子どもが通っていたミドルスクール(4学年で約1800名)の年間予算約700万円。子どもの数としての規模は3.6倍ですが,予算規模は5.8倍です。しかも,このミドルスクールは会費を徴収していませんでした。つまり,年間700万円をPTAの活動で稼いでいるということなのです。

雑誌の定期購読を年間予約すると購読料の一部が学校に還元される仕組みがあったり,ピザやケーキを販売したり,くじやバザーのようなものを学校行事にあわせて実施したりして資金を捻出します。ですから,世帯によってPTA予算への寄与の度合いが大きく違うのですが,それを気にとめる様子もありません。

資金集めをするのには人手が必要なので,ボランティアに応募した人たちで実施されます。日本のように会費も労力もできるだけ平等負担という発想ではありません。しかも,ボランティアの方たちが楽しそうなんです。楽しげに大きな額のオカネを動かすシーンは,在米中,PTA活動以外でも頻繁に見かけました(Omi, 2012)。でも,やりたくない人,時間的に無理な人はやらないのが原則。そもそも任意団体なのですから,やる人がいないならPTA活動などしなければいいはずなのです。

アメリカと同じようにやるのは難しいとしても,PTA活動はやりたい人が楽しくオカネを動かしながら活動する組織になればいいのではないでしょうか。そして,そうなるためには,戦後に培ってきた慣習にこだわらず,それを変えるためのコストを惜しまない人がどれだけ出てくるかにかかっているのではないかと思います。また,行政機関に対峙するときは文書が大きな意味を持ちます。私は,PTA会長を始めとした仲間に恵まれ,要望書の作成という私が無理なく協力できる作業を任され,運良く達成感のあるPTA経験ができました。

みなさんのPTA活動にも幸運が訪れますように。

文献

PDFをダウンロード

1