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【小特集】

エコーロケーション

夜間の停電で真っ暗になった室内を歩くのは非常に困難です。そんなときでも,はね返る音や遮ぎられる音だけを使って,障害物を知覚することができます。この知覚は訓練によって高めることができます。今回の小特集では,この仕組みに注目しました。(あ,注耳?)(河原純一郎)

障害物知覚訓練システムの開発

関 喜一
国立研究開発法人産業技術総合研究所 上級主任研究員

関 喜一(せき よしかず)

Profile─関 喜一
国立障害者リハビリテーションセンター学院非常勤講師を兼任。専門は音響心理学。著書は『生存と自己表現のための知覚』(分担執筆,協同医書出版社)など。

はじめに

障害物知覚(obstacle perception/obstacle sense)は,「音を発しない物体(壁や柱など)の存在を聴覚によって知覚し定位する能力」と定義づけることができる。物体は,たとえ自分では音を発しなくても,環境音のある空間の中に存在すれば,音の伝わり方を変化させる。この変化を聴覚によって捕えることにより物体を検出する能力が障害物知覚である。

障害物知覚は視覚障害者の重要な環境認知能力の一つであり,視覚障害教育・リハビリテーションにおいては重要な訓練項目の一つである。

障害物知覚には,大きく分けて,環境音を用いる場合と,自発音(足音や白杖の音)を用いる場合がある。環境音を用いる場合は,近距離に存在する物体を検出する際に用いられる。環境音の反射や遮音が手がかりとなる。自発音を用いる場合は,離れた位置にある大きな障壁や建物の検出に用いられる。自発音の反射が手がかりとなる。

物体の存在によって起こる音場の変化(反射や遮音などの物理現象)を「障害物知覚の物理的要因(physical factors of obstacle perception)」と呼ぶ。これによってもたらされる音場の印象の変化(音像や音色の変化などの心理現象)を「障害物知覚の心理的要因(psychological factors of obstacle perception)」と呼ぶ。障害物知覚の能力は,「物体の存在」と「心理的要因=音場の印象の変化」との対応関係を学習することにより獲得される。両者の対応関係を知っていれば,音場の印象の変化から,その原因となる物体の存在や,位置などを連想できる。この学習を行わせることが,視覚障害者の障害物知覚訓練の最初の目的である。

障害物知覚訓練システム

図1 障害物知覚訓練システム
図1 障害物知覚訓練システム

視覚障害教育・リハビリテーションにおける従来の障害物知覚訓練は,実環境中での経験的学習に依存していた。例えば,訓練士が訓練生の顔に板を近づけ,または訓練生を壁に近づかせるなどして,物体の存在による音の変化を経験的に聞き取らせて学習させていた。しかしこの方法は,実環境中の様々な妨害要因により初心者には音の変化が聞き取りにくく,また学習に時間がかかるという困難を抱えていた。

筆者は,このような現状を踏まえ,実環境ではなく,音響技術を用いて障害物が存在する場合の音場を人工的に再現することにより障害物知覚の訓練を効率的に行うシステムを1998年に開発した(関,1998)。

システムは,壁などの障害物からの反射音を人工的に再現するものであり,8台のデジタルディレイ(音の信号を遅延させて反射音を作る装置)と,16台のスピーカより構成されていた(図1)。16台のスピーカのうち8台から直接音,残り8台から反射音を提示して,あたかも障害物がそこに存在するかのような音場を作り出すことができた。

本システムは,産業技術総合研究所つくば中央第6事業所(茨城県つくば市)の無響室内に設置したが,一般の視覚障害教育・リハビリテーションの現場(盲学校など)に導入するには巨大で,かつ高額なことから,実用には供しなかった。そこで,現場での導入性を考え,2〜4台のスピーカで構成される簡易版を同年に開発した。この簡易版は現在,国立障害者リハビリテーションセンター学院視覚障害学科(埼玉県所沢市)において,視覚障害生活訓練専門職員養成の教材として用いられている。

さらに,視覚障害教育・リハビリテーションの現場での導入性をさらに考慮し,2001年に障害物知覚訓練用の音響データを収録したオーディオCDを作成した。CDという形態を採用する利点は,①ハードウェアではないため,導入の際に現場の経済的負担がなく,②持ち運びに便利で訪問訓練にも対応できることである(関・伊藤,2001)。

聴覚空間認知訓練システム

図2 聴覚空間認知訓練システム
図2 聴覚空間認知訓練システム

筆者はさらに2003年より,国立障害者リハビリテーションセンターと共同で,障害物知覚だけではなく,音を発している物体の存在を知る「音源定位(sound localization)」の訓練も含めた総合的な聴覚空間認知訓練システムの開発を開始した。これには,「3次元音響(3D sound)」と呼ばれる音のバーチャルリアリティ(VR)技術を導入した。そして,2005年に世界に先駆けて最初の訓練システムを完成させた。実証実験により,音のVRを用いたこのシステムには,歩行訓練時のストレス軽減効果や,訓練生が本来の歩行経路から外れて歩いてしまう現象の軽減効果があることも明らかにした(Seki & Sato, 2011)。

続いて2008年より,東北大学などと共同で,訓練システムの小型化,低コスト化を実現する研究を進めた。3次元音響は,従来は高価な専用半導体素子を用いていたが,これを普通のパソコンとソフトウエア処理だけで実現させた。VRに必要な頭部位置計測については,高価格・高精度の位置センサの代わりに,低精度の位置センサを内蔵した低価格のゲームコントローラを用い,ソフトウエア処理によって測位精度を向上させた。この改良研究により,訓練システムを,特殊な装置を用いないパソコンのアプリとして実現し,経済的負担なしに導入できるようにした(図2)。

開発した訓練システムのソフトウエアは,2010年にβ版,2013年に正式版を公開し,視覚障害関係団体に無償提供している。正式版公開後も改良研究を継続し,2020年1月現在までに5回のアップデータを公開し,提供実績は国内外100件に達している。今後も利用者からのフィードバックをもとに,改良研究を継続してアップデータを公開する予定である。

おわりに

音響技術を使った視覚障害者の障害物知覚訓練システムは,効率的な訓練を実現することができる。視覚障害教育・リハビリテーションにおいて,従来の経験的訓練と併用すれば効果的である。今後さらなる導入を進めていきたい。

文献

  • 関喜一 (1998). 音響VR技術を用いた視覚障害者の聴覚訓練. 日本ME学会雑誌BME 12, 38-43.
  • 関喜一・伊藤精英 (2001). 障害物知覚訓練用音響CDの作成:家庭用オーディオ機器を用いた障害物知覚訓練. 第27回感覚代行シンポジウム講演論文集, 5-40.
  • Seki, Y., & Sato, T. (2011). A training system of orientation and mobility for blind people using acoustic virtual reality. IEEE,Trans. Neural Syst. Rehabil. Eng., 19, 95-104.

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