心理学ライフ
京町家暮らしの愉しみ
伊藤 正人(いとう まさと)
Profile─伊藤 正人
1976年,大阪市立大学文学部助手。助教授,教授を歴任し,同大学名誉教授。専門は学習心理学,行動分析学。著書は『行動と学習の心理学』(昭和堂),『心理学研究法入門』(昭和堂),『現代心理学』(編著,昭和堂)など。
昭和初期建築の京町家を改修し,住みだしてから約8年が経過した。この間の町家取得や改修にまつわる諸々のことは『京町家を愉しむ:行動建築学から見る町家の再生と暮らし』(和泉書院)として刊行した。
京都の景観の一翼を担う京町家の特色は,格子や,虫籠窓(むしこまど),一文字瓦などの外観であり,また,火袋(吹き抜け空間)や,水平と垂直の梁と柱,座敷と奥庭などの内部の建築意匠である。とりわけ,座敷に設えられた座敷飾り(床の間と違い棚)は,掛け軸や工芸品・美術品を飾る特別な空間として日本建築の特徴となっている。この町家は,こうした特徴と共に,京都北山の鞍馬石,貴船石,白川石などの石組みと鎌倉期とおぼしき古格ある石灯籠を据えた奥庭,床の間が向かい合わせの形で2個所に設えられている奥座敷,柱を省略して「梃子の原理」で軒を支える桔木(はねき)構法が用いられた2階廊下,筬欄間(おさらんま)と格天井(ごうてんじょう)の本玄関,高さ約9メートルもある火袋の太い梁(ゴロンボ)とその上の木組み(準棟纂羃(じゅんとうさんべき))など,随所に見所のある建物である。
町家暮らしとは,内部に台所の神様を祀る荒神棚や伏見稲荷の社を設け,愛宕神社の護符(火廼要慎(ひのようじん))などを貼り,日々,八百万の神々に祈り・守られる,自然を敬い,自然に寄り添う暮らしといえる。つまり,季節の移ろいを肌で感じ,奥庭の植栽の変化と共に,各季節にふさわしい掛け軸や生け花,その他様々なものを飾って愉しむ暮らしなのである。これまで「好き」で集めてきた江戸期の絵画や雛人形をそれぞれにふさわしい場所に飾ると本当にしっくりとなじみ,より一層,絵や人形が引き立つように感じられる。ほの暗い座敷に金屏風を背景に飾られた江戸期雛人形は,その古色と共に,金屏風が反射する間接の鈍い輝きによって神々しく見えるし,軸装の江戸絵画は,金襴の表装裂の反射する,やはり鈍い輝きによって浮かび上がるように見える。このように,町家の暮らしは,谷崎潤一郎『隠翳礼讃』で述べられた「暗がり」と「翳り」という日本家屋の美を日々実感する体験といえる。
京町家は,京都市の平成22年度の調査によると,市内に約4万8千軒あったものが約十年を経た現在では4万軒ほどに減少しているという。皮肉なことに,特にここ数年の観光客の増大による宿泊施設の建設ラッシュが町家の減少に一層拍車を掛けている。京都市も危機的状況にある町家の保全に様々な対策を講じているが妙案はないようである。町家が簡単に解体される理由の一つは,町家の魅力が十分に理解されていないことにあると思われる。このため,町家の魅力を再発見する試みとして,京都市と協力して,「京町家の室礼」や「京町家で江戸絵画を愉しむ」などの企画を通してこの町家を公開してきた。こうした活動に対して,京都市の「京都景観賞:京町家部門」で優良賞を受賞したことや,この町家が京都市の「京都を彩る建物や庭園」に選定されたこと,また『京都名所カレンダー2020』(光村推古書院)にも取り上げられたことなど,微力ながら町家保全の一助になっているのではと思っている。
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