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【小特集】

美術・デザイン分野における 心理学系実験演習

坂田勝亮
女子美術大学芸術学部美術学科 教授

坂田勝亮(さかた かつあき)

Profile─坂田勝亮
早稲田大学大学院博士前期課程修了。財団法人日本色彩研究所,秋田公立美術工芸短期大学を経て現職。専門は視覚心理学,色彩心理学,心理測定法。著書は『心理測定法への招待』(分担執筆,サイエンス社),『色彩学入門』(分担執筆,東京大学出版会)など。

美術・デザインの分野ではどのように見えるかという視覚の問題と,どのように感じるかといういわゆる感覚の問題が常に存在しています。そして実験心理学が登場するはるか以前から,色・形・大きさなどの恒常性や,陰影法,透視図法,輝度による奥行き表現など,様々な視覚心理学的特性が制作に用いられてきました。科学技術の発展に伴って,19世紀以降は写真,映画,アニメーション,メッキ,化学染料・顔料,立体視,照明光源,CG,VRなどの新しい技法が従来の技法と併せて用いられるようになっています。またデザインの分野では20世紀後半になってマーケットリサーチという手法が導入されるようになり,ユーザーの心理評価がコンセプトの抽出から製品の評価に至るまで広く用いられるようになってきました。昔は作家の経験や勘に頼っていましたが,制作の現場や社会においてこれら新しい技法が広く求められるようになってきたのです。このため美術・デザインを志す人たちは,社会に出る前にこれらの知識や技術を身に付ける必要が生じてきました。自分で実験や調査をしなくても,新たな表現技法の効果や,調査会社・広告代理店のデータを理解することが必要になってきたのです。また美術館・博物館の学芸員も,測光測色などの心理物理データや市民の意識調査などの心理データと無関係ではいられなくなりました。

このため本学では心理学,造形心理学に加えて,学部に視覚心理学,博士前期課程で色彩実験・調査演習という科目を開講しています。前者では表現の様々なテクニックが視覚のどのような特性と結びついているのかを学び,後者では心理測定の手法とともにその原理を理解する必要があります。このため色彩実験・調査演習ではいわゆる心理学科の基礎実験演習だけでなく,心理学研究法や心理統計法の一部も含んだ構成となっています。

授業の最初は科学とは何かという導入で,三科学と非科学の違い,各科学分野の科学的研究手法と客観性,因果性,再現性といった科学的研究の基本原理を学びます。美術を志してきた学生たちは主観性,非因果性,非再現性を重視する教育を受けてきているので,ここでの驚きは相当なものです。そして感覚とは何か,心とは何か,主観的現象と客観的現象との変換はなぜ必要なのか,可能なのかという話から心理測定の原理の理解へと進んでいきます。最初は刺激と反応,独立変数と従属変数,物理変数と心理変数といった基礎の理解と,行動測定,言語測定と生理測定という測定手法の長所,短所,標本抽出と繰り返しの必要性などを理解していきます。

そして実験心理学的心理測定実習に入ります。飽きてくることもありますが,このあとの内容は実際に体験しないと理解しにくい点が多いためです。心理測定実習は極限法,恒常法,調整法,上下法,マグニチュード推定法からなり,現象と測定手法の混同を避けるためすべてミュラー・リヤー図形の錯視率を測定します。教材はいずれもケント紙に刺激を印刷したものを配布され,各自で切ったり折ったりして装置を作成します。そして実習前に観察距離と視角,コントラスト,刺激系列,ランダマイズ,標準刺激と検査刺激などの概念を学習し,測定を終えてからは主観的等価点,誤差,閾値,線形回帰などの概念を習います。これらの実験心理学的測定の実習を一通り終えると,同じ錯視に対してそれぞれの手法による測定結果の比較ができるようになります。そして測定条件の厳守が,心理測定にとって大変重要であることを学生は理解します。手法によりPSEが異なった場合,その測定手法の実習ではどこかに手を抜いたことに思い当たるからです。そして心理測定法の発展とフェヒナー,ワトソン,スティーヴンスなどの努力の歴史を学びます。

後期になると代表値,最大値と最小値,分散と標準偏差,出現頻度と正規分布といった心理統計の基本を学びます。実際にサイコロを振ってデータ分布を作成したり,代表値や標準偏差を求めたりします。と同時に表計算ソフトの使い方を学び,コマンドや自動計算,参照,グラフ化などの基本も学びます。画像処理ソフトや描画ソフトはプロ直前の腕前でも,一般的な美大生は表計算やプログラミングを知りません。このためそもそも平均値とはどんな意味があるのか,出現確率と分布面積はなぜ一致するのか,数表とグラフはどのような違いがあるのか,という点を基礎から理解していきます。

正規確率分布の話から100年に一度の大雨は何mm以上になるのかを気象庁のデータから算出したり,友人の身長を調べて100人に一人の高身長はどれくらいか(体重ではハラスメントになります)を算出したりして,推測統計の意味を理解します。そして相関と相関係数・決定係数,有意差検定としてt検定と分散分析を実際に表集計ソフトで算出します。最近では,指数や対数の意味も知らない学生が多いので,みな大変な苦労をして理解していきます。私の前任だった近江源太郎先生が「平均値を出せというとわからないと言うのに,割り勘にしろと言うとできるんだよなぁ」と仰っていたのが強く印象に残っています。

このあと後半の心理測定実習があります。これはテスト・質問紙調査法に関するもので,主に尺度構成法と検査法に関する内容です。様々な尺度構成法と検査法の紹介を聞いたあと,前者の実習としてSD法,後者の実習として性格検査を行います。

SD法はコンセプト抽出や景観評価などデザインの分野で広く用いられているため,学生の中には聞いたことがある者もいます。オズグッドの考えを紹介しながら単極尺度と両極尺度,評定段階と出現頻度,評定尺度と心理尺度などを学び,因子分析・主成分分析の概念を学びます。実際の計算は割愛しますが,各自で美術作品やデザイン作品を対象に評定を行い,実際にデータを因子分析にかけて,相関行列と因子の意味,因子負荷量と因子空間,因子得点と評定対象プロット図(イメージプロット)などを学んでいきます。

 

このイメージプロットはデザイン業界で広く用いられますが,因子分析を理解していないために多くの誤りが存在します。因子空間が決定したあとに新たに評定サンプルを空間内に追加してしまったり,単極尺度と両極尺度を混在させて因子分析にかけたり,ひどい場合にはアンケート調査の結果を見た担当者が自分の感覚でイメージ軸を決定して市場調査の結果と言ったりすることがあります。現在のマーケットリサーチでは正確なエビデンスや効果測定を求められるようになっているため,これらの知識は欠かせません。

性格検査では各種手法と簡単な歴史を学んだあと,YG性格検査を体験します。そしてその限界とテストバッテリーの重要性,各種検査の種類と特徴などを学ぶとともに,性格に良し悪しはないという美術を学ぶ学生にとって重要な点を知ります。

美大生は個性に重い価値を置くので,他者と違うことを避けたり嫌ったりしません。このためいじめなどもなく,グループになりたがることも稀で,常に自己と向き合って生きています。美術を創り出す者の多くが,人生のどこかで自身を追い詰めて絞り出した悲鳴を制作の動機としていることが多いのです。このため体調を崩したり,制作ができなくなったり,時には心を病んだりすることもあります。この時に他者に対するのと同様に,自己に対しても個性を認めるということの重要性に気づくことがとても大切になります。検査法実習として知能検査や行動観察ではなく,性格検査を含めているのはこういった理由からです。

これまで述べてきたように,本学の心理実験実習は一般的な心理学科のものと異なり,美術・デザイン分野の学生が研究を続け,社会に出て仕事をするうえで必要と思われることのエッセンスを詰め込んであります。このため心理学研究法や心理学史,心理統計法など様々な内容も一緒に伝えています。心理学実験実習としては極めて特異なカリキュラムかもしれませんが,学生が必要とする内容を勘案してカリキュラムを構成することが重要だと思います。

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