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【特集】

異質な他者への思いやり ─寛容性と社会的排除の発達

長谷川 真里
東北大学大学院教育学研究科 教授

長谷川 真里(はせがわ まり)

Profile─長谷川 真里
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程人間発達科学専攻修了。博士(人文科学)。専門は発達心理学。横浜市立大学国際教養学部教授を経て2020年より現職。著書は『言論の自由に関する社会的判断の発達』(風間書房),『子どもは善悪をどのように理解するのか?』(ちとせプレス)など。

はじめに

「協力する種」であるヒトは,集団生活を送る中で高度な社会性を獲得してきた。他者のこころを理解し,助け合うという行動は,日常的には「思いやり」と言われる。では,子どもと青年はその思いやりをどこまで広げることができるのだろうか。

宗教や政治的立場から好みの違いにいたるまで,我々は何かしら異なる特徴を有している。自分と異なる信念や価値を有する人を,ここでは「異質な他者」と呼ぼう。この異質な他者が集団から迫害,排除されることは,陶片追放や村八分などの言葉に見られるように珍しいことではない。本稿では,異質な他者への「思いやり」をテーマに,道徳性の発達研究の立場から,子どもと青年の寛容性と社会的排除について考えていく。

寛容性とは

多様な人々が共存する現代社会において,寛容は共有された価値であり作法でもある。寛容とは,自身と異なる,行動,信念,身体的能力,宗教,慣習,エスニシティ,ナショナリティなどを持つ他者を受け入れることである。裏を返せば,それらに干渉して正すことを抑制することでもある。なお,寛容性は,政治的寛容性と社会的寛容性という2つの下位概念から構成されるが,本稿では後者を中心に議論する。

さて,寛容が重要な価値であるとしても,その信念や行動が道徳的に正しくないように見えるとき,あるいは当該集団の社会規範に抵触するとき,難しい問題となる。例えば,暴力や差別を肯定する思想にも寛容であることは正しいことだろうか? ある集団における行事が特定グループにとって公平ではないとき,それでもその伝統は守られるべきだろうか?

どのようなときに不寛容になるのか

人は,道徳的問題と抵触するとき排除を認める傾向がある(Wright, Cullum, & Schwab, 2008)。しかし,この傾向には年齢差もあるようだ。筆者は,年長児から小学3年生に対し,自分と異なる考えを持つ他者から遊びに誘われた場面を想定させ,4段階(「いっぱい遊びたい」から「絶対遊びたくない」)で回答を求めた(長谷川, 2014a)。自分と異なる考えには,「人を殴ってよい」という道徳的な問題,「鉛筆を落とすと宙に浮く」のような事実に関わること,「アイスクリームはおいしくない」のような好みの問題などがあった。その結果,幼児は自分と意見が異なる他者に対し全体的に不寛容であった。一方,学年が上がるとともに,「人を殴ってよい」という道徳的な異論が他のタイプの異論と弁別されるようになった(図1)。

図1 異論を持つ他者から遊びに誘われたときの回答:得点が高いほど寛容であることを示す
図1 異論を持つ他者から遊びに誘われたときの回答:得点が高いほど寛容であることを示す

なお,幼児が弁別的に判断しないのは,道徳的問題とそれ以外の問題の区別が曖昧だからではない。幼児は道徳と慣習,そして好みのような個人的な問題が質的に異なることを理解している(Killen & Smetana, 2015)。また,幼児は「他者を遊び仲間に受け入れないこと」が不正であると考え,仲間に入ることができない他者をかわいそうだと思っている(Killen, Geyelin, & Sino, 2006)。その上で,幼児は児童ほど弁別的な寛容性を示さないようだ。

多面的な問題としての寛容性

初期の道徳性の発達研究では,他者の立場に立てない未熟な子どもが普遍的な観点を取ることができるようになるという発達の方向性が示されてきた。では,人間は本来自己中心的な存在であり,教育や他者との相互作用を通じて寛容な態度を身につけていくのだろうか。近年の発達研究の知見は,不寛容から寛容へと一方向的に発達するというような,単純な年齢変化ではないことを示している。

単純な変化にならない一つの理由は,集団からの排除は,道徳と慣習の問題が潜在的に組み込まれる多面的な場面だということだ。排除は不正であり,排除される人に同情する,という道徳的な側面と,異質性の排除により集団の規範や斉一性が保たれるという社会慣習的な側面が含まれる。

人は,道徳的志向性(内集団の規範を超えてあらゆる文化集団に通用するルールへの志向性)と社会慣習的志向性(集団の斉一性や維持に向けられた志向性)の両方を有している(Killen & Smetana, 2015)。その結果,状況や立場に応じて道徳と慣習のどちらの志向性を優先するかが変わる。あるアメリカの研究では,人種的に多数派の子どもは,集団アイデンティティや伝統という社会慣習的な理由を用いてマイノリティの排除を容認する一方,少数派の子どもは,道徳的な観点に立ち,集団からの排除を不正と考えた(Crystal, Killen, & Ruck, 2008; Killen, Henning, Kelly, Crystal & Ruck, 2007)。

以降,このような複線的な発達を前提とし,児童と青年の判断の様相を見ていこう。

異質な他者への排他性

第一の発達の方向性は,過剰な道徳原理の適用から,選択的な判断への変化である。

筆者は,小学4年生から大学生に対し,暴力をふるう子,手づかみで食事をする子,黄色い服を着る子などを排除する場面の判断を求めた(長谷川, 2014b)。前述のように,寛容においては異質さに干渉することへの抑制も重要であるので,他者が変容すべきかどうかについての判断も求めた。

その結果,小学生は,どのような特徴を持つ人物であっても「誘わないのはよくない」というように,人物の特徴を細かく区別せず判断していた。理由づけも,「いじめはよくない」,「仲間外れはかわいそう」というような,道徳的原理を場面の解釈に直接適用するものだった。また,行動の変容を求め,他者をありのままに受けいれなかった。中学生になると,寛容性が低くなるが,暴力をふるう子は誘わなくてもよいが手づかみで食事をする子は誘ってもよい,というように,他者の特徴を区別して判断するようになった。

このように,児童が道徳原理を過剰に適用し,年齢とともに文脈の微妙な差異を区別するようになるのは,他の研究でも見られる。例えば,学校場面よりも友情の文脈での排除や,肥満の子どもを運動に関係する場面で排除する傾向は,年齢とともに高まる(レビューとしてMulvey, 2016)。またこの弁別性は,社会的観点取得能力などの認知能力との関連が指摘されている(Mulvey, 2016)。

集団への忠誠と抵抗

もう一つの発達の方向性は,社会慣習的な理由づけの増加である。年齢とともに,子どもは集団の規範や価値観が自分のアイデンティティと関わることを理解するようになり,集団への忠誠をより高く評価する(Killen & Smetana, 2015)。例えば,児童は他者が所属集団の規範を共有しているかどうかに関わらず,公平や平等という道徳原理を優先しがちであるが,青年は集団の特徴に個人が適合しているか,忠誠であるかを重視する。これは,内集団の規範が不道徳であった場合でも同様である。ある研究では,関係性攻撃や不平等分配などの不道徳な規範を有する集団に対し,その集団規範を認めない人を当該集団に受け入れることの判断を求めた。その結果,児童は青年よりも,集団規範への「挑戦者」の受け入れを認めたのだった(Mulvey & Killen, 2017)。

青年期に集団への志向性が高まるのは,仲間関係の発達的な変化と関係があるかもしれない。閉鎖的集団志向性,固定的集団志向性,友人への同調欲求の高さが集団からの排除を認める傾向と関係するのも,この予想を補完する(長谷川, 2014b)。

仲間排除と感情

排除を行った加害者はどのような感情を抱くと子どもは予想するのだろうか。排除は苦渋の決断であり,排除することにより罪悪感が生まれるのだろうか。

筆者は,小学3年生から6年生を対象に,道徳逸脱に関わる場面で,主人公がポジティブな感情(嬉しい)とネガティブな感情(悲しい)のどちらを感じると思うかについて判断を求めた(長谷川, 2019)。ストーリーはすべて,「カンニングをしたらよい点を取れる」のように,道徳逸脱をしたら個人的には得をするという構造になっている。その結果,仲間排除のストーリー以外は,感情の選択に学年差がない,または学年が上がるにつれて「嬉しい」を選択する割合が減少した。一方,仲間排除のストーリーのみ,学年が上がるとともに「嬉しい」の選択の割合が多くなった。逸脱をして個人的に得をする主人公にポジティブな感情を帰属させるのは“幸せな加害者(Happy Victimizer)”反応と呼ばれる(Arsenio & Kramer, 1992)。この反応は,幼児期に最も多く見られ,児童期中期には消失する。しかし,仲間排除場面においては,小学校高学年以降にHappy Victimizer反応が見られるようだ。

筆者は,小学4年生から大学生にかけての幅広い年齢層に対し,同様の調査を行った(Hasegawa, 2016)。なお,仲間関係が判断に影響することを考慮し,仲間と一緒に盗みをする,他の個人の約束を破ることによって仲間と遊びに行くことができるなど,道徳的に正しい行動を選択すると仲間集団との軋轢が生まれる場面を設定し,その行為をするかどうかとそのときに生じる感情の予想を求めた。その結果,この幅広い年齢層でも,「盗み」と「約束の反故」場面では,予想される感情に年齢差が見られなかった。その一方,仲間排除場面では,中学生以上の年齢になると「逸脱をして嬉しい」というHappy Victimizer反応が増加した。対象年齢も提示した場面も長谷川(2019)とは異なるので単純な比較はできないが,仲間排除場面が他の道徳逸脱場面とは異なる年齢変化を示すという知見と一致した。

仲間排除場面でのHappy Victimizer反応は欧米の研究でも見られる(Malti, Killen, & Gasser, 2012)。児童期中期までには減少するこの反応が,仲間排除においては青年期に現れることは,興味深い。

おわりに

0歳児も他者を助けるエージェントを好み,よちよち歩きの子どもが見知らぬ大人を助ける。発達科学は,子どもが向社会的で協力的であることを示してきた。そのような他者への思いやりが,自分と異なる意見を持つ者,異なるコミュニティに属する者に対しても向けられるのか,ということについて,本稿は社会的排除の発達研究を中心に考えた。結果は,年齢とともに思いやりを向ける対象が選択的になることを示唆する。

たしかに,集団の斉一性を乱し,害をなす他者を排除することは,合理的な選択のように見える。しかし,理論的には,異質な他者の排除は,コミュニティの発展と個人のネットワークの拡大を阻害する要因となりうる。この矛盾をどのように考えれば良いのか。

筆者は,道徳的志向性に普遍性があることが答えの一つだと考える。道徳はそもそも身近な対人関係から発生したといわれる。しかし同時に,すべての集団に,害を避け公平を重視する道徳の本質が存在する。幼児ですらも,害や公平などの道徳的問題は,ルールや権威(親や教師など)に依存しないことを理解している(Killen & Smetana, 2015)。さらに,人間は内集団の規範をそのまま受け入れるだけの存在ではない。例えば,日常的に暴力にさらされている紛争地域の子どもが暴力を不正と考え(Posada & Wainryb, 2008),厳格な家父長制社会の女性が自由や権利の意義を理解している(Turiel & Wainryb, 1998)。このことは,個人は社会慣習的な志向性と道徳的志向性のバランスをとりながら意思決定していることを示唆するのではないだろうか。

現実社会において内集団が公正であるとは限らない(むしろ,現実の集団は清濁併せ呑むのが普通であろう)。集団の斉一性を志向する傾向が増すことは,合理的な選択であると同時に脆さもある。集団と個人の発展のために,普遍的な道徳的志向性も同時に発達させているのではないか。難しいのは,そのバランスであろう。

内集団への忠誠と,所属集団を超えた普遍的な道徳的志向性の葛藤は,生涯を通じて我々に突きつけられる問題である。この奇妙にねじれた関係は,認知能力やアイデンティティの発達,あるいは社会情勢の変化などによって,あるときは片方が肥大し,別のときには片方が注目され,形を変えながら一生涯続くのである。

文献

  • Arsenio, W. F., & Kramer, R. (1992). Victimizers and their victims: Children’s conceptions of the mixed emotional consequences of moral transgressions. Child Development, 63, 915–927.
  • Crystal, D. S., Killen, M., & Ruck, M. (2008). It is who you know that counts: Intergroup contact and judgments about race–based exclusion. British Journal of Developmental Psychology, 26, 51–70.
  • 長谷川真里 (2014a). 信念の多様性についての子どもの理解:相対主義,寛容性,心の理論からの検討. 発達心理学研究, 25, 345–355.
  • 長谷川真里 (2014b). 他者の多様性への寛容:児童と青年における集団からの排除についての判断. 教育心理学研究, 62, 13–23.
  • Hasegawa, M. (2016). Development of moral emotions and decision–making from childhood to young adulthood. Journal of Moral Education, 45, 387–399.
  • 長谷川真里 (2019). 児童における道徳感情帰属の発達と道徳的行動との関連. 道徳性発達研究, 13, 48–55.
  • Killen, M., Margie, N. G., & Sinno, S. (2006) Morality in the context of intergroup relationships. In M. Killen & J. Smetana (Eds). Handbook of moral development (pp.155–183). Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
  • Killen, M., Henning, A., Kelly, M. C., Crystal, D., & Ruck, M. (2007). Evaluations of interracial peer encounters by majority and minority U.S. children and adolescents. International Journal of Behavioral Development, 31, 491–500.
  • Killen, M. & Smetana, J. G. (2015). Origins and development of morality. In. M. E. Lamb (Ed.), Handbook of child psychology and developmental science, 3(7) (pp.701–749). Editor–in–Chief, R. M. Lerner. NY: Wiley–Blackwell.
  • Malti, T., Killen, M., & Gasser, L. (2012). Social judgments and emotion attributions about exclusion in Switzerland. Child Development, 83, 697–711.
  • Mulvey, K. L. (2016). Children’s reasoning about social exclusion: Balancing many factors. Child Development Perspectives, 10, 22–27.
  • Mulvey, K. L. & Killen, M. (2017). Children’s and adolescents’ expectations about challenging unfair group norms. Journal of Youth Adolescence, 46, 2241–2253.
  • Posada, R. & Wainryb, C. (2008). Moral development in a violent society: Colombian children’s judgments in the context of survival and revenge. Child Development, 79, 882–898.
  • Turiel, E. & Wainryb, C. (1998). Concepts of freedoms and rights in a traditional, hierarchically organized society. British Journal of Developmental Psychology, 16, 375–395.
  • Wright, J. C., Cullum, J., & Schwab, N. (2008). The cognitive and affective dimensions of moral conviction: Implications for attitudinal and behavioral measures of interpersonal tolerance. Personality and Social Psychology Bulletin, 34, 1461–1476.

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