公益社団法人 日本心理学会

詳細検索

心理学ワールド 絞込み


号 ~

執筆・投稿の手びき 絞込み

MENU

刊行物

私のワークライフバランス

ちいさな手

小口 孝司
立教大学現代心理学部 教授

小口 孝司(おぐち たかし)

Profile─小口 孝司
東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2009年より現職。専門は社会心理学,産業・組織心理学,観光心理学。著書は『観光の社会心理学』(編著,北大路書房)など。

「仕事も生活もあきらめない」研究者を応援する連載の第6回は,まだ性別役割分業夫婦が大半だった頃に,ご実家が遠方のためにご夫婦お二人で子育てをしながらフルタイムで共働きをされてきた小口孝司先生です。

妻は公務員で共働きです。仕事が楽しそうでした。ところが子どもができると状況は一変。子どもは認可保育園に入れず,仕方なく電車で3駅の無認可の託児所に。満員電車で子どもを抱え,ベビーカーも持ち込む姿に冷たい視線。子どもは体調を崩すことも度々。幸い,数か月後認可保育園に入れてもらえましたが,二人とも通勤時間が1時間以上かかり,延長保育もなかったので,相変わらず綱渡りの日々。

その後,二人目の妊娠を機に私の職場の近くに引っ越すことに。私は通勤の負担がほぼなくなりましたが,妻にとっては知らない土地で二人の小さな男の子を抱え,保育園も決まらず非常に不安な様子で,とても心配でした。そんなときに10倍もの競争率の中,第一希望の保育園に入れてもらえることに!夫婦で大喜びしたのを覚えています。

最も手がかかる保育園の頃を過ぎると,実際に世話を焼くことは少なくなり,心に気を配ったり,金銭的負担は大きくなったりと,親の役割が変化してきます。無論,大学を卒業するまでは山あり谷ありですが,子どもが大きくなるにつれて,私はやりたい仕事が少しずつできるようになり,その間に大学を二つ変わりました。

以上が私のワーク・ライフですが,いくつもの失敗をしています。一つは,子どもがいる生活を考えていなかったこと。現実に仕事,家事,育児に忙殺されている妻を見ていると,他人事ではいられず次第に家事・育児に関わるように。しかし,自分の周りを見るとほぼ専業主婦。なぜ自分だけが家事をという思いがあり,妻と口論をすることも。そんなときに,ママたちから熱狂的な支持を得ている高名な先生に,大学でご講演を頂きました。ご講演の後,つい家事のことをこぼしてしまった私に,「そうは言っても奥様が働いてくださっていることでとても助かっていることがあるはずですよ。奥様に感謝しなくてはね。」と仰ったことを鮮明に覚えています。考え方が変わる転機となり,大変感謝しております。家事・育児への思いも,妻との関係も変わっていくことになりました。

また,丈夫でもない私が通勤と子育てで消耗してしまったことも失敗でした。ライフはおろか,ワークも悲惨なものでした。研究は言うに及ばす,大学の職務も同僚の先生方に大いに迷惑をおかけしてしまいました。優しい先生方に大変助けていただき,本当に感謝しております。少なくとも子どもに手がかかるときには,職場に近いところに早くから住んでおけばよかったと後悔しています。

ワーク・ライフは失敗ばかりでしたが,子育ては多くのものを与えてくれました。子育ては,子どもから教えてもらうことなのかも。子どもの言動にはっとしたり,ダメ出しされたり。大人,ましてや教員になると厳しい指摘をされることがなくなってきますから貴重な存在です。

先日子どもから,私のイメージは,送り迎えで自転車の後ろに乗っていたときに,自転車を漕いでいた背中,と言われて驚きました。私にとって楽しい時間でしたが,子どもにとっても大事な時間であり,かけがえのないものを形作るときだったようです。

結婚や子育ては,時間,手間,お金がかかり,キャリアの妨げになると考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし,今は昔よりも育児制度やサービスが整ってきています。家事の外注などの選択肢も。そのためワークライフバランスは遥かに取りやすくなっているように思います。また最近は家事育児を積極的に担ってくれる男性も少しずつ増えてきているようですし,子どもができると男性も変わってくれます。

子育ては大変ですが,それ以上に貴重なものを与えてくれます。私の指一本を握るくらいだったちいさな子どもの手が,指二本,三本と握れるように大きくなり,そして手を放していくようになる。やわらかく,温かい時間です。私の拙い文章が少しでも若い方の背中を押して,こうした体験をしてもらえると望外の喜びです。

PDFをダウンロード

1