この人をたずねて
増田貴彦 氏(ますだ たかひこ)
Profile─増田貴彦 氏
2003年,ミシガン大学心理学部博士課程卒,博士号取得。北海道大学COEプログラム ポストドクター研究員,アルバータ大学心理学部アシスタントプロフェッサー(助教授)などを経て,2018年より現職。専門は文化心理学。著書は『ボスだけを見る欧米人,みんなの顔まで見る日本人』(講談社)など。
増田先生へのインタビュー
─先生が文化の研究にご関心を持たれたきっかけや経緯を教えて下さい。
私が育ったのは埼玉の小規模工場地帯で,当時から外国人労働者も多く,いろいろな社会の有様に幼少期から触れる機会がありました。異なる文化背景の人々が共存することに対して,ほんのわずかな考え方の違いで,うまくいくケースもあればうまくいかないケースもあるという感覚がかなり初期の頃から自分の生活体験の中に入っていたように思います。
最初に学んだ北大では,山岸俊男先生をはじめ,指導熱心な先生方による学生への厳しいトレーニングによって,真摯に研究に打ち込む面白さを教えていただきました。そこではマイクロ・マクロ現象を学ぶ機会があり,心理プロセスも社会システムも大事で,両方を絡めた形で良い研究ができないかと考えていました。その後,京大に進み,そのアイデアを心理学の領域内で体系化できることを,当時「文化と自己」という論文を書かれていた北山忍先生から学び,もっと根本的に人間の認知や知覚に文化や社会の影響が出て然るべきだろう,と思い至ったのが修士の終わる頃です。当時,ミシガン大学のニズベット先生がそういった研究をされていたことから,博士課程でそちらに留学することになり,その辺りから興味が固まっていったように思います。
─先生の研究テーマを方向づけた,思い出深いご研究がありましたら教えて下さい。
博士課程に進んだ当時,議論では,知覚や認知にも文化差が出るはずだと言われていましたが,それを実証するにはどこから手を付けていいのか分からない状況でした。そんな折,ニズベット先生とアメフトの話をしていた時に,私が「観戦に熱が入り席から立ちあがる時に後ろの人の視界を遮ってしまうことが気になる」という話をしたら,先生は「そんなこと気にしなくていいんじゃないか」と。その話が盛り上がって,お互い周囲への関心の度合いが違うかもしれないという議論になり,注意の課題で日米文化比較をしてみることになったんですね。
それで実験のためのアニメーションを作ることになり,夜な夜な図書館のコンピュータで一人さびしく刺激を作りながら,結果がどうなるか分からないが,とにかく刺激だけはしっかり作ろうという気持ちだけで研究を始めました。それが幸い望ましい結果が出て,大学院で一番良い研究だったという賞をいただいたんですね。まだ英語が上手いわけでもなく,先の見えない状況だったので,大きな励みになりましたし,頑張ると結構いけるんだ,という自信や信念を持つきっかけになった研究でした。
─海外で研究活動されてきて良かった点はどのようなところでしょうか。
幸い私が所属している機関では,研究成果は毎年厳しく評価されますが,その分,十分に研究の時間をとらせていただいています。あと,人間関係に自由度がある環境であることは,私も外国人という不安定な身分ですし,制約の少ないほうがアイデアを発揮できるタイプなので良かったかなと思います。
また,私の研究室の学生は,ヨーロッパ系カナダ人だけでなく,中東系・東アジア系・アフリカ系など,それぞれ全く違う文化圏出身者も多く,職場で感じる些細な行動の差からアイデアが生まれることがあるので,それがうちの研究室の一番押している点です。一方で,日本に戻ったときには,自らを育んだ文化に共通の話題で会話できることも楽しいですし,そういうところから日本文化を再認識することも大切にしています。
─ご研究をされる際にどのようなことを大切にされていますか?
多くの日本人研究者に共通な性質なのかもしれませんが,私には職人気質なところがあり,刺激作り・データ採集などの段階から自分の手を動かして,丁寧にやっていこうというところがあります。自分で現場を丁寧に踏んでおくと,データの強みや弱みがよく把握できますし,後からより良い解釈や再検証が可能なリッチな情報を得ることができます。ですから,不明瞭なデータをできる限り無くすように,日々ベストを尽くすつもりで研究するように心がけています。学生を指導する時もそれは煩く言っていて,それが嫌でたまらない学生たちもいるんですが,そうしておくと後々が楽になるよ,と伝えています。
─現在関心を持っておられるのはどのような研究でしょうか。
現在,興味があるのは発達研究です。文化による知覚や認知様式の違いが,何かしらの形で学習されるものだとすれば,発達を抜きには文化の研究は語れません。特に,文化的傾向が出てくるのは早ければ4歳,大人に近くなるのは10歳位ですが,そのような文化・社会化がいかになされるのか,という文化伝承のプロセスに今一番興味を持っています。
また,東洋・西洋という次元から一回抜け出して,新たな文化の軸を探る旅にも出始めています。最近コンタクトをとって論文を書いたのは,モンゴルの子どもたちのデータです。遊牧民という,私たちの農耕世界の文化圏とは全く違う次元から,人類学的なフィールドワークも交えて,もう一回文化のことを考え直してみたいと思っています。
─最後に若手研究者に向けたメッセージをお願いします。
私たちは,不確定性の中で生きながらも,日常生活では世の中こういうものなんだなと納得しながら過ごしています。ただ,異なる世界観に立つと,今まで見えているものとは全く違う社会的現実が立ち上がってくることを,私自身,リアリティーのある形で何遍も経験してきました。その経験によって本来自分から出てこなかったような良いアイデアが生まれてきたり,テーマがふっと降りてきたりすることがこの上ない楽しみです。若い方は自分の慣れた視点とは違う視点が得られる場に身をおいてみることで,世界の見方が変わる体験や,何かが開けてくる体験をぜひ大事にされたらいいかなと思います。
インタビュアーの自己紹介
インタビューを終えて
今回,増田先生には,Covid-19の影響でカナダに緊急帰国をされた直後にもかかわらず,オンラインでのインタビューを快くお引き受け下さり,大変感謝しています。増田先生のお話を直接伺うのは初めてでしたが,どんなことでも丁寧にお話し下さり,楽しい時間を過ごさせていただきました。
私自身,発達と環境の関係に関心を持って研究をしており,今回,増田先生から子どもを対象とした文化伝承のご研究や,文化心理学の大きな展望についても伺い,とてもワクワクしましたし,発達研究の今後の可能性についても感じさせていただく大変貴重な機会でした。今回,若手にはとても参考になる楽しいお話をたくさんしていただいたにもかかわらず,一部しか載せられなかったのが心残りですが,ぜひ自身の研究活動に活かせるように頑張りたいと思います。
現在の研究テーマ
ヒト特有の心の機能が,身体−環境の相互作用を通してどのように形成されるのか,特に,生後早期の環境経験が認知機能の発達にどのように影響を与えるのか,というテーマで研究を進めています。これまでは主に,ハイリスク児である早産児を対象に,生後早期の「泣き」の特徴に注目した研究を行ってきましたが,メロディーの抑揚が大きく,多様な泣きをする児ほど,その後の言語発達などが良好であることが分かってきています。このことから,乳児の泣きは神経発達の個人差を反映すると同時に,養育者の関わりにも大きな影響を与えているのではないかと考えています。
現在,こうした可能性を検討するために,生後早期の自発的な発声や運動の多様化に関わる神経生理学的メカニズムの解明に加え,その発達プロセスにおける感覚−運動経験や,養育者との相互作用についての研究を進めています。新生児期の泣きに文化差があることが報告されていることもあり,いつか文化的視点を取り入れた泣きの研究に取り組んでみたいと思っています。
Profile─しんや ゆうた
東京大学大学院教育学研究科附属発達保育実践政策学センター特任助教。2019年,京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。論文は,Preterm birth is associated with an increased fundamental frequency of spontaneous crying in human infants at term-equivalent age(共著,Biology Letters)など。
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