【特集】
脳を刺激する
だれしも簡単にテストの点を上げたり,足を速くできたりすればいいのにと思ったことがあるかもしれません。こうした能力やこころの有り様を望ましい方向に変化させることは,心理学の大きな目標の一つです。心理学では,おかれている環境や考え方を変えることで行動を制御しようと試みてきましたが,脳の活動を直接的に調整することも一つのアプローチといえます。近年では,つよい痛みを感じることなしに,電気などの外部刺激を用いて脳内の神経活動をより活性化させたり,あるいは逆に抑制できることがわかってきました。これらの現象を利用して,健康な人や精神・神経疾患の患者さんの認知や運動のパフォーマンスを向上させる研究が行われています。さらに,この脳刺激を利用して,脳とこころの関係を調べる研究も活発になっています。
本特集では,身体を傷つけない脳刺激をもちいた研究が現在どこまで進んでいるのか,様々な現象を対象にしている先生方に知見を紹介いただき,その可能性を探っていきます。(小野田慶一)
経頭蓋脳刺激法によるヒト脳研究
─現状と展望
田中 悟志(たなか さとし)
Profile─田中 悟志
2000年,上智大学文学部心理学科卒業。2005年,総合研究大学院大学博士後期課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員(生理学研究所),同海外特別研究員(米国NIH)等を経て2014年より浜松医科大学医学部 准教授,2021年より現職。専門は心理学,神経科学,行動医学。
はじめに
学生の頃,最初に読んだ脳刺激研究の論文は,Natureに発表された視覚障害者の視覚野の機能に関するものであった[1]。視覚野付近に経頭蓋磁気刺激(transcranial magnetic stimulation: TMS)を行うと,生まれつきまたは早期に失明した人では点字の判読など触覚知覚に干渉が生じるが,目の見える人では干渉が生じない。この結果は,視覚障害者において視覚野が本来の機能の代わりに視覚以外の情報処理に関与することを示しており,ヒト大脳皮質のダイナミックな可塑性の存在を示した点で大きなインパクトがあった。頭蓋の外から大脳皮質を刺激し,知覚という主観的体験を干渉できるTMSという方法は,当時卒論で視知覚の精神物理学研究に取り組みつつも,次第に脳から心へのアプローチに趣味嗜好が移りつつあった学部生の私に大きな衝撃を与えた。上智大学の図書館2階でこの論文を目にした時の興奮を今でも覚えている。博士号取得後,私はこの論文の著者であるコーエン(Cohen)博士の研究室に所属し,様々な脳刺激法のトレーニングを受けることができた。主任研究者(PI)として独立した現在も,脳刺激法は筆者にとって重要な研究ツールの一つとなっている。
私が脳刺激研究を始めた2000年代初めは,経頭蓋脳刺激といえばTMSの一択であった。しかし,現在は電気刺激,超音波刺激など複数の刺激法が登場している。本稿では,現在使われている脳刺激法について出来るだけ平易に紹介し,最後に今後の脳刺激研究について展望した。
経頭蓋脳刺激法
経頭蓋脳刺激法は,頭蓋の外から物理的刺激を与える。よって,外科手術は必要なく,脳外科医がいなくても実施できる。経頭蓋脳刺激法の最大の特徴は,脳に物理的刺激を与えて一時的な運動,知覚,認知の変容を引き起こすという点である。この点において課題遂行中や安静時の脳活動計測を行う脳機能イメージングとは本質的に異なる。多くの脳刺激研究では「ある局所脳領域を刺激して特定の課題の成績が変化するならば,その脳領域はその課題遂行に必要な機能に必須の役割を果たしているはずだ」と仮定する。脳損傷患者を対象とした神経心理学と同様のロジックである。当然,様々な交絡因子が考えられるので,それらの統制は心理学者の腕の見せ所である。一方,脳刺激の作用機序はまだ不明な点が多い。刺激直下の皮質のどの細胞が刺激されているのか情報が少ない。またマクロな視点で見ると刺激は刺激直下の領域に加え,その脳領域と連結する脳ネットワークに影響している可能性がある。それ故,脳刺激研究はなかなか歯切れのよい結論を出しにくいのも確かである。しかしながら,上述した「機能に一時的に影響を与える」というユニークな特徴ゆえに,現在広く使用されるツールとなっている。工夫次第では主観的な体験そのものに介入できる脳刺激法は,心理学者好みの脳研究の手法ではないかと思っている。
磁気刺激
TMSは現在最も普及した経頭蓋脳刺激法である(図1A)。TMSでは,頭部に置いた刺激用コイルに瞬間的に電流を流し周囲に変動磁場を発生させる。これにより生じた渦電流によって人工的に神経細胞を発火させる方法である。したがって,TMSは磁気刺激と呼ばれているが正確には電気刺激である。TMSの空間解像度は他の刺激法に比べると比較的良いが(図1D),最大の特徴は優れた時間解像度である。磁場パルスは1ミリ秒以下の非常に短い時間で生じるのでミリ秒単位での制御が可能である。例えば,五次視覚野(V5)への磁気刺激から5~45ミリ秒遅れて一次視覚野(V1)を磁気刺激すると視知覚が干渉されることを示し,意識的な視覚経験(アウェアネス)成立におけるV5からV1への逆行性の情報伝達の重要性を示唆したPascual–Leoneらの研究は,磁気刺激の時間解像度を活用した好例といえる[2]。
TMSには1Hz程度の頻度で約10~20分間刺激を行う低頻度連続TMSという刺激方法がある。この刺激パラメータでは,皮質興奮性を刺激後数分から数十分抑制させるという報告があり,一時的にその皮質機能をノックアウトすることからVirtual lesion法と呼ばれている。仮想的な脳損傷状態を作り出すという意味である。TMSの時間解像度を十分活かした刺激方法ではないが,ミリ秒~秒単位の情報処理がそもそも研究目的でない場合などに適した刺激方法である。
磁気刺激に関しては,TMSの他に経頭蓋静磁場刺激(transcranial static magnetic stimulation: tSMS)が2011年に報告されている(図1B)[3]。5㎝程度の磁石を運動野直上に10~15分置くと,一時的に運動皮質の興奮性が抑制されるという報告がある。渦電流による電気刺激であるTMSとは異なり,tSMSは文字通り磁気刺激である。論文数が少なく今後の検討が必要であるが,簡便性という面で他の手法よりも利点がある。強力な磁石なので刺激装置の近くに金属や電子機器を持ち込めないが,ついつい忘れてしまいそうになる。そういう意味で,取り扱いがやや面倒な刺激装置である。
電気刺激
電気刺激の中で最も広く使われている方法は経頭蓋直流電気刺激法(transcranial direct current stimulation: tDCS)である[4]。tDCSではターゲットとなる脳部位の直上と基準となる部位の二つに電極を置き,1~2mA程度の直流電流を10~20分程度通電する(図1C)。tDCSは簡便に実施でき,重篤な副作用がない。陽極刺激によって皮質興奮性を一時的に高めることが報告されており,基礎研究に加えリハビリテーションなど臨床応用を目指した研究が数多く行われているという特徴がある。運動,知覚,認知課題の成績に対して陽極刺激が促進効果を持つことが報告されている。例えば,我々は一次感覚運動野の直上に陽極電極を置く条件で,触覚弁別課題の成績が向上することを脳卒中患者で確認している[5]。
上述のとおり,tDCSは簡便性や安全性といった利点がある一方で,ネガティブ・データも多く実施や結果の解釈には注意が必要である。注意すべき点の一つは刺激範囲の解釈である。我々のMRI解剖画像を用いた電界シミュレーションの結果によれば[6],tDCSは電極直下以外の領域でもかなりの範囲を刺激していると推定される(図2B)。また,電極の配置によっては電界の最大値は電極直下ではなく二つの電極に挟まれた領域となる。したがって,電極直下の大脳皮質領域を刺激しているという想定はかなり危うい。個人的には,脳領域の同定を目的とするような基礎研究にはあまり向いていないと考えている。刺激の精度を上げるには,サイズの小さい電極やhigh density tDCSと呼ばれる陽極電極を複数の陰極電極で取り囲むような電極配置が望ましい(図2C,D)。
経頭蓋電気刺激には,tDCSの他に経頭蓋交流電気刺激(transcranial alternate current stimulation: tACS)という方法も提案されている[7]。使用する機器や電極はtDCSと同一である。tACSもtDCSと同様に空間解像度は低い一方で,交流刺激の周波数依存的に脳の振動現 象を増減させることが報告されており,脳のリズムの機能的役割を検討する上で有効なツールであると考えられる。経頭蓋電気刺激は,その他に経頭蓋ランダムノイズ電気刺激(transcranial random noise stimulation: tRNS)という刺激法も提案されている[8]。
経頭蓋電気刺激は,基礎研究に加え装置の開発も進んでいる。例えば,私は行動中に使用できる小型のウェアラブル電気刺激装置をオージー技研株式会社と共同で開発を行った(図3,GD–800をtDCSとして応用)。
超音波刺激
経頭蓋集束超音波刺激(transcranial focused ultrasound stimulation: tFUS)は,超音波の機械的作用を利用した新しい刺激法である。TMSやtDCSに比べて優れた空間解像度を持ち,脳表だけでなく脳の深い領域を刺激できるという利点を持つ。例えば,右半球下前頭回へのtFUSによりポジティブ感情が高まるという報告がある[9]。tFUSで使用される刺激のエネルギーレベルは,米国規格の安全基準の範囲内である。高い空間解像度や深部刺激の可能性を踏まえれば,経頭蓋脳刺激法の中では脳研究のツールとしてのポテンシャルは一番高いように思える。一方,報告された研究数はまだ少なく,今後最適な刺激パラメータや効果の検討が必要であろう。
侵襲型脳刺激
本稿は経頭蓋脳刺激について論じたが,最後に侵襲型の脳刺激について考察したい。埋め込み型の刺激装置は高い空間解像度と時間解像度を誇るが,外科手術を伴う。したがって,実施には倫理的に高いハードルがあり,健常者を対象とした脳の基礎研究で使用されるとは個人的にはとても思えない。
一方,脳腫瘍やてんかんなどの術前評価や機能再建を目的として患者を対象に行う研究は以前から行われている。最近,視覚障害者およびてんかん患者の視覚野に電極を埋め込み電気刺激を行うと,電気刺激の空間的パターンをそのまま患者が文字として認識できたという研究結果が報告された[10]。この研究は,特定の知覚を成立させるための情報を電気刺激によって皮質に伝達できることを示した点で興味深い。侵襲型脳刺激は,脳研究のツールとして今後さらに重要な位置を占めていくと予測される。
昨今の学際的な流れを考えれば,心理学者が脳外科医や生体工学者と協力し,侵襲型脳刺激の研究に参入する流れはもっと促進されるべきであると思う。私は医学部に所属しているが,健康なヒトの心理や行動を専門とする心理学者のもつ知識や技術,発想は,医学者のそれとは明らかに異なっている。その分,医学分野からの心理学者に対する期待は我々が想像している以上に大きいと日々実感している。この研究領域への心理学者の積極的な参加を期待したい。
おわりに
21世紀初頭からの20年間,心の神経基盤を探求するための脳刺激法の選択肢は大きく増えた。その背景には技術開発,シミュレーション,動物実験,臨床医学など学際的な取り組みが急速に広がった点が大きいと感じる。新しい刺激法が生まれる一方,科学的検証が進めば使われなくなっていく刺激法も当然あるだろう。しかし,それこそが正常な科学の進歩であると思う。現状,心の科学において脳刺激法ができることは極めて限られており,「脳を刺激すること」と「心を刺激すること」の間には依然大きなギャップがあると感じている。しかし,脳刺激を取り巻く現在の学際的な流れは,そのギャップを埋めるための正しい道筋への一歩となっているだろう。ヒトの認知や主観的体験にスマートに切り込めるような,新たな脳刺激法の登場が待ち遠しい。
文献
- 1.Cohen LG et al., Nature 389: 180–183, 1997.
- 2.Pascual–Leone A & Walsh V., Science 292: 167–170, 2001.
- 3.Oliviero A et al., J Physiol 589: 4949–4958, 2011.
- 4.Nitsche MA & Paulus W., J Physiol 527: 633–639, 2000.
- 5.Fujimoto S et al., Front Neurosci 10: 128, 2016.
- 6.Laakso I et al., NeuroImage 137: 140–151, 2016.
- 7.Antal A et al., Brain Stimul 1: 97–105, 2008.
- 8.Terney D et al., J Neurosci 28: 14147–14155, 2008.
- 9.Sanguinetti JL et al., Front Hum Neurosci 14: 52, 2020.
- 10.Beauchamp MS et al., Cell 181: 774–783, 2020.
謝辞
科学研究費補助金・基盤研究(B)(20H04050)の助成を受けた。