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【小特集】

気候変動問題をめぐる変化への抵抗 ─ミニ・パブリックスを通じた検討

八木 絵香
大阪大学COデザインセンター 教授

八木 絵香(やぎ えこう)

Profile─八木 絵香
東北大学大学院工学研究科技術社会システム専攻修了。博士(工学)。2020年より現職,大阪大学社会技術共創研究(ELSI)センター副センター長を兼任。専門は科学技術社会論,ヒューマンファクター研究。著書に『対話の場をデザインする(正・続)』(大阪大学出版会)など。

「脱炭素社会」への転換

日本でも近年,大型台風や集中豪雨,猛暑や暖冬などの極端な気象現象が増加し,気候変動の影響を身近に感じる機会が増えている。私たちの社会が取り返しのつかない影響を受けることを回避するため,温室効果ガスの排出を21世紀後半に実質ゼロにするという国際目標が共有され,世界は脱炭素社会の転換へ舵をきった。

しかしながら諸外国と比較して日本国内では,脱炭素社会への転換に伴う社会生活の変化に抵抗する傾向が確認されている。そのような背景を踏まえ本稿では,筆者が関わってきた気候変動問題をめぐる無作為抽出型の市民パネル(ミニ・パブリックス)の事例を題材として,気候変動問題をめぐる変化への抵抗ついて考察を行う。

気候変動問題をめぐるWorld Wide Viewsという取り組み

気候変動問題をめぐる国際交渉の場(COP)に,政治家や政策担当者,NPO/NGO等のステイクホルダーではない,市井の人々の声を届けることを目的として設計されたWorld Wide Views(WWViews)という取り組みがある。最初のWWViewsは2009年に開催され,パートナーとなる世界各国の主催団体が,100人の市民を集め,「共通の情報」に基づいて,「共通のプログラム」で議論し,「共通の設問」に回答する形式で,「世界市民」の声をCOP15の場に直接インプットした[1]。気候変動問題に関するWWViewsは,2009年と2015年[2]の2回開催されているが,結果からは,日本の参加者は特徴的な傾向をもつことが示唆されている。

日本の参加者にみられる特徴は,①気候変動の実感の乏しさや,科学的に未解明な部分があることを理由に,気候変動の影響についての危機意識が低いこと,②世界各国の参加者は,気候変動対策により「生活の質が高まる」と認識しているのに対し,日本の参加者の多くは,「不便」「我慢」「経済的負担」という表現で,気候変動対策の実施が生活の水準を下げ,国民個々人に経済負担を強いるものであると考えていること,③今世紀末に温室効果ガスの排出量をゼロにするという長期目標,および2030年までの短期目標は拘束力を持つべきとする世界の潮流に対して,日本の参加者は消極的な姿勢を見せていることの3点に集約される(日本科学未来館,2019)。一言で言えば,世界各国と比較して日本の参加者は,脱炭素社会にむけた変化への抵抗を示す傾向が確認されたのである。

脱炭素社会への転換にむけた市民パネルの取り組み

この傾向をより深く分析するために2019年には「脱炭素社会への転換と生活の質に関する市民パネル[3]」が実施された。この市民パネルでは,社会全体の縮図となるよう年代・性別等のバランスを考慮して選ばれた18人の市民が,専門家による情報提供を受け,主体的かつ丁寧な議論を行った上で,脱炭素社会の実現可能性や,その具体的な方策についての意見を取りまとめている。

市民パネルの結論では,気候変動問題は「放置すれば地球規模で生態系を破壊」し,結果として「人類,特に将来世代の生存権さえ侵害しかねない」大問題であることが明示されている。加えて社会的弱者が深刻な被害を受ける可能性についても言及がなされ,「原因への責任が小さい人が深刻な被害を受けるという不公平な構造がある」ことも指摘されている。

その上で,パリ協定で示された脱炭素社会への転換は「やらなければならない」という認識が示され,「そのハードルはとても高い」が「取り組み方次第では,パリ協定の排出目標は達成できる可能性がある」という方向で意見が一致し,一見すると変化への抵抗が和らいだようにもみえる。

また過去2回のWWViewsとは異なり,結論では「私たちにとって最も大切なのは,私たちが安心・安全に暮らせる地球,環境や,自然を守ること」であり,「そうすることが私たちの生活の質の向上につながる」という主張が明快に述べられている。生活の質を「高める/脅かす」という対立軸でとらえるのではなく,安全・安心に暮らせる環境の保全(=気候変動問題への対策を推進する社会)こそが,生活の質向上の基盤にあることが明示され,パリ協定後の脱炭素化にむけた国内外の動きに応じ,新しい変化に順応していく様子を垣間見ることもできる。

一方で,参加者アンケートでは,21世紀後半の実質排出ゼロ目標の実現可能性は「乏しい」とする回答が44%,「中間(可能性があるとも乏しいとも言えない)」とする回答が38%あり,前述の「達成できる可能性はある」という結論の表現は,積極的な主張というよりは,可能性は否定しないという留保であると読み解くことができる。その根底には脱炭素社会にむけた変化への抵抗が存在することを否定できないのだ。また,脱炭素社会への転換が生活の質にどのような影響を与えるのかという質問に対しては,「日常生活の不自由さ・不便さ」「家計への圧迫,経済的な負担の増加」「経済成長への制約,経済活動の停滞・混乱」についての言及もなされており,変化への抵抗が完全に払拭されたと言い切れない。

しかし,それにもかかわらず2020年の市民パネルでは,脱炭素社会への転換が生活の質を高める機会となる側面を強調する方向で,結論がまとめられた。その理由としては,いくつかのものをあげることができるが,安全・安心して暮らせる環境の保全こそが,生活の質を支える基盤であるという認識が,社会の中で共有されるような土壌が整ってきたということが少なからず影響を与えたと言えよう。加えて,気候変動の影響は深刻であり,脱炭素社会への転換は将来世代や大きな影響を受ける途上国の影響を考えると不可避であるとの認識が共有されたことも影響したと考えられる。

いずれにしても脱炭素社会にむけた変化への抵抗が和らぎつつあると読み解くことが可能なこの結論は,社会の脱炭素化をポジティブに評価した上での主張というよりは,「脱炭素社会への転換は不可避である以上,せめて前向きに受け止めて対処するほかないという」迷いを含んだものであることに留意する必要がある。

また市民パネルの議論では,生活の質は「人によって異なり,非常に多様である」ことや,「住んでいる地域や,経済状況,年齢」によその取り組みの実効性は異なるため,脱炭素社会への移行が押し付けや強制,排除に繋がることを避け,多様性が大きく損なわれないような形で対策を進めるべき,という視点も提示されている。ここに至るまでにはいくつかの議論があり,脱炭素化にむけたドラスティックな変化と,多様性の維持という方針は相容れないため,気候変動問題の深刻さを考えればある程度の犠牲はやむを得ないのではないか,という視点も市民参加者から提案されていた。

しかし最終的には,脱炭素社会にむけた変化が別の形での「不公平」を生まないようにするという,社会的弱者へのまなざしが色濃く結論の文章に残ったことは,変化への抵抗というよりは,変化の過程における公平性の担保に参加者がこだわったことの現れであり,外形的には変化に抵抗しているように見える主張は,「適切な」変化のための要件の提示であると捉え直すこともできよう。

変化への道筋のための対話

脱炭素社会への移行は,産業構造やライフスタイルの転換を強く促すものであり,人々の生活に大きなマイナスの影響をもたらすものではないかという危惧,すなわち変化への抵抗感は,国内外を問わず根強い。このような抵抗に呼応する形で,脱炭素化という急激な社会の変革を,いかにして社会の中で公正かつ,多くの人の納得がいく形で進めていくのかの手がかりとして,本稿で紹介したようなミニ・パブリックスの取り組みが盛んとなりつつある。

社会の縮図をつくり,丁寧な議論を行い,その結果を政策決定に用いようとするこれらの取り組みは,選挙制で選ばれた代表や利害関係者だけでない一般の市民による熟議を通した民主主義の深化という意味で,また社会の変化を促すものとも言えよう。

注(いずれも2021年2月28日現在)

文献

  • 脱炭素社会への転換と生活の質に関する市民パネル実行委員会(2019)「脱炭素社会への転換と生活の質に関する市民パネル報告書」
  • 三上直之(2020)「欧州の市民が議論した「新型コロナと気候変動」」『科学』90(12),1087-1093.
  • 日本科学未来館(2019)「日本科学未来館・展示活動報告書vol.11 世界市民会議「気候変動とエネルギー」ミニ・パブリックスのつくる市民の声」

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