- HOME
- 刊行物のご案内
- 心理学ワールド
- 93号 脳を刺激する
- アメリカ心理学部の進路事情
アメリカ心理学部の進路事情
荒川 礼行(あらかわ ひろゆき)
Profile─荒川 礼行
2004年,名古屋大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(心理学)。ケースウェスタンリザーブ大学医学部研究主任,メリーランド大学医学部助教授などを経て,2020年より現職。専門は行動神経科学。著書にHandbook of Behavioral Genetics of the Mouse(分担執筆,Cambridge University Press)がある。
私は名古屋大学にて博士取得後,日本学術振興会特別研究員PDの後半からアメリカに渡りました。以来15年の間6カ所の大学を渡り歩き,博士研究員・教員・研究主任とさまざまなポストを経験しながら延々と引っ越しを繰り返し,すっかり日本を忘れた頃になぜか戻ってきました。家族共々語るに尽くせぬ経験もありましたが,長期間に及ぶ海外生活が日常となっていましたので,むしろ現在日本での生活に戸惑いを感じています。このように日本の事情に疎いため,今回話題をどうするか悩みましたが,アメリカで心理学部と医学部の両方の教員経験があることから,これら二つの学部を繋いでいる進路設計(の裏事情?)についてご紹介しようと思います。
アメリカの心理学部の方向性
アメリカの大学の心理学部とはいえ,各々無方向に研究をしていればよいというわけではなく,きちんと学生に付加価値をもたせて送り出す使命があります。ところが今や,職業に直結するような付加価値は大学院から付与される社会となっており,特に人気の医療系とビジネス系も大学院から専門教育に入ります。つまり学部の専攻は原則何でもよいことになりますが,それでも進学しやすさや進学後の学習しやすさの違いはあります。この点,心理学部は医療系(医学・薬学・看護を含む)への進路希望が5~7割となっており,専門大学院への進学しやすさに付加価値を見出せるわけです。つまり「高校生が医師(あるいは医療系職種)に就きたいと思ったら,まず心理学部(あるいは生物学部)を卒業する」という標準進路が形成されて久しい,というのが心理学部の現状です。日本では高校卒業直後から学部ごとに分けられますから,それとは学生の進路設計が全く異なるわけです。
医学基礎課程としての心理学部
そのため,心理学部として優先すべき付加価値が医療系への進学しやすさとなります。大学あるいは学部組織の中では,心理学・生物学・化学の関連カリキュラムを組み合わせてPre-Med(医療系進学)コースを設定するところや,神経科学の学位コースを医学の学部課程として設定する場合もあります。これには医学系基礎科目履修の他,基礎医学教室への配属に備えるための実験室実習なども含みます。
このような理由から,アメリカの心理学部,特に基礎系心理学のカリキュラムは医学系準拠,あるいは医療系に親和性の高いものに改編されています。例えば,「知覚・認知心理学」や「学習心理学」はヒト中心の「認知神経科学」,動物モデル中心の「行動神経科学」に名称が変えられ,もちろん内容も医学と親和性の高い神経科学を前面に出したトピックで構成されています。学部で看板となるカリキュラムが基礎医療系に準拠することで,当然医療系の公募研究費,つまり昔は主流だった国立科学財団(NSF)系ではなく,国立衛生研究所(NIH)系を狙えるようになりました。採れるかどうかは別として,大学側でも多額の外部資金による運営を歓迎しています。それによって,強いプログラムを持つ学部では多額の資金を得て学生が集まり,その学生たちが医療系に親和性の高い経験を積んで,実際医療系に強みを持って進学していくという流れができています。
これらの流れが加速したのは比較的最近のことであり(知人教授調べ),伝統的な心理学の在り方を守ろうとする流れも残ってはいます。しかし残念ながら,これら伝統的な心理学は医療系との親和性が低いことから学生人気が得られず,大学経営の観点からも縮小するか,あるいは資金を積み上げ医療系に近似するよう改編することが求められています(とある大学では資金が集められず頓挫したことも)。このような事情が裏(土台)に存在すると知ることで,アメリカの心理学の研究,教育の方向性が見えやすくなる面もあるかと思います。若手の方の海外状況把握の一助となれば幸いです。
PDFをダウンロード
1