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だって僕は外国人ですから☺

孟 憲巍
大阪大学大学院人間科学研究科 助教

孟 憲巍(もう けんい/Meng Xianwei)

Profile─孟 憲巍
2018年,九州大学大学院人間環境学府修了。博士(心理学)。日本学術振興会外国人特別研究員(京都大学),同志社大学赤ちゃん学研究センター助教を経て2021年より現職。専門は発達科学,実験心理学。近刊に『教える赤ちゃん・察する赤ちゃん:他者を理解し働きかけるこころの発達と起源』(単著,ナカニシヤ出版)がある。

私は80年代に中国の農村部に生まれました。幼いころは,家の年収が1万円くらいの貧しい暮らしでしたが,畑で走り回るなど楽しく過ごしていました。小学生時代は,「紅白機」(ファミコン)が一般家庭に浸透し,それが私にとって初めての日本文化でした。村の友人と四六時中「スーパーマリオ」などで遊び,楽しい時間をたくさん共有しました。

急速な経済成長とともに,私の生活も大きく変わっていきました。村を離れて都市部で勉強するようになり,そのあと中国を離れて日本で勉強するようになりました。こうして日本語で文章を書くことになるとは,幼いころには全く想像できませんでした。

生活するコミュニティが変われば,周りの常識や規範も変わります。都市部の学校に入って違和感を強く感じたのは,都市部の友人は(村の友人より)「共有」したがらないことでした。お菓子があったらみんなで食べる,ゲームがあったらみんなで遊ぶという「農村式」が通じなくなり,初めは寂しい気持ちになり,相手の行動に悪意を感じることもありました。都市部の友人の家に遊びに行くようになると,友人たちのほとんどは,それぞれ異なるマンションに住み,互いの住まいは離れていることがわかりました。これは,同じ地域に住み,日常的に一緒に食事をしたり遊んだりする農村の交友状況とは大きく異なるものでした。私は,もしかするとこのような生活様式の違いによって,共有することに対する常識が違ってくるのではないかと思うようになりました。

みんなは必ずしも同じ行動をとっている訳ではない,そして相手の行動には背景があり,その背景は自分が持っているものと違うかもしれないことに気づきました。それからは異なる価値観を受け入れられるようになった気がします。

日本に来るとさらにそれまでの常識が覆されます。飲食や住まいなどの物理的なものももちろんですが,コミュニケーションにおいても違いが多く存在します。中国では相手の意見に強く同意する時は「対」(yes)を複数回言いますが,日本では「はい」を何回も言うと嫌われるかもしれません。日本ではダメなことについて「これをしたら怒られるよ」と言いますが,中国の人は思わず「誰に?」と聞きたくなるかもしれません。中国では「好」(good)は同意ですが,日本では「いいです」は断りを意味します。日本では「雨が強い」と言いますが,中国では「雨が大きい」と言います。

常識が異なる異国に来て初めのころは戸惑うことも多くありました。しかし,私は常識の違いを楽しむように意識してきました。違いそのものももちろんですが,違いを生み出した,心理学,言語学,人類学などの背景に注目してみると,意外と気づいていなかった自分の常識を知ることができたり,何より日本人の友人と一緒に考えることがとても楽しかったです。

「違いがあるからこそおもしろい,違いがあるからこそ自分をより知ることができる,違いがあるからこそありのままで相手と接することができる」。留学経験が私に気づかせてくれました。

妻は日本の人です。「国際結婚って文化が違うから大変じゃないの?」とよく言われますが,私は真逆のことを感じています(妻の考えはわかりませんが…笑)。文化的背景が違うからこそ相手の行動について,より寛容になれるかもしれないし,より知ろうとするかもしれません。そして,いわゆる共通規範の圧力に制限されず自由に意見交換を行うこともできるかもしれません。

相手とうまくコミュニケーションがとれない時や意見が違った時,私はよく「だって僕は外国人ですから☺」と言います。すると必ずみんなが笑ってくれて,そこからより詳細な議論ができます。きっと,重要なのは「外国人」かどうかではなく,相手と丁寧に自由に交流する心遣いではないでしょうか。

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