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【小特集】

教育心理学と教育政策

山森 光陽
国立教育政策研究所 総括研究官

山森 光陽(やまもり こうよう)

Profile─山森 光陽
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程中途退学。博士(教育学)。国立教育政策研究所研究員,主任研究官を経て現職。港区お台場アカデミー学校運営協議会会長。専門は教育心理学。著書に『学力』(共著,ミネルヴァ書房)など。

教育心理学と政策との関係

教育心理学は,学校で行われていること,起こっていることを研究対象とすることが多い。そのため,他の「○○心理学」と比べて理論,考え方,方法論と政策の立案,実施との関係は深い。2017年改訂の学習指導要領には教育心理学の理論的概念的枠組みが大きく影響を与えたとの証言がある(植阪他, 2019)。全国市区町村の4分の1以上が,ある特定の心理検査を政策として採用しているとも聞く。

しかし,教育心理学の具体的な研究知見が教育政策の立案にまで影響を与えているとは言いがたいのが現状ではないだろうか。この背景には,教育心理学特有の態度である,知見の一般化への慎重さがあると思われる。

義務教育だけをとっても,全国約3万の学校,約40万の教室にあまねく適用可能な程度に,外的妥当性の高い研究知見を得ることは現実的ではない。学校での学習集団であり生活集団の単位である小中学校の学級の人数だけ見ても,1人の学級もあれば40人を超える学級もある。

仮に全ての教室で,研究知見に基づいた介入を実施するといった政策を実施したとしても,その介入が行われる条件は大きく異なる。エビデンスレベルが高いとされる知見を適用したところで,それは,あらゆる条件下で一様に効果が再現されるような処方箋としては機能しない(Pellegrini & Vivanet, 2021)。

知見の一般化に慎重な態度

教授学習場面では,ある特定の介入の効果は学習者の個人差によって異なる,適性処遇交互作用(ATI)という現象が多く見られる。あらゆる個人差に対して等しく効果的な指導方法は存在しないことが,一連のATI研究の知見から導かれる示唆である。しかし,この現象を扱った研究知見もまた,再現可能性は高くなく,不安定性をともなうことが指摘されている(並木, 1993)。

ATIの概念を提唱したクロンバックは,教授学習場面での交互作用を検出するには途方もないほどのサンプルサイズが必要と指摘した。そして,一般的な法則を導くことよりも,特定の条件下での事象を緻密に考察すること,現象を深く理解するために役立つような説明的概念を構築することの必要を説いた(Cronbach, 1975)。

教育的介入はATI研究が示唆するように,これを受ける学習者の個人差によって効果が異なる。それが実施される条件も多様であるため,研究知見の一般化はなおのこと難しい。教育心理学は,これらに対して自覚的な態度を持ち続けながら,教育が行われる場で起こっている現象,起こりうる事象に至る過程を,個人差を込みにしながら丁寧に記述し,知見を積み重ねてきたと考えられる。

「エビデンスに基づく教育」推進の潮流

この小特集の企画意図では,EBPMの機運の高まりの背景には心理学的な人間観に基づいて政策を立案すべきという考えがある,と述べられている。しかし,教育の場合は,このような考え方よりも,「エビデンスに基づく教育」を推進する動きの影響が大きいと思われる。この動きの契機となったのは,「エビデンスに基づく医療」の文脈で言うところの「エビデンス」に相当するような知見群を教育研究者が産出していないとする批判(Hargreaves, 1996)である。

この批判が起こる前にも,研究知見に基づいて効果的な教育的介入を推奨しようとする動きはあったが,それは代表的な数本の研究知見を参照したガイドラインであった(e.g., United States Department of Education, 1986)。それがこの批判を境にして,「エビデンスに基づく医療」の文脈でエビデンスレベルが高いとされる,メタ分析を中心とした研究知見の数量的統合の結果から様々な介入の効果の大小を一覧できるデータベースが提供されるようになってきた(e.g., What Works Clearinghouse, 2017)。

近年の日本では,教育心理学以外の研究領域が教育を対象とした大規模な調査を主導し,EBPMや「エビデンスに基づく教育」の要請に応えている状況が見られる。この状況を「社会医学や教育経済学分野の研究が教育心理学的な知見の社会的・政策的なニーズを代替しているのが実情」であり,教育心理学にとっては「誠に残念な現象が生じている」と評する向きもある(星野・岡田, 2019)。

教育心理学は,教育に関する学問の中でも実証性を重視しつつ,教育に関する様々な事象の複雑さに対峙し続け,得られる知見の一般化に慎重な態度をとってきた。では,教育心理学はこのような動きの中で,社会的要請にどう応えていくべきなのだろうか。

Where it works を示す

教育心理学が提供する知見は,何が効果的なのか(what works)だけでなく,介入からアウトカムの発現に至る過程も記述することで,なぜ効果的なのか(how it works)にまで実証的,理論的に迫ろうとする。この点が,教育に関する他の研究領域との違いだろう。このような特長に加えて,どのような条件下で効果的なのか(where it works)を示す知見を提供することが,いっそう求められるのではないだろうか。

教室での指導は教師の手に委ねられているところが多いが,それらは所与の条件下(例えば,1学級当たり児童生徒数は法律で決められている)で実施されるものである。そして,教育的介入が行われる場の条件を規定するのが教育政策の役割の一つである。したがって,what works,how it works にとどまらず,where it worksを示すような知見を提供していくことは,教育政策に対する寄与という社会的要請に対する,教育心理学の応答の仕方の一つと考えられる。

Where it worksを明らかにするには,従来のメタ分析では不十分であり,様々な条件下で行われた類似研究の個票データの統合が必要となる。これは,オープンサイエンスが今後いっそう推し進められることで可能となるだろう。そして,クロンバックがかつて指摘した,「途方もないほどのサンプルサイズが必要」という問題が解決される未来は,そう遠くはないだろう。

合理的な意志決定を支える実証的な研究知見とは何かを問う

教育は,ランダム化比較試験や大規模調査の結果をそのまま処方箋として利用できるような,単純な営みではない。そして,「エビデンスに基づく医療」の枠組みを安易に移植できるような領域でもないはずである。

いわゆるエビデンスとは,行為の規範を示すものではなく,理知的な問題解決に必要な仮説を示すものにすぎない(Dewey, 1938)。教育に関する意思決定は,教室での指導といったレベルのものもあれば,教育が行われる場の条件を規定する政策といったレベルのものもある。

様々なレベルに応じた,合理的な意志決定を支える実証的な研究知見とは何か,理知的な問題解決のための仮説としての実証的な知見の扱い方はどうあればよいのか。これらを議論し,考え方を広く社会に問うことは,教育という複雑な事象に対して慎み深く向かい合い続けながら実証的な知見を提供してきた,教育心理学ならではの教育政策に対する寄与の仕方の一つではないだろうか。

文献

  • Cronbach, L. (1975). Beyond the two disciplines of scientific psychology. American Psychologist, 30(2), 116–127. https://doi.org/10.1037/h0076829
  • Dewey, J. (1938). Logic: The theory of inquiry. Holt, Rinehart and Winston.
  • Hargreaves, D. H. (1996). Teaching as a research–based profession: Possibilities and prospects. Teacher Training Agency.
  • 星野崇宏・岡田謙介 (2019). 「いかに研究結果を有意に見せるか:正しい研究デザインと解析の裏側」『教育心理学年報,』58, 291–296. https://doi.org/10.5926/arepj.58.291
  • 並木博 (1993). 「教授・学習研究におけるATIパラダイムと適性理論」『教育心理学年報』32, 117–127. https://doi.org/10.5926/arepj1962.32.0_117
  • Pellegrini, M., & Vivanet, G. (2021). Evidence–Based policies in education: Initiatives and challenges in Europe. ECNU Review of Education (Online), 4(1), 25–45. https://doi.org/10.1177/2096531120924670
  • 植阪友理・無藤 隆・市川伸一・奈須正裕 (2019). 「新学習指導要領に教育心理学はどう活かされたか:中央教育審議会の議論を追って」『教育心理学年報』58, 317–320. https://doi.org/10.5926/arepj.58.317
  • United States Department of Education (1986). What works: Research about teaching and learning.
  • What Works Clearinghouse (2017). What works clearinghouse procedures handbook. Version 4.0.

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