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【特集】

研究を社会に伝える

「心理学」の文字を書店,ニュースサイトや動画サイト,SNSなどでもよく見かけます。世の中にはいろいろな心理学があり,多くの人が関心を持っています。心理学を科学として行っていくためには,その研究知見を積極的に公開し,心理学者だけのものにするのではなく,広く社会に発信し,情報を共有することが必要です。しかし一方で,社会において心理学の研究知見が歪んだ形で理解されたり利用されたり,心理学者自身が誤解を招くような発信を行っていたりすることもあります。

本特集では,社会への心理学の伝え方について,マスメディアやSNSにおける問題,一般人を交えたワークショップやアート活動,そしていわゆる研究論文の発表についても最新の状況を紹介します。また,近年話題となっている科学者と社会との関係や現在の状況について,日本版AAAS(American Association for the Advancement of Science)とも呼ばれる日本科学振興協会の活動目標も合わせて紹介します。この特集が,心理学を取り巻く状況について理解し,より良い社会への伝え方を考え,実践していくきっかけになることを期待しています。(北﨑充晃)

社会における心理学の誤用とどう向き合うか

四本 裕子
東京大学大学院総合文化研究科 准教授

四本 裕子(よつもと ゆうこ)

Profile─四本 裕子
東京大学卒業後,米国ブランダイス大学大学院でPh.D.(Psychology)を取得。ボストン大学およびハーバード大学医学部付属マサチューセッツ総合病院リサーチフェロー,慶應義塾大学特任准教授を経て2012年より現職。専門は認知神経科学,知覚心理学。著書に『科学の最前線を歩く』(分担執筆,白水社),共監訳に『APA心理学大辞典』(培風館),監修に『脳のなかのびっくり事典』(ポプラ社)。

社会に氾濫する疑似心理学

書店の「心理学」コーナーを眺めると,心理テスト,血液型性格判断,疑似科学本などが並んでいて驚くことがある。TV番組やインターネット上の記事にも,科学的知見を伴わない疑似心理学が氾濫している。それらの情報が,一般の人たちが「心理学」という言葉に持つ印象に影響を与えている。一般の人が心理学という学問に興味を持って自ら学びたいと考えても,書店には専門書と疑似科学本が区別なく混在しており,動画配信サイトで心理学と入力しても上位にはまともなものはほとんど出てこない。

あれも酷いこれも酷いと同業者と愚痴を言い合っても,それをSNSで発信しても,その情報は限られた層にしか届かない。そこからさらに踏み込んで何らかのアクションが必要だと考える心理学研究者はどれほどの数になるだろうか? さらに,自らがそのために活動しているという心理学研究者はその何割程度だろうか? そして,個人的な活動ではなく組織的に,より効果的な方法を取ることは可能だろうか?

疑似科学を否定することの困難さ

社会に広がった誤情報を正すことは困難であるようだ。心理学が扱うヒトやヒト以外の動物の心や行動の仕組みは,自分の経験と関連づけされることから,直感的に納得してしまうと真実だと思い込まれる。直感的に正しいように思えても,それが真実だとは限らないことを理解するにはある程度の科学トレーニングが必要である。疑似心理学の言説が実証を伴っていないことを説明しても,反証となる研究があることを説明しても,一度信じられてしまったことを覆すことは難しい。

疑似科学的知見が,研究を引用することなく主張されることも,問題を難しくしている。疑似科学の知見は,根拠なく無から生み出されるためそのコストは小さい。一方で,それを否定するには,膨大な関連研究を調べて根拠を持って説明する必要がある。関連研究が示唆することを取りまとめたとしても,説明の文章は慎重に言葉を選んだ長文になりがちな上に,「これが真実だ」と断言することはできないため,やはりすでに形成されてしまった信念を崩すことはできない場合もあるだろう。つまり,疑似科学の否定は,コストが大きいわりに効果が確実でない。

疑似科学者や動画配信者は,疑似科学を広げることを職業としている場合も多い。しかし,研究所や大学に所属する研究者には本務がある。疑似科学的知見が自分の研究テーマと関連している場合も,疑似科学的知見をすべて否定するデータを一人の研究者が持つことは少ないだろう。後述するが,一般向けに発信すると同業者からバッシングを受けることもある。コストが大きいのに個人にとってのインセンティブがほとんど無いため,研究者が個人として発信することには限界がある。

疑似心理学の例

私自身は,社会に蔓延る疑似心理学に懸念を抱いているが,それらを網羅して調査したことはないし,疑似科学を信じてしまう心理を研究対象にしたこともない。科学コミュニケーションを専門的に学んだこともない。しかし,「男性脳・女性脳」の俗説に関しては,個人的に問題意識を持ち,誤った情報を正すことを目的として情報発信を続けている。ここでは,「男性脳・女性脳」という言葉を使って疑似科学者が主張している内容,それがなぜ疑似科学だと言えるのかを概説し,そのような言説が社会に及ぼす影響について考える。

男性脳・女性脳とは

「男性と女性は脳が違うから,それぞれ得意なことも違う。その違いを意識してコミュニケーションを取ったり,役割分担したりすることで,人間関係が円滑になる」というのが,いわゆる「男性脳・女性脳」の俗説である。これをテーマとした本はベストセラーになり,電車や新聞などで広告を目にすることも多い。企業の子育て支援アプリに採用されたこともあるし,大企業のワークショップ等に利用されることもある。

この俗説を取り扱った書籍から,一部内容を紹介する。「世界や宇宙までも有効範囲に入れる男性脳は,半径3メートル以内の空間に,あまり意識を払わない(女の機嫌の直し方[1],p.100)」「男性脳に,女性脳が求めるレベルの家事を要求すると,女性脳の約3倍のストレスがかかるということだ(妻のトリセツ[2],p.59)」 「さらに言えば,(男女は)色の見え方も違うし,音の認知周波数帯も,嗅覚の感度も,味覚の感度も,皮膚の触感も違うと言われている[2](p.73)」「齢4歳にして一人前の女性脳の自我[2](p.48)」「女性脳は『心の通信線』と『事実の通信線』の二本を使って,会話をする。(中略)男性脳は基本的に『事実の通信線』のみである[2](p.88)」。このような言説が,引用文献なく羅列されている。この俗説には,男と女は生まれながらに脳が違うという前提がある。現在の社会における男女の分業はその結果であるらしい。

科学的根拠も示さずこのような言説を主張すること自体が問題であるが,そうは言っても,実際に性差を示した研究は数多くあるのだから,あながち間違ってもいない。という意見もあるだろう。もちろん,科学研究で示された性差を否定するわけではない。しかし,この「差」の解釈には注意が必要である。

「差」があるとはどういうことか?

まず,「差」について考える際に重要な4つの視点について考えたい。

1つ目は,科学的根拠の必要性である。直感的に正しいように思えても,科学的根拠を伴わないことがある。例えば,英語圏では,1日に女性は2万語,男性は7千語の言葉を話すという説が広く信じられているが,実際に行われた研究では,発語数は女性の方が多いという結果,男性の方が多いという結果,差がない研究などが混在している[3]

2つ目に,出版バイアスをあげる。統計的有意差があった研究は,有意差がなかった研究よりも出版されやすい。1つの論文の中で,条件や実験によって,差があったりなかったりした場合でも,差を報告した研究として引用される。その悪しき習慣を変えようという動きはあるが,少なくともこれまでに蓄積された「差」に関する知見は出版バイアスを含んでいる。

3つ目は,平均値と分散,効果量についての理解である。孔雀の羽やカブトムシの角のように,性別によって個体の形質が異なり,その差をもって生殖器以外に雌雄の差をはっきり区別できるものを性的二型という。ヒトの脳や能力の性差は性的二型ではなく,平均値の差よりも大きな個人差がある。しかしながら,「男性脳・女性脳」の俗説を読んだ一般読者は,あたかも脳が生まれ持った性的二型であるかのような印象を持ってしまう危険性がある。さらに,脳の性差に関してはその多次元性も理解する必要がある。Joelら[4]は,200人以上の脳を116の領域に分割して体積を男女別にプロットした。そして,ある個人の脳のそれぞれの領域が,「男性より」か「女性より」かを計算し,脳の男女差を可視化した。例えば,4つの脳領域それぞれについて,その個人の脳が女性よりであれば大文字,男性よりであれば小文字で記載すると,ある個人の脳は[A B c D]で,別の個人の脳は[a B C d]のように表現できる。ある特定の脳領域に一貫して性差があるならば,ある特定のアルファベットについて,多くの女性は大文字,多くの男性は小文字になるだろう。実際には,そのような領域は存在せず,脳の差は非常に大きな個人差を持ってモザイク状に存在するものであった[4]。つまり,研究でA〜Dの脳領域の平均値にそれぞれ性差があることが示されたとしても,その差に貢献した個人は,それぞれの領域で異なるのだ。この多次元性と個人差に関する理解の欠如は,安易な一般化をもたらしてしまう。

4つ目に,因果関係の複雑さを挙げる。「女性は女性脳だから〜が得意で,男性は男性脳だから〜が得意だ」という説は,脳が原因で行動や能力が結果という因果関係を仮定している。しかしながら,脳は可塑性を持つため,学習,環境,加齢など,さまざまな要因に応じて柔軟に変化する[5],[6]。つまり,脳に差があることは,行動や能力の結果でもありうる。

これら4つの視点は,研究者にとっては当然のことであっても,研究者コミュニティ以外では意識されていないことが多い。同業者であっても,私が「男性脳・女性脳」の俗説を批判するのを聞いて,「でも僕の奥さんや娘を見ていると,やっぱり男女は違うと思うよ」とわざわざ私に伝えてきた方もいた。個人的な経験と関連が大きいテーマであるが故か,研究者であっても科学的エビデンスに基づいた議論が難しい場合があることは興味深い。

「男性脳・女性脳」の俗説をなぜ放置すべきでないのか

社会や教育が人間に与える影響は大きい。脳が違うから,男女はそれぞれ得意なことをするべきだという言説は深刻な問題をもたらす。

まず,社会の差別構造と格差が助長される。日本社会において,女性の賃金は男性の70%(厚生労働省賃金構造基本統計調査),部長職相当の管理職の女性率は5%程度(内閣府男女共同参画局男女共同参画白書),女性の育児家事の時間は男性の5倍以上(内閣府男女共同参画局「共同参画」),ジェンダー平等指数世界120位(2021年)など,大きな男女差(差別)がある。医学部入試では,女性の学生の点数が不当に下げられていたという差別もあった。非科学的な俗説に基づく性別役割分業を許してしまうと,この差別構造は固定化されてしまう。2021年に,都立高校入試の男女別定員制のため,同じ点数でも女性の受験生だけが不合格になっていたという問題が明らかになった際も,「男子はあとから伸びるから」と正当化する声もあった。疑似科学が差別と格差固定の正当化に使われることは,阻止されるべきだ。

ステレオタイプとそれに基づく意識的・無意識的な差別にもつながる。男児のほうが女児よりも知能が高いというステレオタイプは6歳前後で獲得されるという報告がある[7]。指導教員が書く学生の推薦書は,男女の候補者で内容や長さが異なるという報告[8]や,名前以外は同じ内容の応募書類で審査を受けた場合,男性名のほうが雇用されやすく,オファーされる平均初任給も高かったという報告もある[9]。国語や英語は女子のほうが得意で,数学や理科は男子のほうが得意だというステレオタイプに基づく教育は,人から学修の機会を奪ってしまう。そして,学修の機会が奪われることが,社会の差別的構造や格差固定につながってしまう。

個人レベルの活動の限界

疑似科学を否定するために必要なコストが大きいことは前述した。私自身,ここ数年の間の個人レベルの活動を通して,個人での発信には限界があると感じることがある。

私が行っている個人レベルの活動は,主に一般の読者が読む媒体での発信と自治体や企業に向けた講演である。新聞やウェブ媒体に掲載される記事は,その都度ある程度の反響がある。しかし,どれだけ言葉を選んだつもりでいても,内容を誤解されたり,侮蔑的なコメントをつけられたりすることも多い。心理学研究者の中にも,私が発信することを快く思わない人がいるらしく,「ヨツモトが平均値を使う研究を批判している」と事実ではない言いがかりをつけられたこともあった。そもそも,男女差研究を研究テーマとしていない私には,このような発信をする資格はないなどと言われたこともある。「××の研究では男女差はちゃんと報告されていますよ」とわざわざ伝えてくる研究者もいた。研究者でさえ誤解する人が少なくないのだから,一般の人に誤解なく情報を届けられている自信はあまりない。発信すればするほど,一部の同業者からもバッシングされるので,よほど心身が頑丈でないと続けるのは難しい。

それに比べると,自治体や企業から依頼されての講演で受けるストレスは小さい。講演謝金というインセンティブもある。しかしながら,このようなテーマの講演を企画する会社や,自治体の講演に参加登録する人は,すでに問題意識を共有している。届けたいところに情報を届けられているという手応えはない。

このレベルの活動でさえ,本業の研究教育活動を犠牲にせずに続けることは困難である。個人の使命感ややる気に依存しないシステムが必要だと感じている。

アカデミアでできること

個人的な活動に依存せずに,組織的に,より効果的に発信することは可能だろうか?

対象は限定的かもしれないが,大学の講義の効果はあるだろう。学会等が開催する一般向けのシンポジウムでは,参加者層が限定されることが多いが,小中高の生徒を対象にしたイベントであれば,ステレオタイプからの脱却の一助となるかもしれない。

より幅広い層に伝えるためには,大学の講義やシンポジウムとは別の仕組みが必要だろう。例えば,小中高の教育で,エビデンスに基づいた議論の重要性を強調し,その例として心理学研究にも言及することができれば効果は高いのではないだろうか。理科・生物の教育の一部に組み込まれるよう,働きかけをすることはできないだろうか? さらに,保育園,幼稚園,小中学校,高校,専門学校,大学などで教育を行う大人を対象に,疑似心理学やステレオタイプの危険性などについて,情報を提供して議論を促すことはできないだろうか?

TV番組等で心理学が誤用され,その誤用が特に有害であると認められる場合には,学会等が声明を出すことがある[10]。学会として抗議するには,科学的検証に加えて学会員の意見の取りまとめや承認も必要となるため,その頻度も限られるであろうが,学会名で反論や抗議を続けることができれば,一般に広く伝わるかもしれない。

結局のところ,個人も組織も,現状を変えるため(現状よりも悪化することを防ぐため)に,できることをすべてやらねばいけない状態なのだと思う。この状況が続くと,学問の存在そのものが脅かされることになりうる。発信の組織体制づくりや情報発信のコスト負担について議論が進むことを願っている。

文献・注

  • 1.黒川伊保子 (2017). 『女の機嫌の直し方』集英社
  • 2.黒川伊保子 (2018). 『妻のトリセツ』講談社
  • 3.Mehl, M. R., Vazire, S., Ramírez-Esparza, N., Slatcher, R. B., & Pennebaker, J. W. (2007). Are women really more talkative than men? Science, 317(5834), 82.
  • 4.Joel, D. et al. (2015). Sex beyond the genitalia: The human brain mosaic. Proc. Natl. Acad. Sci., 112, 15468–15473.
  • 5.Woollett, K., & Maguire, E. A. (2011). Acquiring “the knowledge” of London’s layout drives structural brain changes. Curr. Biol. 21, 2109–2114.
  • 6.Imfeld, A., Oechslin, M. S., Meyer, M., Loenneker, T., & Jancke, L. (2009). White matter plasticity in the corticospinal tract of musicians: A diffusion tensor imaging study. Neuroimage, 46, 600–607.
  • 7.Bian, L., Leslie, S. J., & Cimpian, A. (2017). Gender stereotypes about intellectual ability emerge early and influence children’s interests. Science, 355(6323), 389–391.
  • 8.Trix, F., & Psenka, C. (2003). Exploring the color of glass: Letters of recommendation for female and male medical faculty. Discourse Soc., 14, 191–220.
  • 9.Moss-Racusin, C. A., Dovidio, J. F., Brescoll, V. L., Graham, M. J., & Handelsman, J. (2012). Science faculty’s subtle gender biases favor male students. Proc. Natl. Acad. Sci., 109, 16474–16479.
  • 10.2021年秋には,ステロイド外用薬使用の中止を煽る内容を放送したテレビ局に,日本皮膚科学会など関連6学会と患者会が抗議文を出したことがニュースとなった。
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。

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