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心理学ライフ

病気と暮らす

渡邊 芳之
帯広畜産大学 人間科学研究部門 教授

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき)

Profile─渡邊 芳之
専門はパーソナリティ心理学。博士(心理学)。著書に『性格とはなんだったのか:心理学と日常概念』(単著,新曜社),『カルドゥッチのパーソナリティ心理学』(監訳,福村出版),『心の臨床を哲学する』(分担執筆,新曜社)など。

私が甲状腺がんの診断を受けたのは2015年11月,最初の手術が2016年1月だった。2019年3月には再発してまた手術,その年の9月と2020年3月に放射性ヨード内用療法という治療を受けるために入院,2021年5月に転移が見つかって手術,2022年3月にもまた入院が予定されている。

などと書くとずいぶん壮絶な闘病生活を送っているように見えるかもしれないが,本人は痛みなどの自覚症状もなく,入院時以外はまったく普通に生活し,働いている。甲状腺がんは一般に進行がおだやかで致死性も低いがんだが,再発や転移を起こしやすいという面倒な性質を持っている。他のがんのように「完治」ということはなかなか難しく,発症から10年,20年と経過観察をしていかないとならない。その間に小さな再発や転移を繰り返して,主治医の言葉によれば「出たら切る,出たら切る,のイタチごっこ」を続けていくことも多い。

前述のように私の病気には痛みなどの自覚症状がなく,現在も身体的な苦痛は季節の変わり目に手術痕がうずくくらいだが,意外にも自分を苦しめたのは「心理的な苦痛」だった。最初の手術の前,がんは首の左側に大きなしこりになっており,手をあてれば触れることができた。毎日,しこりが昨日より大きく硬くなったように感じて「進行が速く致死性の高い種類のがんなのではないか」という不安が高まった。病院に相談したところ,看護師さんから「心配なら毎日大きさを測ってみたらどうか」と提案されたのだが,これが著効をもたらして不安はかなり低減された。しこりの大きさは毎日変わらなかったのである。測定というのは大事だなあと思った。

手術を待つ間にも繰り返し強い不安に悩まされた。抗不安薬を処方してもらってそれにも頼ったのだが,不安と焦燥感で寝ていられなくなって夜中に家の中をうろうろ歩き回るようなこともあった。ある夜またその状態になって妻に手足をさすってもらっていると突然,「なるほど,これはパニック発作だ,ならば時間が経てば必ずおさまる」という気づきが生じて,深呼吸するうちに不安や焦燥感がスーッと収まっていった。ラベリングというのは大事だなあと思った。その後,さまざまなリラクセーション法やマインドフルネスなどを試して,不安をかなりコントロールできるようになった。心理学の知識が珍しく自分の役に立った経験である。

今から振り返ってみると,治療初期の強い不安は病気そのものや命の危険に対するよりむしろ「仕事ができなくなること」「今後の仕事の予定が立たなくなること」にあったようだ。手術が終わり,術前に懸念された発声の障害が生じなかったこと,退院後に大学の厚意でサバティカルのような期間をとれたこと,そこからの復帰が問題なくできたこと,そして不安のコントロール法を知ったことで,少しずつ不安はおさまっていった。

現在も私の体内には何個かのがんがあって,大きくなるようなら取るし,取れなくなれば抗がん剤を試すし,というように治療はこれからも続く。甲状腺ホルモンやカルシウムを補う薬も死ぬまで飲み続けなければならない。しかしそうした生活を続けるうちに「病気を治す」「がんをやっつける」という気持ちは徐々に「病気といっしょに暮らす」「病気とつきあって生きる」という気持ちへと変わってきたように思う。自分はもともと物事を悲観的に考えやすいところがあったが,そういう「認知のクセ」も病気と暮らすのには不都合だったためか,徐々に影を潜めていった。よくも悪くも,病気はたしかに自分を変えたのだと思う。

自分が病気をしてみると改めて気づくのは,この世の中にはさまざまな病気とつきあいながら暮らし,仕事をしている人がたくさんいるということだ。もちろん自分の注意がそういう人に向きやすくなったということもあるが,私が病気の話をすることで「実は私も」と打ち明けてくれる人がいて,そうした人の話を聞くことが自分の励ましになることも多かった。正直,「心理学ライフ」のコーナーにこんな話がふさわしいかは悩んだのだが,私のこんな「病気自慢」も病気と暮らしておられるどなたかへのちょっとした慰めや励ましになるかもしれないと考え,思いつくまま綴ってみた。

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