公益社団法人 日本心理学会

詳細検索

心理学ワールド 絞込み


号 ~

執筆・投稿の手びき 絞込み

MENU

刊行物

【小特集】

「触れ合う」ことを科学する

COVID-19の影響で激減した「人と人との触れ合い」。分野横断的な最新の対人接触に関する研究の紹介を通じ,あらためて「触れる」ことの重要性と,その心理学的研究としての将来性を認識していただけることを期待した小特集です。私も皆さんと触れ合いたい!(松田壮一郎)

VUCA[1]時代のデジタル身体性心理学

渡邊 淳司
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員

渡邊 淳司(わたなべ じゅんじ)

Profile─渡邊 淳司
博士(情報理工学)。2019年より現職。専門は触覚情報学,ソーシャルウェルビーイング論。著書に『情報を生み出す触覚の知性』(単著,化学同人,第69回 毎日出版文化賞(自然科学部門)受賞),『表現する認知科学』(単著,新曜社)など。

「『触れ合う』ことを科学する」というテーマを心理学との関連から考えるにあたり,まず,近年の社会的な背景と,技術的な背景の両方に目を向ける必要があるでしょう。

社会的な背景としては,何より,2019年末からの新型コロナウイルス感染症の蔓延があります。これによって,直接,人と人が触れあうことが憚られるようになり,人々のメンタルヘルスに大きな影響を与えました。さらにこのことは,私たちにとっての心の豊かさやウェルビーイング(well-being)とは何かを問い直す機会にもなりました。ただし,感染症の蔓延がなかったとしても,日本では少子高齢化に伴う経済の縮小により,経済性以外の豊かさの指標が求められていました。実際,2021年3月に閣議決定された第6期科学技術・イノベーション基本計画[2]では「一人ひとりの多様な幸せ(well-being)が実現できる社会」が目標として組み込まれています。このように近年は,新しい豊かさの指標,新しい発想のきっかけとして,さらにはモノづくりやテクノロジーイノベーションにおいて,「心」の問題をどのように扱うべきなのかが重要なトピックとなっています。

一方,技術的な背景に目を向けると,現在の視覚・聴覚を中心とした通信技術に加えて,触覚情報を伝送し,新たな体験を作り出す取り組みも行われています。例えば,筆者らは2019年に「公衆触覚伝話」[3]という,遠隔2か所で映像と音声に加えて机上の振動が共有されるシステムを制作しました(図1)。片方の机をトントンと叩いたり,机上でピンポン玉やボールを転がすと,その振動が遠隔へ送られ遠隔の机が振動します。この体験では触覚を使った新たな遊びが生まれたり,日常とは異なるコミュニケーションが生まれていました。また,2020年9月に無観客で行われた第73回全日本フェンシング選手権では,女子エペ決勝戦の試合直前にアスリートと遠隔で応援する家族によるタッチの振動が感じられるハイタッチ(「リモートハイタッチ」[4])を実現しました。これは触覚技術があるからこそ実現されたスポーツ観戦体験です。

図1 「公衆触覚伝話」での遠隔触覚通信体験の様子
図1 「公衆触覚伝話」での遠隔触覚通信体験の様子

さらに伝送技術として,多くの人が触覚の体験を享受するためにはコンテンツの記録・伝送・再生方式が触覚情報に対応する必要があります。現在のところ,振動・硬さ・摩擦・温度といった触覚の全ての質感に対応した方式は存在しませんが,前述の事例で使用しているような振動情報は音声情報と同様の時系列波形信号であるため既存の伝送方式が利用可能です。例えば,6chの時系列信号を扱う5.1ch音声フォーマットを利用すると,2chに音声LR,残りの4chに触覚振動信号を割り当てて伝送することもできます。そして,伝送における圧縮の際には,情報のロスがない符号化方式(例えば,MPEG-4 Audio Lossless Coding (ALS)等)を使用すると,触覚振動信号の帯域(数kHz以下)を劣化させることなく伝送できます。

また,5.1ch音声フォーマットで各チャネルと再生機器の提示位置が1chから6chまで順に「左,右,中央,LFE(低周波効果),後左,後右」と決まっているように,振動も適切な身体部位に再生装置を設置する必要があります。このチャネル対応の規格が,2021年2月に策定されています[5](IEC 60958-5)。このように,技術的には触覚情報(特に振動)がインターネット上を流通する準備が整いつつあります。

つまり,社会的・技術的背景を併せて考えると,触覚情報が時空間を超えて伝えられ,新たな体験が創出される社会において,どのようにwell-beingといった心の豊かさが実現されうるのか,その原理や方法論を明らかにすることが求められているのです。

特に現代,そして今後の社会は,多様な要因が絡み合い複雑で予測不能な時代(VUCA)だと言われています。そこでは明確なゴールとその道筋を設定し秩序立って進むアプローチは困難であり,様々な価値観を持つ人々が持続的に対話し,目の前の状況に対して適応的にゴールや道筋を更新し続けるプロセスが鍵となります(図2)。その源泉が“わたしたち”という意識[6],信頼ある緩やかな関係や,互助的行動や利他行動が促される場を作り出すことであり,そのために触覚が必要となるのです。

図2 VUCA時代は多様な人々との関わりの中で,自己と他者の充足のバランス,個人の自律と全体の調和のダイナミクスを長期的に考える必要がある
図2 VUCA時代は多様な人々との関わりの中で,自己他者の充足のバランス,個人の自律全体の調和のダイナミクスを長期的に考える必要がある

このように,研究分野として,触覚をはじめとするデジタル化された身体性情報を扱う心理学は,今後大きな注意が向けられることになるでしょう。前述の例で言うならば「公衆触覚伝話」によって利他行為は促進されるのか,振動が感じられるハイタッチはより深い共感を引き起こすのか,など。

時空間を超えて触覚が伝えられる体験と心理学の関わりは新しい分野でありつつも,そもそも人間は社会的な動物であり,日常生活の中で,一緒にご飯を食べる,息を合わせて運動をする,スポーツや音楽を一緒に鑑賞するといった身体的共同行為・共同体験を行っています。その際に触覚は,意識せずに働く情動的な反応を含めて他者とのつながりを作りだします。そのつながりを情報通信技術がどのように媒介・支援し,人々が心豊かに暮らすことができるのか,倫理的検討を含めて,今まさに重要となっています。筆者はこのような観点から,2021年度開始の文部科学省 学術変革領域研究(B)「デジタル身体性経済学の創成」[7]に分担者として参画しています。

そして私は,デジタル身体性の心理学には,もう一つ重要な論点があると考えています。それは,触覚技術による体験が人間の「心」の在り方にどのような影響を与えるのか「一般モデル」を解明する科学の側面だけでなく,それぞれの人が自律的に「自分固有」の心の在り方について振り返り,多様な他者と対話するためのプロセスを動機づける社会活動のツールとしての側面についてです。つまり,エビデンスに基づく自己や他者との身体的な関わりの技術や方法論は,人々を活気づけ,より大きな“わたしたち”視点からの心の充足や社会への参画を促し,その貢献を自分事として実感する拠り所となるはずです。

注・文献

  • 1.Volatility(変動性),Uncertainty(不確実性),Complexity(複雑性),Ambiguity(曖昧性)を特徴とする予測困難な社会状況を表す造語。
  • 2.https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index6.html
  • 3.早川裕彦ら (2020) 「高実在感を伴う遠隔コミュニケーションのための双方向型視聴触覚メディア「公衆触覚伝話」の提案」『日本バーチャルリアリティ学会論文誌』25, 412-421.
  • 4.駒﨑掲・渡邊淳司 (2022) 「触覚伝送による“リモートハイタッチ”:アスリートの家族間コミュニケーションや聴覚障がい者との観戦検討」『日本バーチャルリアリティ学会論文誌』27, 2-5.
  • 5.https://webstore.iec.ch/publication/59808
  • 6.渡邊淳司・ドミニク・チェン(監修・編著) (2020) 『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために:その思想,実践,技術』BNN
  • 7.https://embodiedecon.digital
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はありません。

PDFをダウンロード

1