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【第17回】
サトウタツヤ
南アメリカ大陸の内陸国,パラグアイ。心理学の研究が大学で始まったのは第二次世界大戦後と遅かった上に,独裁政権の影響で心理学の発展は緩やかでした。学問の発展には様々な要因が関わることがわかります。次回はカリブ海北東の島,プエルトリコ!
パラグアイ(その2)
20世紀初頭のパラグアイで心理学が教育学の基礎となるべきだと考えたのがダールクイスト(Juan Ramón Dahlquist, 1884–1956)です(98号参照)。しかし,当時のデータに基づく心理学的研究は貧弱でした。
当時のパラグアイは「活動学校(L’Cole Active)」が盛んでした。この活動はスイスのフェリエール(Adolphe Ferrière)らを中心に,若き日のピアジェ(Jean Piaget)も参加し,自発的,個人的,生産的な活動を理想とする学校のあり方を追求しました(岩間,2005)。
カルドゾ(Ramón Indalecio Cardozo)は活動学校の思想に共鳴してパラグアイの教育を改革しようとしました。内陸部の貧しい家庭に生まれた彼は大学には通わなかったものの教師を志し,教育の重要な地位に就いた後に子どもたちを正確に理解するための一助としてビネとシモンが開発した知能尺度に注目しました。当時のパラグアイでは同一年齢の子どもたちを集めて教育していたため,いわゆる頭の良さの違いには細かい注意が払われていませんでした。彼はビネらが1911年に発表した第二次改訂版尺度を用いた子どもたちの調査を1938年に実施しました。
教師養成に必要な心理学についてはリクルメ(Manuel Riquelme)が入門書を出版(Riquelme, 1936; 1948)。22章からなるこの本は心理学史を丁寧に記述しつつ,心理学の形而上学的側面も科学的側面も扱った本でした。
教育において心理学を重視した人にはゴンザレス(María Felicidad González)もいました。彼女は,パラグアイに生まれアルゼンチンで教職に関する教育を受けて帰国。その後,教員養成校であるパラグアイ師範学校で副校長となり,女性の教育にも尽力しました。彼女は学生に十分な施設と勉強のための道具/手段を提供することが不可欠だと考え,師範学校に,幼稚園,映写室,児童図書室,心理学実験室などを併設。その後,師範学校の検査官を経て1952年には文部省の技術顧問を務め,教師向けに『心理学雑感』などの本も出版しました。
パラグアイの大学で心理学が教えられるようになり専門的な研究が始まったのは第二次世界大戦後,1960年代のことでした。1963年にはアスンシオン・カトリック大学に,1967年には国立大学に心理学の学位コースが開設されました。アスンシオン・カトリック大学は1978年には学士の在籍を6年に延長し臨床心理学や教育心理学などの専門が深められるよう整備しました。時間は遡りますが,この大学の教員や卒業生たちは研究の向上や情報発信に努めるために1966年7月にパラグアイ心理学会を設立しました。
パラグアイでは1954~1989年の長きにわたりストロエスネル大統領による軍事独裁政権が続き,大学教育が発展することは困難でしたが,政権崩壊後には様々な大学が設立され,心理学を学ぶことができるようになりました。ただし,現在にいたるまで心理学の国家資格はできていないようです。
文献
- Gamarra, J. (n.d.) María Felicidad González. Kuña Roga.
https://kunaroga.org/maria-felicidad-gonzalez/ - García, J. E. (2009) Breve historia de la psicología en Paraguay. Psicología para América Latina, No.17.
https://www.psicolatina.org/17/paraguay.html - 岩間浩 (2005) 「スイス新教育運動の展開:J. ピアジェ等スイス心理学者・教育学者と新教育連盟」『国士舘大学文学部人文学会紀要』37,214-201.
- Riquelme, M. (1948) [Original: 1936] Lecciones de Psicología (9th ed.). Buenos Aires: Ángel Estrada Editores.
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