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【小特集】
心臓血管系血行動態からみたアスリートの感情
手塚 洋介(てづか ようすけ)
Profile─手塚 洋介
博士(心理学)(同志社大学)。2019年より現職。専門は精神生理学,感情心理学。著書に『感情制御ハンドブック:基礎から応用そして実践へ』(編著,北大路書房),『感情制御の精神生理学:快不快の認知的評価』(単著,ナカニシヤ出版)など。
「ボールをコントロール,そしてエモーションをコントロールすることで,ゲームをコントロールできる」[1]。アジアサッカー連盟(AFC)はこうしたスローガンを掲げて,本邦を中心にAFCエモーションズプロジェクトを立ち上げた。アスリートにおけるパフォーマンスと感情との関係は,世界的な競技団体の取り組みにも反映されるほど重要視されている。
本稿では,多くのアスリートが対峙する緊張やあがり等の不快感情に焦点を当てる。競技スポーツでしばしば敬遠されがちなこれらの感情[2]に関して,心臓血管系精神生理学からみた特徴に触れ,今後の展望を述べたい。
生物学的システムとしての感情と心臓血管系血行動態
はじめに,本稿の前提を概説する。近年の感情科学では,感情を,喜怒哀楽といった主観的体験を指す概念として扱うだけでなく,環境に適応するために多側面で機能する生物学的システムとみなすのが一般的である。心臓血管系の変化も含まれ,感情には,環境の変化に適応するため,身体状態を制御する機能が備わると考えられている。
生体は,中枢神経系と末梢神経系との瞬時の情報交換を経て,その場に応じた行動を迅速に遂行できるよう組織化されている。古典的な闘争逃走反応を例にとると,動物が天敵に遭遇するなどの緊急事態では,闘争もしくは逃走に必要な変化が瞬時に生じることとなる。心臓血管系はこのとき,必要な代謝要求を満たすべく,自律神経系を介して生体内の血液配分を調整するようはたらく。
心臓血管系は,文字通り心臓と血管が,血行力学的な関数関係によって血圧を一定水準に保つよう作用する[3]。前者は心拍出量(心臓の1分間あたりの血液拍出量:CO),後者は全末梢抵抗(全身の血管抵抗の総和:TPR)が主たる指標となる(関係式を図1に示す)。なお,COは心拍数(HR)と1回に拍出される血液量(SV)の積で求まる。先に挙げた闘争逃走反応の場合,主にCOの増加に基づき(TPRは減少または変化せず)血圧が増加する。COが寄与する変化を心臓優位型反応,TPRが寄与する変化を血管優位型反応といい,両者がともに寄与する混合型反応もしばしばみられる。これらの諸反応を,心臓血管系血行動態と総称する。
血圧に注目することで,課題遂行等に伴う量的変化を検討できる。また,血行動態を測定することで,昇圧機序に関する構造的な理解が可能となる[3]。血液循環という行動の基盤となる生体情報を通じて,多様な場面でみられる感情の適応機能の理解につながる。
パフォーマンスと緊張
さて,本題である。競争に身を置くアスリートは,たとえば試合前に緊張や不安などの不快感情を抱くことで,弱者とみなされる場合があるという。それゆえ,不快感情は悪者扱いされることが多いようである[2]。こうした見方に基づけば,特に過度な緊張(あがり)はパフォーマンスに悪影響を及ぼすことから,いわば大敵といえよう。では,緊張は低い方がよいのかといえば必ずしもそうではなく,実力発揮には適度な緊張が必要であると考えられている。パフォーマンスと緊張の関係は,いわゆる逆U字関係にあるというのがスポーツ心理学の通説であり,パフォーマンスに関して望ましくない(低すぎるまたは高すぎる)緊張と望ましい(適度な)緊張が存在すると考えられている。
本稿では,適度な緊張と高すぎる緊張(過緊張)に注目する。両緊張の違いについて,心臓血管系に係る研究成果を重ね合わせると,興味深い特徴がみえてくる。ただし,それには緊張という感情そのものではなく,評価過程(感情の種類や強度に影響を及ぼす認知過程)に注目する必要がある。
挑戦脅威評価と心臓血管系
適度な緊張とは,目前の問題に取り組む準備ができている状態ともいえ,自己の持つ資源によって状況からの要求に対処できる見通しが大なり小なり持てている状態であると解釈できる。他方,過緊張(あがり)とは,環境からの要求が強く,自己の資源では対処できないと見積もっている状態といえる。これらの状態は,両緊張をそれぞれ挑戦評価と脅威評価の定義に当てはめて言い換えたものだが,これにより評価過程に伴う心臓血管系血行動態の特徴を緊張の理解に援用することができる。
複数の実験研究をまとめると,課題遂行時の血圧の増加は,挑戦評価の方が脅威評価よりも抑えられるといえる。また,その際の血行動態は,挑戦評価が積極的な関与を高めCOを増加させるのに対し,脅威評価は受動的な関与と相まってTPRの増加を招く傾向にある(混合型反応もしばしばみられる)。挑戦評価は,脅威評価に比べて過剰な生理活動を抑えつつ,質的にも概ね問題解決に向けた心臓血管活動をもたらすといえる[4]。
競技スポーツと関わる実験研究からも,上記と整合した興味深い知見が得られている。たとえば,勝者と敗者の課題中の反応を比べた実験では,勝者が挑戦評価に伴い心臓優位型反応を示したのに対し,敗者は脅威評価に伴い血管優位型反応を示した[5]。また,競争時の優劣関係に注目した実験では,劣勢からの追い上げにより勝利可能性が高まる際に,心臓優位型反応を示すことが見出されている[6]。さらに,評価に伴う心臓血管反応とパフォーマンス(スポーツ以外も含む)との関係を検討したメタ分析によると,挑戦評価が脅威評価に比べて良好な課題成績と関連するという[7]。
アスリートの感情への理解と実践に向けて
評価過程と心臓血管活動に関する研究から,逆U字関係に基づく解釈にみられるよう,適度な緊張はパフォーマンスに好影響をもたらすといえる。また,上述の知見を深掘りすれば,アスリートの感情理解や介入に向けた新たな展開もみえてくる。
まず,挑戦評価に基づく適度な緊張を,感情の次元構造に鑑みて再分類する試みである。従来のスポーツ心理学では,緊張を不快感情として一括りに扱ってきた節があるが,挑戦評価に伴う適度な緊張は,むしろ快感情とみなした方が妥当かもしれない。類似の主張は他でもなされており[8, 9],感情の構造や機能を適切に踏まえて理解し直す段階にあろう。また,評価過程を踏まえることも重要になると思われる。これらの試みが,新たな介入法の開発にもつながると期待できる。
次に,過緊張(あがり)への介入についてである。脅威評価に伴う血管優位型反応(あるいは混合型反応における血管活動の亢進)は,野生動物であればいざ知らず,骨格筋運動が求められる競技スポーツにおいては適応的な反応とは言い難いように思われる。しかし,脅威を覚えたからといって戦うのをやめるわけにはいかず,こうした事態では何らかの介入が求められる。紙幅の都合により,別稿にて紹介している専門家による心臓血管活動を活用した試みを参照してほしい[4, 9]。
近年では,比較的安価な家庭用血圧測定器やスマートウォッチ等が開発され,生体情報の簡易計測が日常に浸透し始めている。心理学的介入にも利用が期待される反面,注意が必要な場合もある。たとえば,心理学で好んで用いられるHRが多くの装置で測定できるが,血行動態に鑑みれば,HRだけでは心身の対応関係が十分に把握できない場合等である。誰もが生体情報を利用できる環境だからこそ,適切な活用に向けた情報発信が今後は一層重要となろう。
文献
- 1.日本サッカー協会 (2021)「 テクニカルニュースvol.104」 https://www.jfa.jp/attachment/61bc0fc6-a89c-4ead-8230-5845d3093d95/AFCemotionsproject.pdf(2022年8月9日)
- 2.関矢寛史 (2016)「メンタルトレーニングとは」日本スポーツ心理学会(編)『スポーツメンタルトレーニング教本三訂版』(pp.7–11)大修館書店
- 3.澤田幸展 (2006)「血圧反応性再訪」『生理心理学と精神生理学』24,257–271.
- 4.手塚洋介 (2020)「スポーツパフォーマンスと感情:精神生理学からのアプローチ」『臨床心理学』20,279–282.
- 5.Yamaguchi, D. et al. (2019) The differences between winners and losers in competition: The relation of cognitive and emotional aspects during a competition to hemodynamic responses. Adapt Hum Behav Physiol, 5, 31–47.
- 6.山口大輔・鈴木直人 (2016)「競争における2者間の優劣関係が血行力学的反応および心理的反応にもたらす影響」『行動科学』55,25–35.
- 7.Behnke, M., & Kaczmarek, L. D. (2018) Successful performance and cardiovascular markers of challenge and threat: A meta-analysis. Int J Psychophysiol, 130, 73–79.
- 8.坂入洋右 (2016)「リラクセーション技法」日本スポーツ心理学会(編)『スポーツメンタルトレーニング教本 三訂版』(pp.87–91)大修館書店
- 9.手塚洋介 (2019)「ネガティブ感情の機能と構造:緊張からみた感情の科学的理解と実践的活用に向けて」『体育の科学』69,570–574.
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
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