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【小特集】

心理学は社会モデルから何を学ぶべきか

栗田 季佳
三重大学教育学部 准教授

栗田 季佳(くりた ときか)

Profile─栗田 季佳
京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。編著に『障害理解のリフレクション』(ちとせプレス),論文に「排除しないインクルーシブ教育に向けた教育心理学の課題:障害観と研究者の立場性に着目して」『教育心理学年報』59, 92-106, 2020.など。

障害のある子どもが地域の学校で学ぶにあたって,送迎や校外学習,介助者がいないとき,さらには登校から下校まで終日子どもに付き添う親がいる[1]。筆者は数年前からこの問題に関わるようになり,今も調査を続けている。

研究を始めた当初,あるお母さんが話を聞かせてくれた。保育園からの友達と一緒に,障害児としてでなく地域の子どもとして地域の学校に行かせたい,子どももそれを望んでいると,小学校へ就学希望を出した。入学の条件は親が付き添うことであった。朝の登校から夕方の下校まで,母親は終日付き添い,子どもの隣に用意された席で介助にあたっていた。当然,働くことなどできず,歓迎されていない学校に長時間身を置き,昼夜介助を行うギリギリの日々であるが,休むこともできない。自分が休めば子どもが学校に行けなくなるというプレッシャーがのしかかっていたからだ。

学校や教育委員会に付き添いを外すよう求めても,まともに取り合ってもらえなかった。文句があるなら支援学校に行け,ここはあなたたちのくるところじゃない,それでも選んでいるのだから当然だと明に暗に追及される。周りの教師は子どもの介助に関わろうとせず,親がいなくても介助をしないと断言した。校長から話を聞いたPTAの人たちに母親が取り囲まれ,吊しあげられたこともあった。校外学習では,みんなが乗ったバスを前に子どもは置き去りにされた。子どもは学校をどう見ていただろう。周りにいる子どもたちは,障害のある子をどう思い,障害とは何であると感じていたのだろう。その保護者は何度も死を考えていた。

心理学関係の研究雑誌には,障害があるといわれる人たちの心理特性の分析や,望ましい変化があったという支援実践が報告されている。筆者もそのような研究をしたことがあるし,障害者への態度構造や改善方法を検討してきた。研究論文は「問題と目的」から始まり,こんなことが問題だ,だから本研究で取り上げる,そして本研究で示された知見にはこのような意義がある,発展性がある,というようなことが書いてある。

しかし,苦境を強いられた親子にとって,これらの研究の一体何が役に立つであろうか? 論文で書いてあることの何が一体問題なのだろう? 読み書きの苦手な子どもが枠の中に収まるように文字を書けるようになったとして,その子の人生にとってどのような意味があるのだろうか? 障害と普段関わることも考えることもない大学生の偏見が少し減ったからといって,何が変わるのだろう? 研究で取り上げられているたいていの問題は大したことがなく,表面的であるように思えた。

心理学研究が取り挙げる障害とは,たいていdisabilityを帯びた人の個人的特徴のことを指す。肢体不自由,目が見えない,知的水準や心理的特性が平均から大きく離れている……impairmentやdisorderの水準である。これらを取り扱う研究範囲は幅広い。それらの原因,あらわれ方,判別のためのテスト,心理的傾向,困難の特徴,その改善方法……。ある特徴をもつ人たちをどのような研究課題の舞台に上げるかは,研究者の関心に基づいて多岐にわたる。それは,問題の取り上げ方によって問題が生まれる,すなわち問題の社会的構築であり,世間にこれが問題なのだというメッセージを投げかけることである。

このとき,問題は純粋に当事者らの困難の程度だけで選ばれるとは限らない。研究者は成果を出すことに追い立てられているし,研究を行うには資源(予算,道具,ネットワークなど)が必要である。長期にわたると予想される問題,簡単に解決できそうもない問題を取り扱うには覚悟がいる(工夫の余地は残されているが)。社会へ働きかけるよりも個人へ働きかける,深刻で大きな問題よりも表面的で解決に見通しのもてる問題を取り上げる─それらへ傾きやすいのは,私たちの倫理観だけでなく,研究という営みを制約する種々の社会環境と無関係ではないだろう。

障害をテーマとする心理学にみられる障害観と,障害の社会モデルが根本的に異なるのは,差別と抑圧へのまなざしである。障害の社会モデルは,入所施設闘争から始まり,専門家による管理と統制,地域社会からの排除に対抗する,反差別,反抑圧の解放の理論として提唱されてきた。社会モデルは,障害に対する関心を,個人的特徴からできなくさせる環境,バリア,文化によって生じるさまざまな問題にシフトさせ,それらを根絶させる政策や実践を生み出す視点を提供する[2]。社会モデルは「障害」者を生み出し続ける抑圧的な社会を変革する道具的理論なのである。

心理学において障害をめぐる差別と抑圧といえば,典型的には,偏見・ステレオタイプ,アイデンティティなどの社会心理学的テーマが想起される[3]。しかし社会モデルが指摘するのは,フーコーが議論するような心理学の知そのものが抑圧的であるという心理学自体の実践である。心理学と障害者差別の関係は,関心のある研究者だけに閉じられた議論でも,心理学者が客体化する特定の現象─偏見など─でもない。心理学が生み出してきた心のorder,そこから外れた状態へのラベリング,テスト,個人への介入などは,社会モデルからみれば,心理学による個人モデルに基づいた障害の構築であり,その者たちを逸脱した劣位の存在として位置づけることとなる。

科学実証主義に基づく個人内プロセスを検討する主流の心理学に対して,20世紀後半から異議申し立てが活発化した。以降,批判心理学,フェミニズム心理学,ポストコロニアル心理学,ラディカル心理学,といった知の運動が展開された。日本でも,臨床心理学会の改革運動[4]や,批判心理学の導入[5],ソーシャル・コンストラクショニズムへの注目[6],個々に批判を展開する研究者も存在する(鯨岡峻や浜田寿美男など)。これらに共通するのは,社会問題の解決のために有用な心理学知を専門家から市民へ授けるという一方向の啓発ではなく,研究者も社会的営為の実践者であるという自覚のもとに心理学の営み自体を問い直すところである。しかしまだ日本の中ではマイノリティといえるだろう。

2023年3月,日本心理学会は心理学における多様性尊重のガイドラインを公表した。そこには,心理学者の特権性について指摘があり,それへの自覚が促されている。ガイドラインを端に議論の活発化が望まれるとあったので,筆者からもひとつコメントをしたい。実践編においてADHDと自閉スペクトラム症に関する心理学研究が例として挙げられていた。ステレオタイプ的な表現方法や研究方法に特性が考慮されていないといった問題が指摘されていたが,そもそも,その人たちの能力や介入すべき対象として主題化すること自体に,自らの特権性が反映されていないか,検討が必要だと思う。

差別と抑圧を生み出す心理学に対して,ただ心理学者の認識に求めるのでは,心理学批判の個人モデルに終わってしまうだろう。自覚やリフレクションは欠かせないと思うが,社会モデルの枠組みで,心理学者が個人モデルや医学モデルから脱することのできないさまざまな社会的要因について分析が必要である[7]。心理学が人々を解放する理論の構築に向けて歩を進めていけるよう,筆者もできることをしたい。

最後に,温故知新として,社会モデルの萌芽,イギリスのリ・コート施設闘争の中心人物であったポール・ハントの指摘を取り上げたい。実はリ・コートの入所者たちは研究者に協力依頼をしていた。研究者ならば施設とはいかなるものか深い洞察をもって明らかにし,自分たちの置かれた立場を理解し,味方になってくれるだろうと期待した。調査を引き受けたE. J. ミラーとG. V. グウィンのふたりの研究者は,施設入所者が身体的にも精神的にもパラサイト化しているといい,入所者が生き生きと活動する施設となるべくいくつかの改革案を出したが,それは専門職によるコントロールを強化するものであった。ハントはふたりに対して,真のパラサイトは他人の悲劇を食い物にして自らの権益を拡大するミラーとグウィンのような人たちであると強く非難した。そして次のように言う。

「社会的に抑圧された人々を前にしたとき,社会科学者にはふたつの選択肢のどちらかしかない。抑圧に終止符を打つために抑圧された人たちに利益をもたらす方へ関わるか,抑圧の実践を継続させる抑圧者に利益をもたらすこと(それはひいては科学者自らの利益にもつながる)に関わるか。中間はありえない。」[8]

  • 1.栗田季佳他(2018)公教育計画学会年報,9,96-111.
  • 2.Barnes, C. (2020) In N. Watson & S. Vehmas (Eds.), Routledge handbook of disability studies, 2nd ed. (pp.14-31). Routledge.
  • 3.Dirth, T. P., & Branscombe, N. R. (2018) Psychol Bull, 144, 1300-1324.
  • 4.堀智久(2013)社会学評論, 64, 257-274. 5 五十嵐靖博(2011)心理科学, 32, 1-14.
  • 5.五十嵐靖博(2011)心理科学, 32, 1-14.
  • 6.能智正博・大橋靖史(編)(2022)ソーシャル・コンストラクショニズムと対人支援の心理学.新曜社
  • 7.著者紹介に挙げた拙稿ではそのことを意識したつもりである。また英国シェフィールド大学のダン・グッドリーも精力的に障害と心理学の関係を批判的に探究している。
  • 8.Hunt, P. (1981) Disability Challenge, 1, 37-50.
  • *COI:本稿に関連して申告すべき利益相反ははない。

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