【第20回】
立命館大学総合心理学部 教授/学部長 サトウタツヤ
前回に引き続きキューバの心理学史です。心理学に限らずあらゆる学問はその時代の各国の体制と無関係でいることはできません。今回は20世紀以降のキューバの心理学をたどります。次回はキューバ編の最終回(予定)。革命後のキューバの心理学を扱います。
キューバ─②
キューバに科学的な心理学を導入したヴァロナ(本誌102号「キューバ①」参照)は心理学者と呼ぶには不適切で,幅広い学問分野に対する興味や行政的手腕を発揮する中で心理学にも関心を示したという形でした。
その後の世代として,セルジオ・クエバス・イ・ゼキラ(Sergio Cuevas y Zequira;1864–1934),サルバドール・イ・マシップ(Salvador y Massip),ロベルト・アグラモント(Roberto Agramonte;1904–1985)などがいました。この順番で,ヴァロナの教授職が引き継がれました。二人目のマシップは児童心理学,臨床心理学を基盤に,中等教育にも関心を拡げました。精神分析についても導入を試みています。“El Psicoanálisis” という論文(Massip, 1911)は南米大陸に精神分析を紹介した極めて初期の文献です。無意識の学説だけでなく,抑圧された欲望と夢の関係についても紹介していました。
三人目のアグラモントは哲学・社会学・心理学に関する広い関心を持ち,行動主義的な見解を展開しました。
そして,心理学をより強力に広範囲に拡げたのはプエルトリコ生まれのアルフレッド・ミゲル・アグアヨ・サンチェス(Alfredo Miguel Aguayo Sánchez)でした。彼は幼い頃からキューバで暮らし,教育学や心理学で広範な業績をあげました。彼は,アメリカの学習理論に影響を受け,動機づけ,記憶保持,暗記,学習曲線,転移学習について多くの研究を行ったのですが,そのほとんどの引用文献がアメリカのものであるという批判もあります。実際,キューバの共産主義化とともに名前を忘れられてしまいました。
アグアヨやヴァロナのもとで学んだ次の世代も,基本的にアメリカ心理学の影響下にありましたが,アルフォンソ・ベルナル・デル・リエスゴ(Alfonso Bernal del Riesgo)のようにキューバの国民的アイデンティティに立脚したキューバ心理学を確立しようとした心理学者もいました。彼は自国のハバナ大学で博士号を得たあと政治運動に従事したことから,2年間にわたってウィーンに亡命を余儀なくされたのですが,そこで心理学を学び続けました。そしてキューバ帰国後には研究所を作って心理療法家として活躍し,臨床心理学の基礎を築いたのです。1940~50年代に彼は精力的に活動し,ミネソタ多面的人格目録(MMPI)のスペイン語訳を行ったりしました。こうした活動のせいもあって,キューバでは私立大学で臨床心理の人材が育成されることになりました。
革命前のキューバでは,概して応用領域の心理学がアメリカの研究の影響を受けながら行われていたということになります。それは国全体がそうであったことの反映でもあったようです。
文献
- Bernal, G. (1985) J Community Psychol, 13, 222–235.
- Massip, S. (1911) Revista de Educación, La Habana, 1(12), 33–48.
- Vernon, W. H. D. (1944) Psychol Bull, 41, 73–89. https://doi.org/10.1037/h0061226
- サトウタツヤ (2023) 心理学ワールド, 102, 2. https://psych.or.jp/publication/world102/pw02
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