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【小特集】

接客の場における「感情」─感情労働の視点から見る労働者と客の感情

関谷 大輝
東京成徳大学応用心理学部 准教授

関谷 大輝(せきや だいき)

Profile─関谷 大輝
博士(カウンセリング科学)。専門は産業心理学,観光心理学。公務員(社会福祉職)として勤務後,現職。社会福祉士,精神保健福祉士,公認心理師,2級キャリアコンサルティング技能士,温泉ソムリエマスター。著書に『あなたの仕事,感情労働ですよね?』(単著,花伝社)など。

はじめに:おもてなしの国ニッポン

日本では,国が規格認証制度を創設するほどサービス業におけるおもてなしが重視されています。おもてなしには,接客を行う行動面のみならず,客に対する気持ちや気遣いといった「心」の側面が不可欠とされます[1]。本稿では,接客の場における「感情」に着目し,労働者と客の関係性を検討してみましょう。

サービスに不可欠な感情資源:感情労働としての接客業

サービス業に携わる労働者は,客に対して通常は笑顔のようなポジティブな感情表現をすると同時に,イライラや不快感のようなネガティブな感情は抑え込む必要に迫られます。このように,労働者が自身の感情的な資源を適切に活用することを求められる仕事は「感情労働(emotional labor)」と呼ばれます[2]。感情労働の大きな目的のひとつは,客に良い気持ちや満足感を味わってもらうことです。それを実現するために,労働者は(ある意味一方的に)自らの感情を管理し,操作し,そして活用していくのです。

感情労働論の特徴のひとつは,このような労働者の努力を「演技(acting)」という枠組みで捉えることにあります。つまり,感情労働の従事者は,あたかも俳優が舞台上で役を演じるのと同様に,お店では「店員」,医療福祉の現場などでは「支援者」,あるいは学校などでは「先生」といった役柄を与えられ,それを適切に演じることを職務と見なすのです。この演技の仕方は,図1に示すように,適切な感情表現を作る「表層演技」と,真の感情を調節する「深層演技」に区分されます。

図1 表層演技と深層演技のイメージ 左:表層演技 本心とは異なる望ましい感情表現を相手に対して見せていく 右:深層演技 自身の本心や真の感情を職業的に望ましい状態に変えていこうと努力する
図1 表層演技と深層演技のイメージ
左:表層演技 本心とは異なる望ましい感情表現を相手に対して見せていく 右:深層演技 自身の本心や真の感情を職業的に望ましい状態に変えていこうと努力する

感情労働が問題視されるのは,労働者の極めて私的な領域である感情が仕事のために切り売りされ,自己が蝕まれていくリスクがあるためです。感情労働では,自身の真の感情と表出すべき感情との間に葛藤状態が生じることが多く,バーンアウト(燃えつき症候群)などのストレス反応に結びつきやすくなります。中でも,カスハラやクレーマーへの対応は感情的な葛藤状態が起きやすい代表的な場面であり,労働者は極めて大きな負荷がかかる感情的な作業を強いられます。

海外における「カスハラ」研究から

日本で一般化している「カスハラ」はいわゆる和製英語で,海外ではここ15年ほど「客の無礼な振る舞い(customer incivility)」というキーワードで研究が蓄積されています。客の無礼な振る舞いは,労働者のやる気を削ぎ,認知的な作業効率を低下させ,離転職意思を高める影響があるなど,労働者個人をはじめ,組織的にもさまざまなネガティブな影響を及ぼします。

では,無礼な客にはどのように対応するのがよいのでしょうか。ヘンケルら[3]は,無礼な客に対して労働者側も無礼に応答し返したり,全てを受け入れて下手に出たりせず,「あくまでもていねいに,しかし毅然と」対応する戦略を勧めています。また,感情労働との関連では,表層演技は客の無礼な振る舞いを増やす反面,深層演技は無礼な振る舞いを低減させることが示唆されています[4]。さらに,「おもてなし」に近い概念であるservice orientation(客のニーズや満足感を先読みした積極的な気配りや接客)も,客の無礼な振る舞いを軽減する方向で働くとされています[5]

つまり,接客時に客との無用な衝突を減らすことを目指すならば,「上っ面」の接客ではなく,真心からのおもてなしを意識することが,一応は効果的であるはずだといえるのでしょう。しかし,そのおもてなしに優れているといわれる日本で,カスハラが次々と問題化するのはなぜなのでしょうか。

店員に対する「感謝」の形の変容

われわれは,カスハラやクレーマー的な言動は,一部の変わった客による特別な行為ではなく,「普通の」(と思っている)人々の中にもカスハラやクレーマーを生み出すトリガー的な要因が隠れていると想定し,以下のような検討を行いました[6]。注目したのは「感謝」感情です。

私たち日本人は「ありがとう」という感謝を抱くと,それと同時に「申し訳ない,お返ししなきゃ」といった「負債感情」と呼ばれる感情がセットで喚起されやすく[7],友人や家族などの身近な他者が「ゴミ箱のゴミを捨ててくれた」といった間接的な受益状況でも,その人に「すまない,負担をかけた」と感じることが示されています[8]。そこでわれわれは,蔵永らの研究[8]を「お店で店員が間接的に何かをしてくれた」という状況に置き換えてみました。具体的には,「混雑している飲食店で店員さんが急いでテーブルを片付けてくれた」,「バイキング会場でスタッフが料理の補充をしてくれている」といったサービス場面を想定し,私たち(客)が店員に抱く感謝感情の特徴を確認したのです。

すると,私たちが店員に対して抱く感謝の形は,身近な人の行為に対する感謝と大きく変化することが示されました(図2)。このようなサービス場面では,私たちは店員に対して「当然だ」という思いが非常に強まる一方で,「申し訳ない,負担をかけた」という思いはかなり減少することが示されたのです。

図2 日常場面とサービス場面での「感謝の形」の変化
図2 日常場面とサービス場面での「感謝の形」の変化

「客はお金を払い,店員は給料をもらって働いているのだ」と考えれば,このような変化が起こるのは当たり前だと思うかもしれません。しかし,ほんのいくばくかのお金を払っただけで,目の前で働く人の行為や労力を容易に「当然だ」と感じ,「すまない,大変だな」と思わなくなってしまうことは,果たして当たり前のことなのでしょうか。私たちは,この認知の変容の事実と,これに伴う影響について,理解を深めていく必要があるように思います。

今後の課題:お客様は,何様か

カスハラには,客と労働者の相互作用的な側面があります。客の攻撃的な言動は労働者を無礼に振る舞いやすくさせる一方で,客が労働者にポジティブな感情語を示せば,客と労働者の関係性は改善するのです9。しかし,私たちが店員の行為の負担を軽視していれば,店員へのポジティブな声かけが増えることはないでしょう。また,店員のサービスを当然だと感じているならば,わずかでも対応に遅れやミスがあれば,私たちは一気にクレーマー的な思考に支配されてしまいそうです。私たちの目の前にいる労働者も,自分と同じように疲れもするしイライラもする人間なのだ(そして,客である私も神様ではない)という当然の認識を持ち,今よりも少しだけ,店員への「感謝」の形について意識を向けてみることが,無用なカスハラやクレーマー的な言動を本質的に抑制する契機になるかもしれません。

  • 1.長尾有記・梅室博行 (2012) 日本経営工学会論文誌, 63, 126-137.
  • 2.Hochschild, A. R. (1983) The managed heart. University of California Press.
  • 3.Henkel, A. P. et al. (2017) J Serv Res, 20, 120-134.
  • 4.Zhan, X. et al. (2021) J Serv Theory Pract, 31, 296-317.
  • 5.Sliter, M., & Jones, M. (2016) J Occup Health Psychol, 21, 208.
  • 6.荒川玲音・関谷大輝 (2024) 店員がしてくれることは「アタリマエ」なのか:商業的サービス利用時における顧客の感謝と負債感情に関する検討.東京成徳大学応用心理学部健康・スポーツ心理学科卒業研究(未刊行)
  • 7.一言英文他 (2008) 感情心理学研究, 16, 3-24.
  • 8.蔵永瞳・樋口匡貴 (2013) 心理学研究, 84, 376-385. 9 Walker, D. D. et al. (2017) J Appl Psychol, 102, 163.
  • *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はない。

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