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心理学ライフ

悪魔のような執念,牛のような忍耐

石井 敬子
名古屋大学大学院情報学研究科 教授

石井 敬子(いしい けいこ)

Profile─石井 敬子
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了,博士(人間・環境学)。専門は社会心理学,文化心理学。著書に『科学としての心理学』(共訳,新曜社,2023),『つながれない社会』(共著,ナカニシヤ出版,2014)など。

勝新太郎が制作・主演の先鋭的すぎた刑事ドラマ『警視–K』の主人公,賀津の取調室にある掛け軸「悪魔のような執念,牛のような忍耐」は,私を奮い立たせる言葉である。

私は毎日,中島敦『李陵』における司馬遷を思い出しては,比較ならないほど自分が無能であっても,その執念や忍耐をもってして何があっても一つの事をやり遂げたいと願う。しかし願えば願うほど行き詰まる。今も閉塞感まみれだが,40過ぎのあたりが一番どうしようもなかった。長患いしていた父が亡くなったのも相まって実に参った。

ちょうど同じ年の友人が趣味でギターを始めていた。そしてスープカレーを食べながら,何か趣味を始めてみたらどうかということになった。とはいえ自分に逃げ道を作るようで気が進まなかった。それに昔やっていた書道をいまさらやってもおもしろくない。小学校の頃,本当はトランペットをやりたかったのにトロンボーンに回されてしまったから,今度こそトランペットと一瞬思ったが,もう野球の応援の情熱もなければ,チーム的な何かで自分が足を引っ張ってしまうような数多の経験を思い出すと,それもしんどい。自分の閉塞感に立ち戻ると,その理由の一つは何をしてもある意味形として残らない点にある。

美術は全くの苦手で,絵が描けなくて居残りさせられたり,ウマのつもりが「何それイボイノシシ?」と揶揄されたり,全くいい記憶がないが,でもジオラマみたいなものを作ることができたら楽しそうだ。パノラマ島を作ってしまうか。自分でもそこからどうしてこうなったのかよくわからない。ともかく結果的に趣味として始めたのが仏像彫刻である。ニスベットとウィルソン[1]が言うように,人は判断結果がわかっても,内省的なアクセスをもたないから,どうしてそこに至ったのかわからない。その通りである。

それにしても研究同様,容赦ない世界である。手足の彫り方を学び,それを一通りやるだけで1年以上かかった。次にお地蔵さんを作ることになったが,サバティカルでアメリカに行ったり,名古屋に引っ越したり,生活の変化が容赦なく襲う。早い人なら1年もかからずできるところを約3年もかけてしまった。日々彫刻のための時間を絞り出せず,前日や当日の朝になって泣きそうになりながら宿題をやっていくだけではどうにもならない。その後,懐中仏を2体,観音さんのレリーフときて,今やっているのが写真にある大仏さんのレリーフである(図1)。

私の指導教官は,常に私の書いたものを完膚なきまでに真っ赤にして,結果的に私の書いた痕跡などこれっぽっちも残らなかったが,この年になっても仏像彫刻という場でそれが繰り返される。まるで大学院生のようである。ただ重要なのは,これまで自分が見落としてきたさまざまな点について,師[2]は厳しい指導ながらも素人相手とは思えないほど教えてくれる。

私の視野は狭い。私には見えていないが,師には見えている。その気づきから,劣等生ながらも,私自身多くのことを学びたいと心から願う。だからこそ,名古屋から神戸に通ってまでも続けている。果たして,この文章が公になる頃にはその大仏さんは完成しているだろうか。おそらく螺髪に苦しむ悪夢を見ることになるだろう。その地獄の先に極楽はあるだろうか。

図1 制作中のレリーフ(左)
図1 制作中のレリーフ(左)
中川信夫監督の『地獄』は,人間の業の深さを描く。自身の心の弱さは,頼りない一刀として表れてしまう。師に指摘されるたび,つくづくどうすることもできない自分を思い知る。

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