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感情はなんのため?感動はなんのため?

加藤 樹里(かとう じゅり)
Profile─加藤 樹里
2017年,一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士課程修了。博士(社会学)。2025年より現職。専門は感情心理学,社会心理学。論文にEffects of finitude salience and value orientation on the feeling of being moved. International Journal of Psychology, 59, 1199–1207, 2024など。
皆さんが日々感じる,喜怒哀楽などの感情。その感情は,なんのためにあると思いますか?
感情心理学への誘い
感情心理学のさまざまな理論では,感情とはなんなのか,私たち人間になぜ感情という機能が備わったのか,を考え続けています。例えば皆さんも,「感情的に行動すると損をするので,理性的に行動しよう」という教訓を聞いたことがあるかもしれません。ここには,感情が論理的・合理的な判断の邪魔者というニュアンスがありそうです。確かに誰しも浮かれたときや怒ったときの発言を後悔したという経験があるかもしれません。しかし,感情が理性の邪魔者でしかないとしたら,なぜ今の私たちは,こんなにも日々感情を感じるのでしょうか? 不要ならば,人間の進化の過程でとっくになくなってしまっていたほうがよかったのではないでしょうか。
「感情有用説」は,感情は人間に役立っているという立場です[1]。役に立つというのは,自分自身の生存のため,あるいは自分個人を超えて,集団や社会がうまく働いていくためにも役立っている,など多くの側面を含みます。感情理論の代表的なものの一つに「基本感情理論」がありますが,この理論では,私たち人間が生存し,子孫を残すために必要な感情がパッケージとして備わっていると考えます[2]。例えば「恐怖」には,危険を感じる状況があって,主観的には「怖い」と感じ,身体反応としては逃走できる準備状態となり……,このように,感情ごとのプログラムがあるイメージです。このプログラムが即座に働くからこそ,私たちは今ここにいるのかもしれません。アニメ映画『インサイド・ヘッド2』が2024年にブームになりましたが,この映画は基本的にこの理論の立場に立っていると考えられます。喜びや悲しみ,恐怖といった感情が,別個のものとして描かれ,主人公のために行動しています。
他方で,個々の感情に独自の機能があるという考え方はしない理論もあります。例えば,そのうちの一つにコアアフェクト理論があります[3]。この理論では,感情の核心(コア)となるのは,身体の内臓の感覚(例:心臓の拍動)の情報であると考えます。その情報に「私は今悲しみを感じている」などの感情のラベルを割り当てることで,私たちは感情を認識します。この過程は色の認識にもたとえられます。色を認識するときに反射光を網膜で受容しているのは事実ですが,その情報に「赤」色を割り当てるのは主観的な認識です。この発想からすると,赤とピンクの境目が厳密に事実として決まっているわけではないのと同様に,感情が別個に事実として存在するという考え方を否定します。これら以外にも,感情の多様な理論が打ち出されています。「定義を求められるまでは,誰もが感情とは何かを知っている[4]」と思われますが,いざそれをつかもうとするとするりと逃げていくような,難しい心理現象であると思います(だからこそ,研究は魅力的なのですが)。
感動って面白い
感情には機能があるという発想は,より複雑な感情にも適用できると考える研究者は多いと思います。私もこの立場から「感動」を研究しています。
皆さんは,最近何かに感動しましたか? その対象は,小説,映画,演劇などの物語,音楽や絵画といった芸術,果てのない星空や雄大な森といった自然などとさまざまかもしれません。私たち,特に日本人はそれらに心を強く動かされたとき,頻繁に「感動した」と言います。涙や鳥肌,胸の温かさといった身体の反応を伴うことも多いです。それでは,感動はなんのためにあるのでしょうか?
現在の研究知見をもとに回答すると,感動はあなたの中核的価値を確認したときに生じると言えます。感動研究は萌芽期にあり,まだ諸説あることを大前提としますが,ランドマンら[5]や筆者ら[6]は,価値観が感動の強さに影響することを繰り返し示しています。例えば,家族は大事という価値観の人が,家族愛を描いた映画を見たときに強く感動します。皆さんの感動経験を思い浮かべていただくと,恐らくその感動対象には,皆さん自身が大事に思っていることが含まれていると思います。それは典型的には人間愛が多いのですが,それ以外にも努力や目標達成,美しさ,であったりもするでしょう。このように,感動は価値を見つけたときに起こる感情と言えますが,ではなぜ価値を見つけたときにわざわざ,涙を流したり鳥肌が立ったりするほどの強い反応が起こるのでしょう?
筆者らの研究では一つそのヒントを得ています。人間の能力や時間が「有限」であることを意識すると,意識をした課題とは関係のない物語に対しても,感動が強くなるという結果がみられました[6]。「真善美(しんぜんび)」といった究極的な価値は,永遠性をもつと考えられます。それに対して私たち人間は,本当にちっぽけで,常に限界を抱えています。その有限性に普段は見て見ぬふりをしていますが,あらためて有限性を意識すると,対照的に永遠性をもつ価値を希求し,感動すると言えるかもしれません。もちろんその価値はなんでもよいわけではなく,一般的によいとされている価値に限るわけでもなく,他でもないあなた自身にとって,人生の中核である必要があります。つまり感動の機能とは,限りある自分の生を見つめたときに,その限界に絶望するのではなく,中核的価値を再認識させることにある可能性があります。ただし,これらの考察はいち感動研究者としての私の研究で示唆されていることなので,唯一の真実とは言えないことに注意が必要です。さらに言えば,本当に感情すべてが有用なのかも分かりません。進化の過程で生まれたエラーでしかなく,なんの意味もない心の動きなのかもしれません。ですが,感動を含めた感情に大事な機能があるという発想は,人間の心の理解をより深めてくれると思います。
どうも私たちは,感動することで,かけがえのない価値を見直しているようです。それはもしかすると,私たちには未来が見えすぎてしまうためかもしれません。人間には絶対に避けられない限界があり,それに私たちは気づくことができ(てしまい)ます。そんな人生の中での一筋の光が,感動という感情なのかもしれません。
文献
- 1.大平英樹編 (2010) 感情心理学・入門.有斐閣アルマ
- 2.Cosmides, L., & Tooby, J. (2000) Evolutionary psychology and the emotions. In M. Lewis, & J. M. Haviland-Jones (Eds.), Handbook of emotions, 2nd ed. (pp.91-115). Guilford Press.
- 3.バレット, R. F./高橋洋訳 (2019) 情動はこうしてつくられる:脳の隠れた働きと構成主義的情動理論.紀伊國屋書店
- 4.Fehr, B., & Russell, J. A. (1984) J Exp Psychol Gen, 113, 464–486.
- 5.Landmann, H. et al. (2019) Cogn Emot, 33, 1387–1409.
- 6.Kato, J. (2024) Int J Psychol, 59, 1199–1207.
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