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【特集】
心理職の現状と課題 ─心理職は「ときめき」を取り戻せるか

下山 晴彦(しもやま はるひこ)
Profile─下山 晴彦
1957年生まれ。1983年,東京大学大学院教育学研究科博士課程退学。博士(教育学)。東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース教授などを経て2022年より現職。専門は臨床心理学。著書に『心理職は「ときめき」を取り戻せるか:臨床心理学の専門性を基軸として』(単著,東京大学出版会)など。
ちょっと残念な心理職の現状
心理職は,今,トキメキを失っています。2017年には,念願の心理職の国家資格である公認心理師制度がスタートしました。だから,キラキラと輝いても良いのに,残念ながらキラメキを失っているのです。
ところで,皆さんは,現在の日本のメンタルヘルスの問題状況を知っているでしょうか? 近年,都市部を中心に「メンタルクリニック」(精神科や心療内科)が急増していることに気づいていますか?
「メンタルクリニック」は和製英語であり,精神科診療所としては世界でも類を見ない形態の,日本独特のシステムです。心身の不調から日常的な悩みまで「メンタル」を巡るさまざまな問題が,メンタルクリニックに持ち込まれます。米国では,心の悩みの相談に行く専門機関は,専門のサイコロジスト,つまり心理職のオフィスです。それに対して日本では,「生きづらさ」を抱えた人々は,コンビニのように街角にある「メンタルクリニック」に吸い寄せられていくのです。
そのような人たちにも診断名がつき,「患者」となり,薬物療法がされることもあります。そのような「患者」は,メンタルクリニックに勤務する心理職の担当になることも少なくありません。心理職は,“医師の指示”の下で,そのような患者の心理支援をすることになります。全てがそうであるわけではないのですが,多くのメンタルクリニックでは,「生きづらさ」や「悩みごと」を病気(疾患)として治療する「医療化」が起きています。その結果,日本では,悩みごとを取り扱うのがメンタルクリニック,つまり医療になるという奇妙なことが起きているのです。
だからこそ,心理職は,頑張って「悩みごと」を,病気ではなく,悩みごとして聴き,解決していく方法を提案していかなければいけないのです。まさに,今こそが心理職の出番なのです。しかし,心理職は,期待されながらも,そのような出番を生かしきれていません。むしろ,出番を失って,どんどん日陰の立場になってきてしまっています。その結果,トキメキを失っています。職業としてのキラメキがなくなり,アキラメ状態になっています。なぜ,そのようになったのでしょうか。それを知るためには,歴史をみていく必要があります
日本のメンタルヘルスの残念な歴史
2015年に公認心理師法が国会で成立し,心理職の国家資格化が正式に決定となりました。当時の私は,「公認心理師」制度が充実したものになれば,心理職は,多くの問題を抱えた日本のメンタルヘルスの改善に貢献する専門職になることができるとの希望を持っていました。かなりトキメキを感じていました。なぜならば,1990年頃から,日本の精神医療体制は,深刻な偏りと遅れが生じており,国内外から批判されていたからです。世界の中で突出して多い入院患者や長期入院の数に加えて,拘束,多剤大量投与などがあり,精神医療中心の管理的な治療が長期に継続していました。その結果,日本のメンタルヘルスにおいて深刻な問題が噴出していたのです。その問題の改革を進めるために心理職を国家資格化し,心理支援サービスを精神医療に加える必要があったのです。
ただし,日本のメンタルヘルスの状況は,複雑でした。心理職の国家資格化に反対していたのは,精神科医の団体でした。上述した日本の精神医療体制の偏りと遅れに対処するためには,心理職の国家資格化が必要でした。しかし,だからといって,日本の精神医療には,心理職の国家資格化を無条件に認めるという包容力はありませんでした。精神科医の団体は,「心理職が医師の指示の下で活動することを条件として受け入れるならば,心理職の国家資格化を認める」というディール(交渉)を求めてきました。いろいろと“擦った揉んだ”があった末に,最終的に心理職関係者はその条件を受け入れ,2015年に心理職を国家資格化する法律である「公認心理師法」が成立しました。そのような経緯があったからこそ,公認心理師法第42条第2項で「当該支援に係る主治の医師があるときは,その指示を受けなければならない」と明記されたのでした。
当時,私は,そのような不平等条約ではあるが,国家資格になったのだから,心理職は専門職として発展すると期待し,そのための学問体系として『現代の臨床心理学シリーズ』全5巻(東京大学出版会)を編集し,2021~2023年に出版しました。しかし,公認心理師法施行は,決して心理職にとって良いことばかりではありませんでした。時間の経過とともに公認心理師制度の光の部分だけでなく,影の部分が明らかとなってきました。
「公認心理師」制度の光と影
国家資格化の光と影があるとするならば,次第に影の部分が目立ってきたのです。光の部分は,日本の心理職の特徴であった学派(派閥)主義や「プライベート・プラクティス」の発想が弱まり,メンタルケアの「パブリック・サービス」への道が切り開かれたことです。日本の心理職は,クライエント中心療法,精神分析,認知行動療法,家族療法などといった心理療法の各学派の立場から心理支援を実践する傾向が強くありました。派閥でまとまり,社会性や社会的観点を持てないでいました。公認心理師ができたことで,心理支援はパブリック・サービスとして位置付けられるようになり,学派主義に拘ることができなくなりました。
影の側面は,心理職が医学モデルや行政モデルの管理体制に組み込まれたことです。日本のメンタルヘルス政策は,上述したように患者の長期入院や多剤大量投与など,多くの問題を抱えています。それにもかかわらず,公認心理師法では,心理職は医師の指示に従わなければならないと明記されています。その結果,公認心理師は,問題を抱える医療体制や行政システムに組み込まれ,心理職の活動が,日本のメンタルヘルス政策の問題維持要因になったのです。
しかも,医師中心のメンタルヘルス政策のヒエラルキーの中で心理職の身分や立場は不安定です。非常勤職が多く,非正規雇用のために雇い止めなども生じています。専門職としてではなく,医師の指示の下で働く「技術者」や行政の枠内で働く「実務者」としての位置付けが多くなっています。国家資格になったのに,時給は低く,雇用も安定しないのです。専門職としてのアイデンティティが持てないでいます。心理職の主体性や専門性が見えなくなってきているのです。このような状況の中で心理職は,「トキメキ」を失ったのです。
心理職は,「ときめき」を取り戻せるか?
このような残念な状況ではありますが,私は,心理職は諦めなくても良いと思っています。というのは,日本の心理職には希望と失望をジェットコースターのように繰り返してきた歴史があるからです。これからも,そのような変化が起きるはずです。少なくとも現在の偏った日本のメンタルヘルスのあり方は,いつまでも続かないでしょうし,続かせてはいけないのです。発達障害やトラウマといった「生きにくさ」の問題は,病気のカテゴリーに診断分類し,薬物治療を中心にする旧式の医学モデルだけでは対処できません。世界のメンタルヘルスは,そのような医学モデルと診断・治療の枠組みの限界を認識し,新たに環境との相互作用を重視する社会モデルに明確に,すでに移行してきています。そのような世界の動きに取り残された日本のメンタルヘルスは,近い将来大きく変わる時がくるので,それに備えておく必要があるのです。
文献
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
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